11.戦神の時 ◆11の12◆
「バルタザル殿はパリスの大聖堂に祀られている『機械の神』をどう思っておられるのですか?」
私がそう問うとバルタザルはどう応えてよいのかとしばし躊躇ってから口を開いた。
「ライト様、せめてバルタザルと呼び捨てて下さるようお願いいたします。思し召しですのでこのように対面して話させて頂きますが、そのように呼ばれてはこの身が恐ろしゅうございます」
この男はあくまで私がこいつの崇める神の化身だと考えている。メルキオと違い、ひれ伏さずに私と話すよう説得するのにはたいへんな手間がかかった。それでも椅子に座るのは拒否し、私と居るときはこうして立ったままでいる。会った時から私は否定しているのにもかかわらずこの男が一方的に信じ込んでいるだけなのだが、狂信的なその様子を見ると、私が神などではないと気がついた時の反動が恐ろしく思えた。今はとにかくこの男に合わせてやるしかなかろうと、私は思わずため息をついてしまう。
「ではバルタザル、大聖堂の地下に安置されているという『機械の神』の神体について話してくれ」
「はい、この身が最初に見たのは二十年ほど前のことでした。礼拝奉仕者である助祭として大聖堂に入った折、指導に当たる司祭に連れられてルズ様の遺体が収められている硝子の棺の側まで近づき、そのお顔を見たのです。その時司祭は、この聖遺骸に間近で接することができることこそ、聖職者の特権であると申しました」
「では、その神体というのは、聖職者以外には開帳されていないのだな?」
「はい、皇帝にさえ、それは許されていません。ああ、ただし初代のナブリオーネ帝だけは、あの棺が大聖堂の地下に安置される際立ち会ったとされていますが……」
「それから四十年以上、聖職者だけが地下のその霊廟を見てきたというわけだ」
「はい、それがこの身が、教会の教えに疑いを持ち出したきっかけでした。本当に聖なるものであれば、信仰を持つ者すべてに開かれるべきではないのかということが」
「ただのまやかしと思ったわけか」
「いいえ、違います。ルズ様の棺から聖なる光があふれ出ていることはこの身にも感じられました。ただ……」
「ただ、何だ?」
「その時の指導司祭が後で漏らした言葉によると、そのさらに十数年前司祭が初めて目にした折の光は、もっと強いものだったと」
どうやら聖遺物のご利益がだんだん薄れつつあるということか。
「その遺体は本当にルズという男のものなのか? お前がそう信じ込んでいるせいでありがたく見えるだけではないのか?」
バルタザルの顔には葛藤が浮かんでいた。己が聖なるものと信じる対象がまがい物と疑われ、今までのバルタザルであれば怒り以外の何も抱かなかっただろう。だがそれを糾弾している相手はバルタザル自身がその聖なるものと思い込んでいる相手なのだ。今にも泣き出しそうな表情をしたと思うと突然その身を床に投げ出し、奴は私の前に這いつくばった。
「おお、主よ、この身を試さないで下さい! 私の知恵ではこの試練を乗り越えることはできません!」
どうやらバルタザルは人格崩壊直前にいるようだ。苛め過ぎたのかもしれない。もう少しこの男の妄想に付き合ってやらねば、必要な情報を聞き出せないだろう。
「立てバルタザル、お前は何を望んでこの地に来たのだ?」
バルタザルは身を起こしたが両膝をついたまま、両手を揉みしだいて答えた。
「あなた様にお目にかかるためです。最初の十三人は生きて語られるルズ様の前にいることを許されながらルズ様を裏切りました。あの者たちは与えられた恩寵を理解せず欲望に塗れて大罪を犯しました。この身はけしてそのようなことはいたしません。どうぞお側に仕えることをお許しください」
「どうして私がその聖者とかだとわかるのだ? 聖なる光など私から出てはいないだろう」
もし今、壁の向こうの隠し部屋でコデン王がこの対話を聞いているとしたら、腹を抱え、笑い出すのを堪えるのに苦労していることだろう。
「それはあなた様があの物語歌を……」
「物語歌だと!」
私は水を浴びせられたようにその言葉に打たれた。この男が言っているのはリブロが執着していたあの物語歌のことだろう。思えばリブロがとった行動はあの『物語歌いの秘密の物語歌』に端を発している。作者は三百年ほど昔のダンテ・デ・レアという詩人だと奴は言っていたが、そのレアは古典語ではなく口語であるロスマン語でそれを書いたのだ。ただその言葉が使われていたウィトゥルス半島の南部諸国は、百五十年ほど前に滅んで今は無い。
「バルタザル、お前はあの『秘密の物語歌』について何を知っている?」
「はっきりしたことを知っているわけではありません、おお主よ。ただあれはレアと呼ばれた男の作ではないと、リブロの書簡にありました」
「その書簡を、リブロはいつ書いたのだ?」
「フランツ第三軍がジプトのパルガに上陸した日です」
「リブロはその他に何を?」
「あの物語歌は不死人の書いたものだと……」