幻惑と幻惑。
「――なっ、なんだ!?」
「こ、こいつ!いったい何処から現れたんだい!?」
慌てふためく賊達の様子をよそに、レオノーラは女達の背後、―――座り込んでいる男へと目をやった。
背中を木の幹へ預け、ガックリとうなだれた男の服は大きく乱され、その周りには男の物だろう荷物が散乱していた。
はだけられた胸元が、規則正しく上下しているのを確認すると、レオノーラは静かに女達に向きなおった。
「お前達こそ、こんなところで何をしている?……その男に何をしていたんだ?」
ジロリと睨み付けたレオノーラに、女は悪びれる様子も見せず大袈裟に肩をすくめた。
「何をしていたって?随分と人聞きの悪いこと言ってくれるじゃありませんか。この男はあたしらの連れですよ?途中で具合が悪くなったってんで、こうして介抱してたところで…」
「ねぇ〜?」と笑いながら同意を求める女に、残りの2人も「そうそう」と頷きながらケラケラと下卑た笑いを漏らす。
いやいや。あんた達に会ったから具合が悪くなったんでしょと顔を歪めたレオノーラに、女が先を続ける。
「女ばかりで旅するのは心許ないってんで護衛を頼んだってのに、このざまで……、ほとほと困ってたところなんですよ?」
「…………、なるほど、護衛の方でしたか」
あまりの、ふてぶてしさに一瞬言葉が詰まってしまった。それでも内心の呆れを顔に出さず、レオノーラは女達に小さく頭を下げた。
「そのような事情とは知らず…、失礼しました。……実は、近頃この辺りで物騒な事件が続いていまして、この付近を警戒中だったものですから…」
「へぇ〜…。そりゃあ早く捕まえてもらわないと、おちおち外を出歩けやしないねぇ〜?」
女達はニヤニヤ笑いながら『怖い怖い』と身体を震わせた。
(そんな格好をして、よくもまあ、ぬけぬけと……)
呆れた様子で女達の姿に目を向けると、なにをどう勘違いしたのか、女ボスが猫なで声でレオノーラの腕に身体を擦り寄せてきた。
「そんなに物騒だってんなら…、騎士様が町まで護衛してくれやしないかい?お礼に……、た〜っぷりお相手してあげるからさ…」
フッと耳に息を吹き掛けられ、ゾワゾワっと全身に鳥肌が立った。精神的ダメージに動じるも、なんとか平静を装う。
「お相手って……、どういう意味ですか?」
「それは……、ねぇ?」
女はクスクスと笑いながら、レオノーラの腰や太ももを撫でまわした。
(う、うへぇ〜…)
どうやらレオノーラは女達の次なるターゲットに指名されたようだ。
ボスだろう女が目配せをすると、後ろに控えていた女達が、待ってましたとばかりに幻惑呪文の詠唱を始めた…、………………………。
……………………………。
(って、詠唱遅っ!)
しかも、微かに聞こえてくるのは下級レベルの幻惑呪文。ある程度の魔力があれば、子どもでも使えるレベルの呪文である。あれでは、たとえ成功したとしても多少動き辛くなる程度の効果しかないだろう。いくら二人がかりとはいえ、騎士団の連中が、この程度の術でどうこうなるとは思えないのだが…。
予想外にも、レオノーラの身体にまとわり付く術式は、上級レベルに迫る勢いの力を放っている。
(……いったいどんな、からくりなんだ?)
