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13.爛熟の円舞曲《ワルツ》   ◆13の1◆

 朝食はパンとベーコンそれに茹でたインゲン豆とトマトのサラダ、最後に珈琲カフェだった。いつもの馬車コーチに乗ってみると広い車内はジェニと私だけであり、キャスパたち三人と侯爵夫人は前の馬車コーチに乗り込んだようであった。

 そのままフォンテネィの僧院を発った。角を曲がる時見えた様子では、四人は何かしきりに話し合っているようだ。他の三人はまだしも、侯爵夫人も入っているとなるといったいどんな話になっているのか気になる。ジェニに何のことだろうと聞いてみると、多分昨夜のことでしょうという返事が返ってきた。

「昨夜とは、戦死したロゾー僧院長の甥っ子のことか? それとも決闘の件か?」

「いえ、実は侯爵夫人が私の部屋に忍んできたのです」

「何だと! 夫人にはそんな洒落た趣味もあったのか?」

 私のわざとらしい無駄口を鼻で笑い飛ばすとジェニは話を続けた。

「夫人が興味を持ったのは伯爵の武勇伝の方です」

「伯爵なんて呼ぶのはやめてくれジェニ。せめて二人だけの時は」

「ライト様と呼んだ方がいいのですか?」

「メルキルの奴は侯爵夫人と何と呼び合っているのだった? えーと、ジョシアとモニだったな。ジェニは何と呼んで欲しい?」

「ジェニで結構です。ジェニファーヌなどという名前で呼ばれた記憶はありません」

「愛称というのは他の人間と違う呼び方をするという特権を表しているんだぞ」

「ではライト様ではいけないのですね。それでは……」

「おい、ちょっと待てジェニ」

「ライト、ルズ……頭文字を取ってエルではいかがですか?」

「いや、そんなことより侯爵夫人に何を話したんだ、ジェニ?」

「恥ずかしいのですか、エルと呼ばれるのが? もしや口髭のことを言われたひとはそう呼んでいたのでは?」

「真面目な話、何を話した?」

「事実だけです」

「事実とは?」

「ライト様がどうやって三頭の獅子を倒したか。三人の幽鬼ラクシャとモルという魔導師がどのような者たちで、どんな運命をたどったか。ライト様とソンブラがたった二人でどうやって戦列艦を沈めたか。魔王と呼ばれるエラムの王と、どのようにして同盟を結んだか。骨の河原に三万のフランツ軍を釘付けにし、上流の堰を破って押し流すという作戦を指揮したのは誰か。すべて事実ばかりです」

「なるほど」

 並べられてみると随分ずいぶんな内容である。これが自分のことでなければいったいどんな傑物けつぶつの業績かと驚き感心するところだ。しかし実のところどれもギリギリのところで命を拾ったのであり、私の成功も多くは幸運の賜物たまものなのだ。いったいジェニはどんなふうに侯爵夫人に説明したのだろうか? 気にはなるが聞くのもまた怖ろしい気がする。

「すると今、侯爵夫人がそれをあの三人に説明している最中だというわけか」

「あの人は今朝けさ方まで随分興奮していましたから」

今朝けさ方だと!」

「ずっと質問攻めにされました」

「それで君は何と?」

「嘘はついていません」

「アイシャー様のこともか?」

「差しさわりのないことだけを」

「魔導の力については?」

「いいえ、ただ非常に賢い方だと」

「では牙の岬での海難について、何と説明したのだ?」

「私はその場にいなかったのでわからないが、ライト様は常に天候や地形を考えて戦う方だと思うと話しました」

「司令官なら誰でもそうだろう」

「侯爵夫人は何か神秘的な意味で受け取られたようです」

「君はそれを訂正しなかったのだな」

「そこまで責任を取る必要はないと思います」

「うむむ、キャスパたちに聞かれたら否定しておいてくれ」

「否定すればするほど侯爵夫人の言葉の方を信じるでしょう」

「それでもだ」

「姫様もそうした方がよいと言っておられました」

 トゥランを出る前にアイシャーがジェニに指示を出していたということか。こういうことでの先読みの深さという点では、アイシャーに勝てる気がしない。


 馬車コーチはフォンテ・ラ・モンターニュの森を通り、ムランを抜けてパリスへの路をたどる。やがてセイネ河沿いを進んで橋を渡ってチテ島に入った。河中のこの島に建つのが、二つの角ばった大きな塔と丸屋根の頂上にある天に突き刺さるような尖塔を持つ、聖ゲルマヌス大聖堂である。聖堂前の広場で馬車コーチを降りこの聖堂に入ると、巨大な丸窓と廻らされた階上廊トリビューンに圧倒されずにはいられなかった。

