11.戦神の時 ◆11の11◆
いかにも偉そうな態度の奴だと思ったら、メルキオという男はフランツ帝国皇帝の甥であり、ウィトゥルス半島にあるネアポリス公国の君主だった。ただこの男は政治的実権を持っていない。伯父である皇帝の傀儡としてこの地位につけられたのだ。すでに成年に達しているが聖職者であるため未婚である。もし正当な継嗣がいた場合に君主権の継承が問題になる可能性があるため、独身を義務付けられる聖職者にされたのだ。当然彼は皇帝に対して不満を抱えている。軍人でもあるこの男の望むのは伯父の地位を揺るがす乱世だ。それも帝国内での騒乱でなくてはならない。期に乗じて動くことができれば、この男を縛っている黄金の鎖を断ち切ることができるかもしれないからだ。
バルタザルは機械の神に仕える機械であることの神秘に己のすべてを捧げている。彼は教会の権威など、信仰のために不可欠なものだとは思っていない。それが人々を欺き誤った道へ誘うならば真っ向から立ち向かうことも躊躇わない、そんな強い意思を持つ男だ。実はこのバルタザルという男は、大聖堂の地下に祀られたルズの遺骸をを崇める慣習に対しては否定的だ。また十三人の弟子たちが教会の創立者であるルズを嗜逆したことに対して快く思ってはいない。そして予言された蘇りという神性を感じさせる奇跡には、素直な感嘆を覚え魅せられている。
一番厄介なのはキャスパだ。この男は死にとり憑かれていて、それが美しいと思い込もうと必死だ。殉教に憧れを持ち、そのために己の命であろうと他人の命であろうと投げ捨てることに躊躇いがない。この三人の中で主導権を握っているのは実はこの老人であり、こいつがいなければ他の二人は海と砂漠を越えてここまでやって来ることなど考えもしなかったろう。
だが表向き三人は星に導かれて私を探し、シューリアまでたどり着いたことになっていた。近代占星術は宇宙を創造した神が動かす時計構造の姿を読み取り、神の意図を学び知るための高踏な技芸として帝国の知識人の間で持てはやされている。だから己の行動の指針を星の動きに求めた彼らの行動を否定するのは、貴族や知識人として上流階級に属する者には難しいことだった。そんなわけで帝国内でそれなりの地位を占める三人の旅立ちを、あえて留める者は誰もいなかったのだ。
これらのことは王城に招待された三人と個別に話すことで次第に明らかになった。アイシャーも参加したこれらの面談の中から、私たちはこれからのフランク帝国に対する政治と軍事の方針を模索していたのだ。リブロの部屋で行われたこの対話とも尋問ともつかぬやり取りを、コデン王は壁の向こうの隠れ部屋で聴取していた。多忙な王が時間をさいたことからも、この三人の星読みの来訪を王がどれだけ重要視していたかがわかる。
ペジナは茶坊主として、あるいはこの部屋の掃除や片づけをする小姓として、この話し合いの間出入りし、時には記録係としての役割も果たした。身繕いをちゃんとすると、金髪に灰色の瞳の少年はなかなか見栄えがする。リブロが課した訓練も無駄ではなく、礼儀や言葉遣いも見苦しくはなかった。その上、計数や口述筆記までできるところを見せると、三人のペジナに対する評価は高まった。だから彼らが折々に、ペジナに声を掛けるようになったのは当然の成行きだろう。
彼らとペジナが話せる共通の話題はリブロのことであった。リブロがどのような死に方をしたかについてはこの時までに彼らに説明済みであったが、この話題を私たちとの対話の中で取り上げることは彼らにとってもあまり都合のいいことではなく、互いに深入りしないようにしていた。だからリブロと一緒に暮らしていたというこの少年から、彼らがいくばくかの情報を得ようとしたのは無理もないことである。
