前編
陽は、のっそりと上半身を起こした。大きく伸びをすると、鳴り響く目覚まし時計を軽く叩き、止める。
「………………変な夢」
いや、正確には記憶……だ。
六年前の、まだ、自分が軍に入る前の頃の、記憶……。
「元気してっかな。ヴィシュヌ兄ちゃん」
その後、PBD開発関係のシステムが大きく変わり、PBDの技術士を養成する軍直属の学校が誕生。その第一期生として、焔部 陽は軍に入隊した。
極東支部配属となり、家族と別れて一人、日本にやってきたのは、たしか、あの時から考えると半年も経ってはいなかったと思われる。
その後、何度かヴィシュヌと会う事もあったが、彼が東南アジア支部配属となった二年前から、会っていない。
卒業した陽はそのまま極東支部に残り、技術者のトップとして活躍している。
『尉』クラスを表す淡い水色の制服を身にまとうと、陽は格納庫へ向かった。
「あ、少尉。おはようございます~」
「やあ。アライ君。おはよう」
廊下で同僚の新井 貴司に出会い、一緒に歩いていると、正面からやはり同僚の、北本 正康に出くわした。
「やあ。キタモト君。おはよう」
「おはようじゃないッスよ。少尉。『姫』が御機嫌ナナメで、仕事場の雰囲気最悪ッス」
またか……。陽はぽりぽりと頬をかくと、腹を括って前へ進んだ。
格納庫に入ると、一人の少女……自分と同じ階級を示す淡い水色の制服を纏う少女を囲むように、一歩離れた所から、皆が整列して立っていた。
「やあ。ルイちゃん。おはよう」
「その呼び方、やめろと何度言えばわかるッ!」
青筋立てて怒鳴る少女は、まだ、十代半ばである。しかし、彼女の言動はとても十代の、娘さんの言葉遣いとはとても思えないところがある。
京極 瑠衣。極東支部で権力を誇る京極家の次女で、現在極東支部で開発中のPBD『天十握』のテストパイロットである。
決して、腕が悪いわけではない。天才少女……ヴィシュヌと史上初のPBDパイロットの座を争った彼女の姉と比べると確かに劣るが、それは比べる相手が悪いのであって、彼女が悪いわけではない。
しかし、彼女は気分がそのまま表にあらわれる性格で、イライラすると、周りに当り散らしてしまうという、悪い癖があった。
「まあまぁ。……なんか、『天十握』に整備不備でもあった?」
「いや……その……。さすが極東支部が誇る主席技士第一号だ。お前の腕には感謝している。……って、そうじゃなくて」
赤面して、ガラにもなく誉める瑠衣であったが、本来の目的をハタと思い出し、怒鳴った。
「お前はいつになったら、私の『天十握』専属の技士になるんだッ!」
「ずっと前からやってるじゃん。『天十握』専属技士」
六年前、がらりと変わったPBDの開発システム。それは、一人のパイロットにつき、一人の専属技術者と、戦闘を誘導するオペレーターが一人つくというものである。
もっとも、一人で巨大なPBDを管理するのは無理に等しいので、技術者に関してはサブ・メカニックといって、いくつもの機体を兼任するサポートスタッフ(新井や北本らがそれにあたる)が存在するのだが、大体、三名一組×五、六チームというのが、現在の一般的なPBD小隊の規模である。
京極 瑠衣の乗る『天十握』の専属技士の欄には、焔部 陽の名が、しっかり記載されている……のだが……。
「では、あの機体はなんなのだ」
瑠衣の指差した方向……格納庫の角の方に、赤い機体がでんと居座っている。いや、別に正座とかしてるわけではなく、ちゃんと立っているのだが。
デフォルトの白ではなく、色や装甲等、少々カスタマイズされてはいるが、その基本的なフレームとなっている機体は形式番号000012。通称名『蝉丸』という、四年前にロールアウトされた旧式である。
ずんぐりとした太い腕と足、あまり機動力は期待できないが、その分、パワーと装甲に重点をおいた機体であった。
