大魔導士ルーン。
「レオ!」
レオノーラが、まるで彷徨うゾンビの如くフラフラとメインダイニングから出てくると、廊下の向こうから声をかけられた。
「……なんだ、カイルか」
チラリと視線だけを向けたレオノーラは深い溜息をついた。
「なんだとはなんだ!…って、お前どうかしたのか?何だか顔色が悪いぞ?もしかして昨日の鼻血のせいか?」
無神経なカイルの言葉に気分がささくれ立つ。
「……昨日の話はしたくない。それより何か用?」
レオノーラはふらふらと廊下を歩きながら、後ろを付いてくるカイルにぞんざいに尋ねた。
「ああ、そうだった。お前、これから何か用事があるか?」
「ん〜、ルーン様の所へ行って禁呪の件について相談してみるつもりだけど……。何で?」
「そうか。ならば丁度良かった。ルーン様の所へ伺う前にお前に見てもらいたい物があるんだ」
「見てもらいたい物〜?なに?」
レオノーラは、いつの間にか隣に並んでいるカイルに尋ねた。
「まぁ……。説明するより見てもらった方が早い。取り敢えず一緒に来てくれ」
こっちだ、とカイルが城の奥へと踵を返した。
(……お〜い。私は行くとは一言も言ってないんだけど〜?何だか主従関係がおかしくないか?)
ついて来ることを疑いもしないカイルの背中にブチブチと文句をつけながらも、レオノーラは大人しく後を付いていった。
*
―――カツン。カツン。
背の低い石壁に囲まれた暗く狭い通路に二人の靴音が響く。今はまだ真昼だと云うのに、この場所まるでワインセラーのようにひんやりとしている。
レオノーラがカインに連れられてやって来たのは、城の西に位置する騎士団の訓練場。の更に奥。城の西端にある地下牢だった。
「お前……。本当に大丈夫なのか?さっきから様子がおかしいぞ?」
額に流れる汗を拭いながら歩くレオノーラに、カイルが訝しげな視線を向ける。
「平気平気…。ほんとに大丈夫だから」
レオノーラは軽く片手を振ると、力なく笑った。
(はぁ〜…。よりによって騎士団の訓練場の前を通るなんて…)
レオノーラは、訓練場に紫苑さん(仮)がいるかもしれないと、びくびく身を隠しながら移動したせいで尋常じゃない量の汗をかいてしまった。
「ならいいんだが……。ああ、ここだ」
カインが突き当たりにある牢屋の前で足を止めた。
「…ここ?」
カイルが示した鉄格子の中を覗き込むと、ぼんやりと蝋燭の灯りが照らす狭い牢屋の片隅に、3人の老婆が踞り身を寄せ合っているのが見えた。
腰の辺りまで伸びた真っ白な髪はボサボサに乱れ、落ち窪んだ目の下、シワシワの口元が何か言いたげにふがふがと動いている。
「え、な…なに?」
レオノーラと視線が合うと、老婆達は顔を隠すように縮こまりガタガタと震えだした。
「……お前が怖くて脅えてるんだよ」
「私が?怖い?」
小首を傾げるレオノーラに、隣に並んだカイルが、ああと頷いた。
「こいつらは昨夜の幻術使い達だ」
「…………」
たっぷり数十秒は間を置いた後。レオノーラは目を丸くして老婆達を指差した。
「え〜っ!でもでもっ、この人たち……どう見てもおばあちゃんじゃん?昨夜と着てる服も違うし!」
そう言われたカイルは、レオノーラに呆れた視線を向けた。
「服は着替えさせたんだ!『あんな物』を老婆に着せておけるわけがないだろっ!!」
『あんな物』とは踊り子風悩殺衣装のことか?確かにあの服を老婆に着せておくのはキツいかもしれない。(色々な意味で)
「そ、そっか。そうだよね〜」
レオノーラが、あははと笑うと、カイルは複雑な顔で頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。
「お前は……。どうしてこんな異常な出来事を、そんな簡単に受け入れられるんだ?!」
「え?どうしてって言われても……。禁呪が関わってるんだから何が起きてもおかしくないし。それに、カイルが嘘つくわけないから?かな」
そう言うと、カイルは一瞬目を見開いた後、プイッと顔を逸らした。耳が赤く見えるのは気のせいだろうか?
