3.目覚めよと呼びかける声 ◆3の4◆
朝方の襲撃により朝餉の準備が遅れた。
挽き割られた大麦を大釜で茹で岩塩を少し加えたものが兵士たち各々の器に配られた。この他に乾燥させた無花果が一掴みで朝食は終わりだ。
十五尺ほどの長さの細い丸太を三本使って簡単な矢倉を組み、獅子の死骸を吊るして皮を剥いでいるのを見物しながらの朝食だ。それほど食欲がわくとは思えない。
私は小鍋で珈琲豆を炒って乳鉢で粉にした。湯を沸かした小鍋にその粉を入れ、少し煮立ててからカップに注いだ。
干した棗椰子の実をかじりながら、珈琲の粉がカップの底に沈むのを待った。
本来であれば早朝に出発したいところだが、七頭の獅子の皮を剥ぐ作業は午後まで終わりそうもない。
まともに考えれば旅程を進めるべきなのだが、どう考えてもこの場所でもう一泊するとしか思えない。この常識外れの判断は、サトゥースではなくいつの間にか主導権を握ってしまったあの姫君が下したのに違いない。
かなり高くなった朝日の眩しさに眼を眇めながら、私は辺りを見回した。
街道は草原の中をほぼ真っ直ぐに続いている。ぽつん、ぽつんと立木があるが、あとは十里以上彼方に山地が隆起し始めるまで草ばかりだ。この季節はあまり雨も降らない。
珈琲を飲み終えると、私は持ち物をまとめ、鞍を担いで馬溜まりまで歩いた。途中でサトゥースを見つけて話しかけた。
「出発は延期だな」
「うむ、もう一晩ここにとどまる」
「姫君か?」
「ああ、……あの襲撃の時、獅子たちに紛れて天幕を襲おうとした者たちがいた。兵たちの注意が馬溜まりとその反対側の二方向に分かれた時、その隙間を抜けて侵入したらしい。俺が見たのは八人分の死体だった」
「八人分?」
「身体が上と下に分かれていたのもあったからな」
「うっぷ、……ということは、獅子たちの襲撃も仕組まれたものだったということか」
「そういう技を使う者がキタイにはいるそうだ」
「それならむしろ、次の宿場まで急いだ方がよかったのではないか?」
「それがそうでもないらしい。お姫様がおっしゃるには、今夜何か特別なことがあるらしいのだ」
「今夜か。では明日までここにいるのだな」
「ああ」
「それなら私は周辺の偵察に行く」
「何名か兵をつけようか?」
「いや、一人で十分だ。それが私の任務だからな」
自分の馬に鞍を置きキャンプ地の外に出ると、ジェニが黒い斑のある灰色の去勢馬に跨って現れた。ゆったりとした下袴の裾を半長靴にたくし込み、長袖のチェニックの上に黒いベストを羽織っていた。腰に皮のサッシュを巻いているのは、乗馬で腰を保護するためだろう。頭には青い幅広の布を巻き、髪を覆い隠していた。
「良い馬だな」
「姫様の馬です。ライト様が鞍を担いでいると聞いて、私にお貸し下さったのです。お前の任務は常にライト様と一緒に行動することだと仰せになって」
「アイシャー様は馬に乗られるのか?」
「はい。野駆けのお供をしたことがありますが、とてもお上手です」
「なるほど。ではジェニもかなり乗れるということだな」
「ライト様のお邪魔にならないほどには」
並足でしばらく街道沿いに先へ進んだ。ジェニの鞍にはあの短弓を収納した毛皮の袋と矢筒が振り分けられて掛かっていた。収納袋の下には柳葉刀の鞘が括りつけられており、矢筒の側には物入れの革袋が添えられている。左右の重量配分や使い勝手がよく考えられており、いかにも乗馬行に慣れているように見えた。
「いったい何人ついて来ているのだ?」
「おわかりですか?」
「いや、さっぱりわからん」
「それではなぜ?」
「考えたのさ。この前お前はいつの間にかその弓と矢を持っていたが、サトゥースが現れた後気がつくと、持っているのは一本の矢だけだった。その弓はどこかに投げ捨てておけるような代物ではなかろう? だれかに預けたというのが順当なところだ。くやしいが今朝も、お前があの投槍を受け渡ししているところを見逃している」
「ライト様の目を免れたと知ったら、エディもさぞ喜ぶでしょう」
「あの宦官もハサスの民なのか?」
「私の従兄弟です」
「だが肌の色が違う!」
「外見でハサスと知れるのは望ましくないこともあるので、時々外から別の血を入れるのです。エディの母はヌビアの出だそうです。それに、宦官ではありません」
「いや、髭がないのでてっきり……」
ジェニが口に指二本を当ててクスリと笑った。
「何だ?」
「いえ、ライト様が前に、髭のことをお話しになったのを思い出したのです」
私には憶えが無かった。
「お前に髭のことを……いったい何時のことだろう?」
「サトゥース様のように頬髭や口髭を生やさず、顎髭だけなのは何故かとライト様にお聞きした時です」
「それで何を言ったというのだ?」
ライトのジェニに対する呼びかけが『君』になったり『お前』
になったりゆれますが、その時々のジェニに対するライトの心
理状態を示そうと使い分けてみました。ライトが『君』なんて
呼ぶ時は筆者が彼に「お前いい年して動揺するなよ」と揶揄し
たくなるときです。上手く書き分けられているでしょうか?
2014.02.20. 改行部分訂正