3.目覚めよと呼びかける声 ◆3の3◆
鞍と毛布を置いた場所に戻ると、焚き火はすでに燠になっていた。まだ夜半前であり、空が明らむまでにはこの季節、三刻半ほども間があった。薪の皮を細くそいで焚き付けを作り、もう一度火を燃え立たせた。太い薪を炎が舐め始めるのを確かめて、やっと腰を下ろすことができた。
「次の襲撃があるとすれば、夜半を一刻過ぎたころか?」
「サトゥース様もそう考え、見張りを増やしているでしょう。その者たちが疲れ、気が抜ける朝方が危険と思います」
「ではそれまで一眠りするか」
「よいのですか? 私を信用して」
「もしサトゥースの予想が当たれば、見張りの兵が大声で起こしてくれるさ」
私は鞍の側に毛布を敷き、ごろりと横になって目をつぶった。瞼を透した焚き火の炎の揺らめきが、眠りにおちいる前の記憶だった。
次に目を開くと東の空が微かに明るくなっていた。私の身体の右側に背を押し付けるようにしてジェニが眠っていた。私が身を起こすと、彼女は直ぐ目を覚ました。
「どうやらサトゥースの兵の見張りは無駄になったようだな」
「無駄な見張りなどというものはありません」
「そうか、そうだな」
白い灰になりかかった焚き火の側を離れ、私は銃を手にして歩き出した。見張りが配置された警戒線に沿って半周ほどした時、馬溜まりの方で馬たちが怯えたいななきをあげた。
私とジェニは急いで馬溜まりに向かった。
「風上から獅子の臭いがします。だから馬が怯えているのです」
「風上から、だと!」
「獅子の群の狩りの仕方として、ありえないわけではありません。ただ、その場合は風下から忍び寄る獅子たちが別にいるはずです」
風下側にはアイシャーの天幕があった。
「アイシャー様はお前の仲間たちが守るだろう」
私はそのまま馬溜まりに向かった。そこでは見張りの兵士たちが大わらわで馬たちをおさえ、なだめにかかっていた。
さらにキャンプ地の外側に向かうと、風上から三匹の雌獅子が並足で近づいて来るのが見えた。雌獅子たちは一団になってではなく、お互い距離を置いた位置から走り出した。時間差で襲いかかるつもりであったのだろうが、私にとっては逆に好都合だった。私は一発目の弾丸をすでに装填していた。
ターン。まず一番近くまで駆けてきた獅子を右側にかわし、真横から心臓の位置を狙って撃った。
遊底桿を引き排莢すると次弾を装填し戻した。銃身を右に振る。
そこには二十尺ほどまで迫り、跳びかかる直前に咆吼して獲物を威嚇しようと口を開いた一匹がいる。ターン。
最後の一匹は一直線に向かってきた。ほとんど頭部しか見えない。ターン。弾丸は獅子の右目から入り頭蓋の中を掻き回し
た。
「こちら側はこの三匹だけのようです。それにしても見事な腕前、さすがはライト様です」
七尺ほどの長さの投げ槍を持ったジェニが近づいてきて言った。
「昨晩あの暗闇の中で、この十倍の距離から三人をしとめた君に言われるとはな。それに弓矢と違ってライフル銃というものは、誰が撃っても狙った方向に弾丸が飛んでいく」
ジェニは二尺ほどの金属の槍先で横たわり痙攣している獅子を試すようにつついた。
「弾丸は獅子の体の中に?」
「大型の獲物を狩るための、先端に窪みのある弾丸だ。この弾は突き抜けずに中で潰れて広がるのだ」
「そのための金属薬莢ですか?」
「自分で使う弾は自分で装弾している」
「おーい、こちらにも獅子が来たそうだな」
サトゥースが馬溜まりの方から呼びかけてきた。
やがて近くまでやって来たサトゥースに、ジェニが
「三頭です。すべてライト様が撃ちとめました」と指差す。
サトゥースは獅子たちの死骸に近づいて一頭ずつ調べた。
「なるほど。だが我らは四頭だぞ。……しかし」
「なんだ?」
「兵の方にも犠牲が出た。死んだのは一人だが、その他にも重傷者が三人いる。お前は無傷で三頭か……大したものだ」
「サトゥース隊長殿が他人を褒めるとはな……何が望みだ?」
「実はな、獅子の皮を剥いで売った代金をその四人の兵の見舞金にしたいのだ。特に死んだ一人にはかみさんとまだ幼い子どもがいる」
「ああ、なるほど。私はこの三頭の権利を主張するつもりは無い。ここで皮を剥ぐなんて面倒だからな。欲しいのなら持っていっていいぞ」
「ありがたい。それにしてもライト、この一頭はどうして死んだんだ? 弾の跡が見当たらないが…」
「ライト様が口の中に弾丸を撃ち込んだのですよ」とジェニ。
「何だそれは! 獅子の傍まで行って銃を口の中につっ込んだのか? なんてことをするんだ! 命知らずめ!」
その誤解を訂正する間もなく、サトゥースは首をふりふり去って行ってしまった。
「あいつに正気を疑われてしまったぞ」
ジェニが側までやって来て、
「今聞いたのですが、むこうの四頭は穴だらけで売り物にはならないそうですよ。マスケット銃の一斉射で仕留められず、投槍を何本も打ち込んでとどめを刺したということです」と笑いながら言った。
「部下のことを思いやるのは悪いことではないが、要領のいい奴だ。それにしてもそれを誰に聞いたのだ?」
「投槍を取りに来た者に聞きました。最初は雄獅子の頭部だけを持ち帰るつもりだったようですが、成り行きで全部の皮を剥ぐことになってしまったのです。元々は犠牲者が出たことで士気が下がるのを防ぐため、隊長殿が言い出したことのようです」
「なるほど、獅子を何頭も倒したと聞けば、死者や重傷者が出たと言っても、誰もが納得するだろうからな。だいたい、獅子狩りには十尺から十五尺の長さで、獅子が暴れても折れない太い柄の槍を使うものだ。あんな細い投槍で獅子を四頭も殺したサトゥースの兵たちは自慢してよいのだ」
作中でライトが使用する銃のモデルは、プロイセンで開発された単発式のライフル銃 Mauser Modell 1871 ですが、騎兵銃なので銃身がオリジナルより20㎝以上短く、遊底桿は Karabiner 98 Kurz のように湾曲しています。口径は11mmで、黒色火薬を金属カートリッジにハンドロードした弾を使っています。ハンドロードなので弾丸は狙う対象によってチョイスします。カタログ上の有効射程は250mなのですが、ライトが射つのは100m以内というか、ほとんど 30~0m の範囲の的ばかりです。当然相手も反撃してくることを考えれば、度胸による射撃といった感があります。
2014.02.20. 改行部分訂正。