11.戦神の時 ◆11の14◆
※103話◆11の14◆では、ロスマン語の会話部分にルビを振りました。インターネット・エクスプローラーではルビ付きになりましたが、ファイヤー・フォックスではうまくいきませんでした。おまけに切れ切れになっています。とりあえず、このまま投稿します。いい方法があればアドバイスお願いします。
「キャスパ殿、お座りください」
リブロの書斎に入ってくるとキャスパは中を見回し、隅に置かれた筆記台の前に葦筆を持って座っている書記官に視線を向けた。
「恐れ多いことでございます、ライト様」
そう言ったきり、奴は黙ってしまった。口には出さないが、どうやら余人を交えず話したいと望んでいるようだ。
「シェル、しばらく外してくれ」
私がそうたのむと書記官は頷き、筆記用具を置いて退室していった。
「これでよろしかろうか?」
「どうせこの部屋での話は盗み聴きされているのでしょう」
キャスパはいきなりロスマン語で話しかけてきた。リブロが死んだ今、この国には私とキャスパの二人以外この言葉を理解できる者はいないと考えたのだろう。
「私が違うと言っても、あなたは信用しまい」
「では、ロスマン語で話すことをお許しください」
そんなわけで、私とキャスパとのその後の対話はすべてロスマン語で進められることになった。今頃壁の向こう側で記録を取ろうとしていた書記官は恐慌に陥っていることだろう。
キャスパが私に求めたことは最初に第三大隊の厩舎で会った時と同じであった。キャスパたち三人と一緒にパリスへ来て欲しいというのだ。私を一目見れば、聖職者たちは私が硝子の棺に安置されているルズと同一人物であることがわかる。『初めの十三人』のうち未だ存命の四人も、私の姿を見ればすぐさま悔い改めてひれ伏すはずだ。私は蘇った教祖として機械の神の教会に君臨し、堕落し腐敗し切った教会組織も再生の時を迎える。キャスパのそんな夢想とも言える話を聞きながら、この男はどこまで正気なのだろうと私は考えた。
しかしキャスパの話をさらに聞いていくと。ルズの復活の預言は、機械の神の教会の教理に深く組み込まれていることがわかった。驚くべきことに『最初の十三人』は、自分たちの嗜逆を教祖ルズ復活の準備行為として正当化したのだという。よく考えてみれば、これは古代からある生贄の王とその神官たちの関係をなぞっているに過ぎない。再生するために王はまず殺されなければならないというのは、我々の心の奥底に根付いている神話なのだろう。
ただ私にはキャスパの願いをかなえてやる義理もなければ道理も無かった。だいたい私がそのルズという男だったとして、もう一度暗殺されるかもしれない場所にのこのこ付いて行くはずがないではないか。
キャスパは私が復活した教祖としての地位に就いたときの栄耀栄華を説き、また私の手で再生した機械の神の教会が世界にもたらす栄光を語り、民衆が待ち望む救済をもたらすのは私だと主張した。
仕舞いにキャスパは、同行してくれなければ私をフランツ帝国への内通者としてコデン王に告発するとまで言い出した。ロスマン語での対話の中でキャスパの求めに応じ、高額の財物と引替えにトゥランの秘密を売ることを約束したという内容である。
「あなたの潔白を証明する者はいない。疑いだけが残る」
「もうロスマン語はやめよう。あなたはトゥランの言葉も話せるのだから、この国の言葉で話そう」
「もう手遅れだ」
勝ち誇るようにそう言うキャスパを見ていると、私は頭がいたくなった。
「いったいあなたが信じているものは何なのだ?」
するとキャスパは胸を張り、トゥランの言葉で答えた。
「人間の神である唯一のお方だ。人間は生まれ、成長し、老いて、死ぬ。神がそのように設計し、作られたから。人間は目覚め、参加し、眠り、夢見る。神がそのように設計し、作られたから。人間は唯一者により設計され製造された機械であり、唯一者の意思により作られたという意味においてその写しである。このように私は信じる」
「それは機械の神の教会で教えられる信仰箇条だな」
「そうだ、入信者が最初に覚えるようルズ様が定められたのだ」
「あなたはその言葉を信じてなどいないのだろう」
「ルズ様の言葉はすべての信仰の基だ」
「では何故、私をパリスに連れて行こうとする? 私がルズ様の生まれ変わりだなどと、思ってはいないはずだ」
「あなたは獅子を屠り幽鬼を殺し、骨の河原の戦いでは五万のフランツ軍を打ち破った。フランツの大艦隊が沈められた時もあなたはそこにいた。これらはあなたの伝説の始まりであり、機械の神を蔑ろにしたフランツ帝国と権力におもねる教会の上層部に下された神罰なのだ。機械の神の教会と帝国の再生は、あなたの言葉によって始められなければならない」
「私がルズではないとわかっていてもか?」
「これは、神の摂理だ」
根拠も無く自分の論理を押し通そうとする狂信者というのは、まったくやっかいな代物だ。しかもトゥランの国益を考えれば、この男を無下に追い返すこともできない。とは言うものの、この男がこれ以上勝手なことをしないように釘をさしておかねばならない。私は隠し部屋がある方の壁に向かって片手で合図を送った。
しばらくすると私たち二人がいる部屋の扉が開き、コデン王とアイシャーが入ってきた。アイシャーは予定通りだが、王の方は私にも驚きだった。
私は一歩下がって胸に手を当て、頭を垂れる。数人の護衛官が開け放たれた扉の内外に黙って立つのを見ると、一瞬キャスパは顔色を変えた。だがすぐに立ち直り、王の許しも得ずに話しかけた。
「おお陛下、ご無礼は承知の上で至急申し上げなければならないことがあります」
急な形勢の逆転を予感し、私に妨げられる前に先ほどの告発をしてしまおうと思ったのだろう。
「いや、朕はもう十分聞いた。あとは后妃に任せよう」
王はロスマン語でそう言うとアイシャーに軽く会釈し、護衛官を引き連れて出て行ってしまった。王の言葉を聞いて、キャスパの顔色が今度は完全に真っ青になった。
「キャスパ殿、今後の処遇について妾と話し合いましょう」
アイシャーが追い討ちをかけた。キャスパはがっくりと膝をついてうなだれた。
実際はロスマン語を理解し話せるのはアイシャーの方だけで、王は「十分聞いた」と「后妃にまかせる」の二つの短い言い回しを憶えただけだった。だがキャスパがロスマン語で私に話した言葉をアイシャーが一々取り上げ追求すると、奴は精神的にすっかり打ちのめされてしまった。私を脅迫できるはずのちょっとした優位を失っただけでこのありさまだ。これではキャスパが企てたような大事が成功するとはとうてい思えなかった。
今回トゥランにやって来た三人の首謀者であるキャスパの背後には、陸海軍の膨張を抑え商工業の振興によって利益を得ようとするフランツ帝国内の勢力が動いていると、アイシャーは見ていた。偽者だと思いつつ私を木偶として操り、教会内の権力を握ろうと考えたキャスパを、さらに操る者たちがいたのである。
だが考えてみるとこれは、フランツ帝国にも軍の独走を好まない人間が少なからず存在するということになる。ただし彼らが戦争を全否定しているわけではない。ただ自分たちの利益につながらない戦争に戦費を費やしたくないというだけであり、できれば軍を走狗として使い廻したいと考えているだけだろう。
時代は戦争を利用して権力や富を独占しようという考えを持つ人間たちによって動かされていた。彼らの崇める神は多くの生贄を求める。かつてのように生贄の王一人の血が流されるだけでは、豊穣をもたらしてくれないのだった。
本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