レオノーラは術者の動きを観察しながら、呪文の詠唱が終わるのを待った。
棒立ちになり、すっかり動かなくなったレオノーラを賊達が取り囲む。
「ふふふ……。ほ〜んと男なんて、ちょろいもんだね〜」
言いながら、騎士服の懐へと伸ばされた女ボスの手首は、レオノーラ大きな手に捕まれた。
「……そこから先はシークレットなんですよね〜」
「ひっ!!」
女ボスは渇いた悲鳴をあげてレオノーラの手を振り払うと、転げるように後退った。
信じられないと言った様子で、目や口を見開いている。
そんな女達に見せ付けるように、レオノーラは、ゆっくりと腰の大剣を抜いた。月明かりを映し、磨きぬかれた刀身が薄闇に浮かび上がる。
「確か……、お相手してくれるんでしたよね?」
大剣を構え、にこにこと笑うレオノーラの姿に、賊達の顔が蒼白に染まる。
「―――ど、どうして…!?」
「じゅ、術がっ……、術が効かないっ!!」
賊達が狼狽えた様子で、手首を押さえるのが見えた。
(手首で光っているのは……、水晶?そうか、あれは……魔具だな)
魔具とは、本来、回復術の補助や強化の為に用いられるものだが、稀にその効果を悪用する者もいる。女達も、あの魔具を使って術の効果を強力なものにしているに違いない。
しかし―――下級レベルの呪文は所詮下級レベル。魔具を使っても、先程のような強力な力が出せるはずもないのだが……。
(……まぁ、取り敢えず捕まえてから調べればいいか)
一人でブツブツと思案しているレオノーラを見て、女ボスが焦った様子で女達を怒鳴り散らす。
「なにやってるんだいっ!もう一度、術をかけるんだよっ!!」
レオノーラは、諦めの悪い女ボスに、これ見よがしのため息をついた。
「……何度かけても無駄なんだって〜。私には、その術は効きませから!いい加減諦めましょーよ〜」
それもそのはず、さっき賊達が唱えたのは幻惑術の中の一つで、《異性を魅惑する》術なのだ……。勿論、そんなものが同性であるレオノーラに効くはずもない。
こちらからは何もしていないのに、無駄な魔力を使い、勝手に混乱しているのだ。……既に勝負は決まっているも同然だった。
「私も、できれば手荒なことはしたくないんです。大人しく捕縛されてくれれば痛い目にあわなくて済むんですよ〜?」
レオノーラの言葉に、賊達はジリジリと後退る。
「――ふっ、ふざけんじゃないよっ!誰がお前なんかに捕まるもんかっ!……お前達!ずらかるよっ!」
女ボスの捨て台詞を合図に、賊達はクルリと背を向け脱兎の如く逃げ出した。
「…ったく、なーんで無駄な抵抗するかな〜…」
レオノーラは面倒そうに呟くと、カチンと大剣を鞘に収め、地面を蹴って走り出した。
わすか数歩で追い付いた最後尾の女の首に素早く手刀を入れる。
「ぐ…っ!」
ドサリと倒れた音を後にグングンとスピードを上げ、目の前を逃げ惑う女を視界に捕えた。
「お〜い!これ以上逃げると手加減しないぞ〜!」
レオノーラは一応、警告してみる。勿論だが止まる気配はない。
それどころか、予想外に近くから聞こえた声にパニックをおこしたのか、女は懐から短剣を取り出し、レオノーラに向かってきた。
「ひっ!ひぃぃ…!」
「うわっ…と!そんなもの振り回しちゃ危ないって、ばっ!」
狂った様に短剣を振り回す賊の攻撃を軽くかわし、振り向きざま腰に回し蹴りを入れると、ドガッ!っと離れた木の幹へ吹っ飛んだ。
「しっ、しまった!強すぎた…」
自嘲気味に呟いたレオノーラの視界の端に、必死で逃げる女ボスの後ろ姿が映った。
「……仲間を見捨てて自分だけ逃げるとか、そういうの嫌いなんだよね」
そう言うと、レオノーラは女ボスの足下に意識を集中し、左手を翳す。ハッ!と言う声と共に撃ち出された炎は、天高く吹き上げる爆炎となり女ボスの体を包み込んだ。
「ギャアァァ――!!」
焼け死ぬ恐怖にゴロゴロと転がり回る女ボスに、レオノーラは悲しげな視線を向けた。
「……これで少しは懲りてくれるといいんだけど」
女の周りに『本当の』炎が見えることはない。
全てはレオノーラが見せた幻惑なのだった……。