メインとなる武器は薙刀を模した長刀。その立ち姿はまさに、『蝉丸』をかまえる僧兵、武蔵坊弁慶といったところか。
「オレの『蝉丸』だけど……」
赤い『蝉丸』は、陽の私物だった。正確には廃棄直前のスクラップを拾って集め、休日に自分で修理し、組み立てたのだ。
故に、その『蝉丸』に、正規のパイロットはいない。時々、陽が調子を見るために動かす事はある。しかし、廃棄されつつある旧式の機体に、自ら乗り込もうと言う物好きは、今の所いなかった。
瑠衣は、需要の無い機体を整備するくらいなら、もっと自分の機体に集中してほしい……と言う事が言いたかったのだ。いや、実際、耳にタコができるほど言っているつもりだ。
しかし、陽曰く。
「ちゃんと時間内はお仕事してるんだから、ちょっとくらい、息抜きしてもいいじゃないか」
……との事。
事実、陽は公私の区別はしっかりつけており、勤務時間外に『蝉丸』の整備およびテストを行っていた。
おまけに、瑠衣の『天十握』の整備も完璧で、瑠衣がなにかと文句を言うと、それがどんなに細かい事でも文句一つ言わず陽は半日で、言われた事に近い仕様に変更している。二~三日もあれば、瑠衣のリクエスト通り、完璧だ。
しかし、瑠衣は気に入らなかった。誰も乗らない機体を整備し続ける事と、自分以外の機体に目を向ける陽が。
「何故、貴様はあんな旧式にうつつをぬかす。最新型……試作とはいえ、『天十握』のデザイナーは貴様だろう。あのような弱々しい旧式に目を向ける暇があるなら、もっと『天十握』の整備に力をいれろ」
「ンな事言ったって、ちゃーんとお仕事、してるでしょ? ちゃんとこないだ言われた通り、バーニアの追加装備と設定、ちゃんとやっといたし。それとも、まだなんかリクエストがあるわけ?」
それに……と、陽は言いかけ、言葉を飲み込んだ。
「……なんだ。ハッキリ言え」
「いや……その、旧式旧式って連呼するけど、旧式だから弱いってのは、ちょっと間違いでねーか。旧式とはいえ、名機は山のようにある。お前さんの駆る『天十握』だって、その旧式のデータをいくつか流用したわけだし……」
むっと、瑠衣は顔をしかめた。どうやら、陽の予想通り、プライドをいたく傷つけたようだ。
「では、『天十握』より、そのポンコツのほうが強いとでも言いたいのか。貴様は」
「誰もそんな事は言ってねーだろ」
陽も、今の言葉にはムカッときたらしい。ギッと、瑠衣を睨んだ。
「ではそのポンコツ、私がギタギタに叩きのめしてやる。もっとも、パイロットのいない時点で、私の一方的勝利だろうがな」
「ンな事させるかッ。オレが乗ってやる」
「えー!」
売り言葉に買い言葉……新井をはじめ、サブ・メカニック一同、陽の言葉に顔面蒼白になる。
「む……無理ッスよ。ホムラベ少尉。相手はプロのパイロットッスよ」
「大丈夫だ。機体の構造に関しては、パイロットよりメカニックのほうが知識量としては上だ。技術屋の根性と底力、見せてやる」
んな無茶な……北本が叫ぶ。
「知識だけじゃ勝てませんって」
「ヴィシュヌ=エンナも最初は技術屋からスタートしたんだ。大丈夫、いける」
「そりゃパイロット自体の数が少なかった頃の話でしょうが」
「隣に住んでた幼なじみだからって、天才と自分の力量、一緒にしないで下さいッ!」
新井も陽をなだめようと、割って入る。が、陽はガンとして聞かない。
「それじゃぁ、一時間後。第一競技場で。『天十握』の整備は完璧だ。まだ心配なら、サブ・メカニックの連中に言え」
「のぞむ所だ。そちらこそ、尻尾まいて逃げるな」
バチバチ……二人の視線がぶつかり合い、火花がちったようだったと、サブ・メカニックたちは後に語った。
「……第一競技場の使用許可? ルイが?」