 キャスパが堂守を呼びつけ何か話す。すると堂守は腰に下げた鍵束から一つの鍵を取り出し、側廊アーケードの奥まったところにある扉を開けた。堂守はそこにあった角灯ランタンに火を点すと、先にたって階段を降りていく。ジェニと私、キャスパたち三人と侯爵夫人の六人がその後に続いた。

 やがて行き当った扉を堂守がまた鍵で開ける。意外な明るさに私たちは思わず目を細めた。

「この部屋は五階層まで吹き抜けになっていて、天井近くにある窓から地下のこの位置まで鏡の反射で光を導いておるのです」

 キャスパが説明する。見上げると高い天井近くにその鏡が光っているのが見えた。

「では、ここが?」

「はい、ルズ様のお体が安置されている場所です」

 二十(ヤール)四方ほどの石畳の中央に石の祭壇のようなものがあり、その上に黄金の枠に縁取られた硝子の棺が置かれていた。近づくとその中に男の身体が横たえられているのが見える。私とジェニは棺の側まで歩いてゆき、その中をのぞき込んだ。

「これは!」

「なるほどよく似ている」

「いいえ、そっくりですわ!」

 気がつくとすぐ後から、侯爵夫人が棺の中の顔に見入っていた。

 硝子ごしに見える棺の中の男は、今の私と同じくらいの年齢で顎鬚を生やし、白い長衣のようなものを着て横たわっている。両手を胸の前で組み、眠っているだけで今にも目覚めるのではないかとさえ見えた。鏡で見たことのある私の顔とその顔は確かによく似ていた。

「これで何故私たちがあなたをルズ様の生まれ変わりと確信したか理解して頂けましたか? お会いした瞬間は雷に撃たれたように感じたものです」

 三人の中で一番信仰と縁遠いように思えるメルキオが近づいてきてそう言った。

「今はもう感動も薄れているのだろうな?」

「いいえ、前以上に確信するようになりました」

「それにしても、こんな仕掛けを考え出したのは誰だ?」

 私は四十(ヤール)以上はありそうな天井の鏡までの距離を目測しながら尋ねた。

「初めの十三人の一人であるヨワネステ様です」

 バルタザルが棺の中の顔と私の顔を確かめるように見比べながらそう答えた。

「そうか……時計職人のヨワネステか」

 私はもう一度天井の鏡を見上げて尋ねた。

「では、あの鏡はヨワネステが管理しているのか?」

「ヨワネステ様は七年前に亡くなりましたぁ。今はその弟子であるわしが磨いとりますじゃあい」

 そう言ったのは今まで後で控えていた堂守だった。白い頬髭を生やしたその男は六十は過ぎていそうな顔だったが声は野太くしっかりしていた。

「お前は?」

「堂守のフロロと申しやす」

「そうか。今日はよいものを見せてもらった。礼を言おう」

 私はそう言って胴着の隠し(ポケット)から一枚の金貨エキュ・ドールを取り出し、堂守に与えた。

「へい、ありがとうごぜいやす。あんた様わぁ?」

「エンテネス伯爵だ。お前にはまた世話になるかもしれん。憶えておいてくれ」

「ゲルマヌス様じゃないんでぇ?」

 堂守も棺の中の顔と私を見比べながら言った。

「そいつはこの硝子箱の中の御仁ごじんだろう。私は外にいる」

「なるほど。この中で没薬ミルラかっている御方おかたとは別人ちゅうことで?」

「そうだ」

「それにしてはよく似ていらっさる」

「そうだな」

 堂守は何もかも承知しているというようにニヤリと笑い、金貨をふところに仕舞い込んで引き下がった。

「さて、それではここを出ることにしましょう」

 キャスパのその言葉で私たちは元来た階段を上り、聖堂の中に出た。


「伯爵、今日はネアポリスの公館にお泊りになってください」

「お言葉には感謝いたします。しかし外に迎えが来ているはずです」

 外の広場には用意させた四頭立ての馬車リモが待っていた。御者台のエディも開かれた車室の扉の前に立つアルトも藍色のお仕着せを身につけ、厳しい顔で控えている。

「それでは皆様、当座の住処すみかはこちらですので、何かありましたらお声を掛けてください」

 そう言って隠し(ポケット)からカードを出し四人に配る。

「おやこれは」

 メルキオが目を丸くする。

「殿下、ご挨拶とお礼はまた改めて。ではみなさん、失礼いたします。侯爵夫人、ジェニに踊り(ワルツ)を教えて下さるお約束をお忘れなく」

「ええ、勿論ですわ」

 私はもう一度会釈すると、ジェニと共にその場を去った。

本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。


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