13.爛熟の円舞曲《ワルツ》 ◆13の4◆
ジェニはフランツ風の服装をしていた旅行中とは違い、カラ・キタイの後宮で女たちが着る衣装を身に着けていた。
足首の少し上までのゆったりした白いパンタロンの裾はレース様に飾り穴があり、白いかがり刺繍がほどこされている。その上から着た袖無しの長衣は、生成りの麻地に細かい刈安色の唐草模様が入っており、襟や肩口と裾周りは金地に赤い林檎の刺繍と銀のモールで縁取られていた。裸の肩は銀地に濃淡の違う赤い植物文様が大胆に描かれた絹のショールで隠し、その上の両耳にはピンク・ダイヤのピアスが光る。黒い髪は顔の両側から前は胸の辺りまで、後は背の中頃まで、編んだりせずに垂らされ、優美な首を飾るのは太目の短い金鎖であり、喉のすぐ下には緋玉のペンダントが蠱惑的な光を放っていた。
「大公殿下、侯爵夫人、よくいらして下さいました」
絹の短靴を履いた足を寝椅子から下ろし立ち上がったジェニが優雅に礼をするのを見た侯爵夫人の顔は、先ほどメルキオが白磁の壷に歩み寄った時と同じ表情になっていた。
「ジェニ様は本当に姫君でしたのね。千夜一夜物語に出てくるような」
「伯爵が、お客様が折角来て下さるのだから着飾ってお迎えしなさいと言われたのです」
「いや、これは! ジェニ殿は素晴らしくお美しい。が……その緋玉も……」
メルキオの目はジェニの白い喉元に向けられている。その視線を逸らすように肩のショールを引き寄せジェニが答えた。
「ここにあるものは私自身を含め、すべて伯爵の物でございます大公殿下。ですから称賛は私ではなく伯爵にお願いいたします」
あのショールは略式で本来はサリであるべきなのだが、気付きはしないだろうな……と考えながら私はその言葉を聞き流していた。
「あら、ジェニ様は拐われた砂漠の姫君なの? 伯爵様ったら、いけない方ね」
その言葉とは裏腹に、富と快楽のためになら魂を売ってもかまわないという仄めかしが侯爵夫人の声音にはあった。そのせいかメルキオが急に生真面目な青年のように、むきになって言う。
「ここフランツでは人間は自由です。あなたが他のどこかで奴隷だったとしてもここでは違います。魂を拘束する奴隷制度などは、どこであろうと許されないことです」
ジェニが私の『所有物』という言葉が気に障ったらしい。しかしこの国は植民地の黒人奴隷たちの血と汗の上で繁栄を謳歌しているのに、どんな口でそれを言うのだ?
「ここでは私は自由だと仰せになりますの、大公殿下? では自由になった私はどうやって生きていけばよろしいのですか? 殿下が養ってくださるのでしょうか? 愛人の一人になれとでも?」
「い、いや、その……そういうわけでは……」
メルキオは部屋の中を見回し、自分はいったいどれだけの贅沢をジェニにさせてやれるのかと考えているようだった。侯爵夫人の口ぶりから見れば奴が愛人に払うお手当てでは、ジェニがしているピアスの片方も買えまい。大公殿下といえども手許で自由に出来る金は限られている。何しろ使い道が使い道だ。外聞というものもあるだろう。それにしても、侯爵夫人がもう少しメルキオの近くにいたら、奴を蹴り飛ばしていたことだろう。
ジェニが微笑んで言う。
「いいえ、そんなことをお願いしたりしませんわ。私は伯爵と『心の中に生き、膝の上で死に、瞳の中に葬られる』という契約で縛られているだけです。ほら、鉄の鎖などどこにもありませんでしょう」
「金の鎖でなら、あたしも縛られてみたいわ。なんなら、ポリドリ医師の詩に出てくるルスヴン卿みたいに、血をすすったりしてもいいわよ」
侯爵夫人の言葉にギョッとした表情になったメルキオが、見開いた目で夫人を見る。
「な、何よ! 冗談でしょ、殿下。何をそうむきになっているの?」
メルキオは夫人の驚いた顔を見て我に返ったようだ。そこで私は声を掛けた。
「大公殿下、侯爵夫人、ささやかながらおもてなしを準備しております。どうぞ別室へ」
本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