極東支部付属PBD技術専門校パイロットコース主任教官であり、『天十握』テストパイロット京極 瑠衣の姉である京極 美樹は、彼女にしては珍しく、目を見開いて驚いた。
「中間テストはこの間終わったばかりだからしばらく使う予定ないし……別に構わないが……一体、何に使うつもりだ?」
「……さぁ?」
瑠衣の代わりに許可を求めにきた青年……教官としての立場であれば同僚、軍人としての立場から見れば副官にあたる白金 鉄人は、自分にはわからない……と、首をかしげる。
ちなみに、第一競技場は専門校の敷地にあり、中間・期末各テストの実習に使われる施設である。
「廊下で出合い頭に、大至急でミキに許可取っ手くれって言われて……。なんか無茶苦茶機嫌悪そうだったけど……。あ、あと、オダカ中尉と、暇そうにしている適当なオペレーター、一人回してくれって」
思わず美樹はずっこけた。暇そうにしてるって……あんた……。
クスクスと、二人の正面に座る男の片方が笑った。
「あ、すまない……。転属の事務作業に手間取った挙げ句、到着そうそう、妙な事になって……」
「いいッスよ。姉さん」
ごほんッ。鉄人がわざとらしく咳払いをする。
「……っとぉ、失礼。キョウゴク大尉」
男はぽりぽりと、褐色の頬をかいた。
「なんなら、オレ、いきましょうか? 一応、オペレーターやし。日本語もご覧の通りだし、他にも英語とかヒンディー語、中国語なんかもいけまっせ」
「何処で覚えてくるんだ一体……」
美樹が頭を抱えた。
男は顔つき等、身体的特徴は完全に日本人離れしているが、彼の話す言葉は実に流暢な日本語。しかも、妙に偏った関西弁だ。
「まぁまぁ、細かい事気にしなーい。あ、ちゃんとやる時は真面目にやるさかい、心配無用やで。な。兄ぃ」
「はい~。多分大丈夫だと思われます~」
びしッと、親指たてる男の隣で、コレまた妙に間延びした、のほほんとした小さな声が帰ってくる。銀のフレームの眼鏡に、白衣を纏う男に、男はつかみかかって怒鳴る。
「あほぅ、「多分」と「思われる」は余計や。ちゃんと弟のフォーローせなあかんやろ」
「あ~う~、ぷーくん、なに怒ってるんですかぁ~?」
美樹は二人のやりとりに再び頭を抱え、がっくりと肩を落とした。
陽は思わず、目が点になった。先にも述べた通り、PBDのチームは通常、パイロットとメカニック、オペレーターの三人一組である。
模擬も含め、戦闘には必ずパイロットと誘導するオペレーターが必要となる。陽は、自分のオペレーターとなる、助っ人を要請したのだが、やってきた人物は、予想外……と言うか、まったく思ってもみなかった人物であった。
「やっほー。ヨウ。なんか知らんが、おもろそーな事になっとるやん」
「ぷー……なんでお前がここにいるんだ?」
プーシャン=エンナ。陽が敬愛する、ヴィシュヌ=エンナの弟で、陽の同い年の幼なじみである。
「兄弟揃って極東支部へ、て・ん・ぞ・く。ヴィシー兄ぃはまだやけど、ザビ兄ぃと一緒に、一足早く到着したってワケや。そこんとこ、よろしゅーな」
ニッと笑って、プーシャンは親指を立てた。
「で、事情は聞かせてもろーたが、『蝉丸』とは、こらまた古い機体だねぇ。……お相手は?」
「『天十握』。極東支部製の次世代量産機の試作型で、オレが設計した機体だ」
思わず、プーシャンの顔が引きつる。
「それって……自分の機体ボコすつもりか?」
「仕方ないだろ。この『蝉丸』だって、オレの機体だ」
もっとも、『蝉丸』自体の設計者は陽ではない。
「まぁ、そのへんの事情はシャスから聞いて、知ってはいるがなぁ……」
呆れきった表情で、プーシャンが頬をかく。
「まぁ、あっちゃさんの力量は不明だが、やれるだけエスコートはしたる。貸し一つや」
「おう。あとで美味しいケーキ、おごってやるからな」
ガシッ。二人は硬い握手を交わし、競技場控え室とオペレータールームへと、それぞれ向かっていった。