そこで彼らが驚いたのは、ペジナがリブロの研究内容や集めていた文献について、この年齢としては信じられないほど深く知り、理解していたことである。これは実はリブロの部屋を調査した書記官たちを手伝った際、好奇心旺盛なペジナがその内容を質問し、書記官たちも退屈な調査の憂さ晴らしに、無駄に詳しく解説してやった結果であった。数名いた書記官たちは気のいい人間ばかりであったし、難解な文書を理解できるよう噛み砕いて説明するごとに向けられる少年の尊敬の眼差しにすっかり蕩かされてしまったのだ。仕舞いには一つの論文に対し複数の書記官が異なる説明を述べ、論争になることもあったという。ペジナはそこから知的な討論の作法や機微を学んだのである。
「あのペジナという少年は、利発な子ですな」
エスタタルと私が立ち会った審問の間にメルキオが話しかけてきた。ちなみに三人の扱いは亡命者とも間諜ともつかない微妙なものであった。三人が三人ともフランツ帝国内では高位の人物である上、皇帝や帝国の中枢を占める勢力と距離を置く立場を表明しているため、王も結論を出しかねていた。
「殿下、あの子の出自をご存知かな? ロマですぞ」
外務大臣の言葉にメルキオは目を見張ったが、疑わしそうに答えた。
「金髪のロマなど、聞いたことがありません」
「ああ、母親はロマではなかったそうですよ」
私が説明すると、メルキオは眉をひそめた。
「なるほど、混血というわけですか。まあ、それなら納得がいく」
「父親も、ロマの王とまではいかなくとも、それなりの地位にあったようです」
「ロマの王、ですか? ネアポリスの大公より面白そうですな」
「大公では面白くありませんか?」
「なに、畑に立っている案山子のようなものですよ」
「そうは見えませんが」
「今頃私の代わりに、どこかからカボチャを持ってきて使っていることでしょう」
「不安ではありませんか?」
「いやまったく。だいたい私は軍人になりたかった。案山子ではなくね」
「軍人というと?」
「私は元々ネアポリスの人間ではない。陸軍ですよ」
ウィトゥルス半島の中ほどに位置するネアポリスは、活火山であるウェスウィウス山の近くにある港湾都市である。ネアポリス公国は古代から貴族の保養地として人気があった海沿いの狭い地域を領土としていた。海運の要衝であることから海軍力はそれなりの規模を維持していたが、陸軍は都市の防衛にあてる数千程度にとどまっている。だがメルキオは元々フランツ帝国の生まれであり、成人する前は帝国の陸軍学校に籍を置いていた。
「その私が聖職者などになりたいと思うわけがない!」
「殿下はネアポリス大聖堂司教座になど座りたくはないと言われる」
「バルタザルあたりが適任です」
「ヌォーヴォ宮殿の主人であるのもつまらぬと」
「それこそカボチャ殿下にまかせたいですな」
「では殿下が興味を持たれるのは何ですか?」
「リブロからの報告に、骨の河原の戦いを指揮したのはライト殿だとありました」
「あれはサトゥースが……」
「ああ、その男も興味深いが、作戦全体を立案し動かされたのはライト殿ですな。リブロはものごとを読み取る能力だけには長けていた」
どうやら私はあの男を甘く見すぎていたらしい。奴はこの男に宛てて何を書き送ったのだろう。
「あんな戦い方は二度と通用しませんよ。だいたい、地形と両軍の動きがわずかでも異なっていればフランツ軍が勝利を収めていたでしょう」
「では、そのわずかな隙間から勝機を作り出したライト殿の指揮は神業ですな。凡庸な作戦は何度でも繰り返されるが、天才のそれは一度だけで誰にも真似ができないと言います」
メルキオ殿下はサトゥースと意気投合するのではなかろうか。いや同じ軍事オタクでも奴と殿下は毛色が違う気がする。奴と違って殿下は大砲に頬ずりしたりはしないだろう。
「殿下はキャスパ殿やバルタザル殿のように神を信じてはおられぬということでしょうか?」
「いえライト殿、私も神を信じております。ただそれは『機械の神』ではなく、あの紅い惑星の神、戦神なのです」
本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。
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