「……昨夜、城に連れ帰って取り調べをしていたら、みるみる内に老婆の姿に変わったんだ。俺の目の前でな。……じゃなかったら、こんな可笑しなこと俄かには信じられなかっただろうな」
「おお〜っ!目の前で?老婆に〜〜っ?!」
「……お前。ちょっと見て見たかったとか思ってるだろ?」
興味津々と言った様子のレオノーラにカイルが憮然とした眼差しを向けた。
「あ、あははっ……」
「まったく。……そんな楽しいものじゃなかったぞ」
カイルは不愉快そうに眉を寄せた。
(そりゃそうか。ムチムチのお姉さまが、目の前でシオシオのお婆ちゃんになるなんて…。成人男子からしたら悪夢みたいなもんだよな〜)
カイルの女嫌いが酷くなったんじゃないか?とレオノーラは少し心配になった。
「とにかく。耳も遠いし歯も全部抜け落ちてるしで、全く会話が成りたたないんだ。こいつらから事情を聴き出すのは難しそうだな…」
「そっか〜…。おばあちゃん相手に無茶な尋問もできないしね〜。それに……、この様子だと自分達が一番驚いてるんじゃない?」
レオノーラは自分を見て脅える老婆達の様子に、(もしかして私の仕業だと思われてるんじゃ…?)と小さく肩を竦めた。
「取り敢えず、俺は今から隊の者達と付近の町に聴き込みに出るつもりだ。悪いが、お前からこの事をルーン様に伝えておいて貰えるか?」
「ん〜、分かった」
二人は並んで通路を引き返した。
地下牢の入口まで戻ると、レオノーラは「私はこっちから行くから」と来た道とは別の方向へ足を向けた。
「おい、何でそっちなんだ?ルーン様の所へ行くならこっちが近道だろう?」
カイルが騎士団の訓練場の方向を親指で指し示す。
「あ〜…。ちょっとマロンの様子が気になるから、厩舎に寄ってから行くよ」
「お前……。そんなことを言って、また城を抜け出すつもりじゃないだろうな?」
カイルに疑いの視線を向けられて、レオノーラはとっさに首を振った。
「し、信用ないな〜。禁呪の件もあるし、マロンの様子を見たら直ぐにルーン様の所へ行くから!」
「…ならいい。それじゃあ俺は聴き込みに向かうから、禁呪の件は明日にでも聞かせてくれ」
じゃあなと言って、カイルは訓練場の方へと走って行った。
「…ふぅ〜。もう一度訓練場の前を通るなんて冗談じゃないよ」
カイルの後ろ姿が見えなくなったのを確認すると、レオノーラもルーン様の所へ向かおうと踵をかえした。
―――もちろん、訓練場の近くを通らない道を使って。
*
城の北東。うっそうと茂った雑木林の奥にルーンの邸はある。
ルーンの邸も、邸へと続くこの雑木林も、幼い頃からレオノーラのお気に入りの場所だ。
苔むした石畳の上には木々の隙間から差し込む光が幾重にも重なり、木立の間を吹き抜ける風がレオノーラの髪を優しくくすぐる。
細く長く続く緩やかな坂道を抜けると、雑木林から突き出るように煉瓦作りの細長い円柱の建物が見えてくる。蔦が幾重にも絡まる様子は、前世の童話に出てくるラプンツェルの塔を思わせた。
色とりどりに咲き乱れる蔓薔薇のアーチの向こう。邸の門前に、一人の麗人が立っていた。
輝く銀色の長い髪にアメジストの瞳。足首まで届くほどの長い水色のローブ姿。その様子は、まるで童話の中に出てくる妖精王のような佇まいだ。
「ルーン様!」
レオノーラはぶんぶんと手を振り駆け寄ると、ルーンにギュッと抱きついた。
「ふふふ。お久しぶりですねレオノーラ様。お元気そうで何よりです」
「ルーン様こそお変わりなくて!相変わらずのイケメンさんです」
男の名前は、ウフーラ・ノア・ルーン。優しげな風貌をしているが、こう見えてもティリレイのみならず、大陸全土に名を馳せる程の大魔導士である。
また、幼いレオノーラに魔術を指南してくれた師匠でもあった。
見た目は20代後半といったところだが、レオノーラが幼い頃には既にこの邸で隠居生活をしていた。少なくとも父王より年上なのは確かなのだが……。まさに美魔女もビックリの、美魔導士である。
「いけめん…、ですか?相変わらずレオノーラ様は不思議な言葉をお使いになりますね」
ルーンは少し首を傾げて、ふふふと笑った。レオノーラがうっかり口にしてしまう前世の言葉にも動じない。さすが大魔導士と言うべきか、繊細そうに見えて意外と大雑把な性格をしている。
「ところでルーン様はどうして門の前に?」
「貴女様の気配を感じましたのでね、お迎えしようと待っていたのですよ」
ルーンは花がほころぶように、ふわりと微笑んだ。レオノーラを見つめる瞳が光を映して神秘的に煌めく。
「……ルーン様。私だからいいですけど、誰にでもそんな態度してると相手に誤解されちゃいますよ?」
「ご冗談を。だれもこんな年寄りの相手などしてくれませんよ」
(いえいえ。全然ご冗談じゃあないんですけど……)
「……年寄りって。ルーン様って、いったい何歳なんですか?」
「それは……。内緒です」
ルーンは、ふふふと笑って口元に人差し指を立てた。
「こんな所で立ち話も何ですし、取り敢えず中に入ってお茶にいたしませんか?とても貴重な茶葉が手に入ったのです。勿論、レオノーラ様がお好きなお菓子も用意してありますよ?」
「わぁ〜い。だからルーン様大〜好き!」
「ふふふ」
一見すれば、凛々しい赤髪の騎士とたおやかな美女。仲睦まじい恋人同士にも見える師匠と弟子は、腕を組んで邸の中へと入って行った。