プロローグ
二〇××年、アメリカ、デトロイト。
マンションの一室で、ぽりぽりとポテチをかじりながら、仕様書とにらめっこをする一人の少年がいた。
「おーい、コウ。ちょっと手伝ってくれ」
コウと呼ばれた少年は、仕様書から目を離す事無く、答える。彼の表情は真剣そのもので、とても、十歳になったばかりの少年のものとは思えなかった。
「あとで。今忙しい」
Personal Brave Doll(P・B・D)の仕様書は普通、世間的に、滅多に出回る物では無い。最近では建築作業等でPBDを使用する一般企業も増えたが、開発関係のほとんどが、連合軍の関連施設である事から、機密資料の一部とみなされ、暗黙の了解として、門外不出の資料であるといえる。
その門外不出の仕様書(加えて最新型)を、コウ……焔部 煌が、その連合軍に勤める隣のお兄ちゃんから、遊びにいったついでに借りてきたのは昨日の話。今日の午前中に返却する約束なのだ。
あと二十分。ギリギリまで粘るつもりだ。
「なんだよ、忙しいって、本読んでるだけじゃないか」
ドアの奥から一人の少年がのぞいていた。顔はつくりがよく似ている……と、よく人からは言われるが、自分はそうとは思わない。
焔部 陽。煌の四歳年上の兄である。
「何読んでるんだよ」
「PBDの仕様書。ヴィシー兄ちゃんから借りてきた」
目を仕様書にむけたまま、淡々と煌は兄に答えた。本音としたら、話す時間すら惜しい。
陽は、皿にだしたポテチに手をのばしていた手を、ぴたりと止めた。
「ヴィシー兄ちゃんの? ってことは、最新型?」
「うん」
ヴィシー……ヴィシュヌ=エンナは、隣に住む日系インド人の青年だ。現在二十二歳で、陽ら兄弟とは少し年が離れているが、彼の弟、妹は年が近い事もあり、二人とは顔なじみである。
ヴィシュヌはいろいろな意味で有名な人物だ。一昨年、PBD……いわゆる有人人型巨大ロボットの史上最初のテストパイロットの座を争った……ということで一気に名が知られたが(結局、最終的にPBD一号機には別の人物がテストパイロットに選ばれたらしいが、最初に実用、量産化されたPBD『チャクラム』は、彼の乗った試作型二号機が元となっている)、工学、生物学の博士号も持っている天才としても有名である。最近はテストパイロットをしながら、自ら進んでPBDの設計を行っているらしい。
もし、「尊敬する人は誰か?」と聞かれたら、陽、煌両兄弟は、まっ先にヴィシュヌの名をあげるだろう。
現在、彼は連合軍北アメリカ本部に所属しているが、世界中を飛び回っている。おまけにPBDの開発関係者には極秘事項が多く、世間的に隔離されている部分がある。ヴィシュヌも普段は軍の寮に寝泊まりしているので、軍の関係者以外の者が、彼に会えることは滅多にない。
しかし、ぶっちゃけると、煌たちが暮らしているこのマンション、軍の技術者たちの家族が使用する寮(ヴィシュヌの両親も、PBD開発技術者である。煌の両親も、PBDではないが軍の技士である)も兼ねられているので、週末になると、ヴィシュヌは弟や妹たちに会いに、時々帰宅しているのだ。
「なになに……『マサムネ』? おぉ、今度の最新型は日本刀だ!」
「……邪魔すんなッ」
ぬっと、背後からのぞく兄を、煌は横目で睨みつけた。ちなみに、『マサムネ』というのはPBDの通称名である。正式な形式番号名は別にあるのだが、大抵、PBDの通称は、世界中にある武器の名から、名付けられている。
「いーじゃねーか。オレにも見せろよ」
陽は仕様書を、自分の方へ引き寄せた。煌はムッとし、力を入れて引っ張る。
「今はオレが読んでるの。あと二十分以内に返却いかなきゃなんないんだぞ。その後にでも、改めて借りにいけば?」
「そんなの、ヴィシー兄ちゃんに迷惑だろ? 今あるウチに見せろよ」
「オレが借りたの!」
「さっきまで見てただろうがッ!」
お互いに力一杯引っ張った。分厚く、丈夫な仕様書も、さすがに悲鳴をあげはじめ……そして、とうとう嫌な音が響いた。
「……というわけです。ごめんなさい」
………………ヴィシュヌは終始無言で、二人の説明を聞いていた。この時、彼がどのような表情を浮かべて聞いていたのか、二人は知らない。ずっとうつむき、真正面から見据える事等、できなかったから。
しかし、ヴィシュヌはポンッと、二人の頭に同時に手をおいた。
「よく、逃げずにきたな。偉いぞ」
「は?」
顔をあげると、ニッと笑うヴィシュヌの顔があった。
「お前ら、少しはこの二人を見習え」
陽と煌が後ろを振り返ると、うつむくヴィシュヌの妹ウシャスと、その双児の弟スーリヤの姿がある。ちなみに、ウシャスのとヴィシュヌの間には、ザビトリとプーシャンという男兄弟がいるが、どうやら二人は現在出かけて不在らしい。
「……どうしたの?」
「いやな、実は、前回お前らと同じよーな事、こいつらがしでかしたんだよ」
……思わず二人は絶句した。
「で、その後の行動は、互いに擦り付けあい、挙げ句のハテには二人揃って、証拠隠滅とばかりに焼却しようとしやがった」
「………………」
「……シャスらしいとゆーか、なんとゆーか……」
陽は絶句。煌がなんとかコメントを返す。
「兄ちゃん、なんであたしの時は怒ったのに、二人には怒らないの?」
「だぁかぁらぁ、正直に言えば怒らんと、何度も言っただろうが」
ゴツッ。思わず手が出たヴィシュヌに、ウシャスは抗議の視線を送る。
「まぁ、ともかくだ。……二人とも、今度のヤツは仲良く見ろよ。コピーだから、一応予備はあるが……仕様書のように丈夫じゃないからな」
ヴィシュヌは自分の机の引き出しを開け、一冊の冊子を手渡した。
「え? また最新型?」
「まだ正式決定したわけじゃないから、最新型……とは言えないかもな」
陽が表紙をめくると、手書きの設計図のコピーが、見開きでの数ページにわたって続く。
「ずっるーい。お兄ちゃん、私には見せてくれなかったのに」
「正直者の、特権ってやつだな」
にやにやと妹を見るヴィシュヌの横で、焔部兄弟は、食い入るように、それを見ていた。
「コレは……パワーファイタータイプ?」
「へぇ。やっぱわかるか。さすがだな」
陽の頭を、ヴィシュヌはクシャッと撫でた。
形式番号000012。通称名はまだ無いようだが、設計士の名は、ヴィシュヌ=エンナとある。
「採用、されるといいね」
煌が、にっこりと微笑んだ。
「そーだな。まぁ、待ってる間は、本業に勤しむだけだけどな」
「なぁ、こいつの通称名、誰が何時決めるんだ?」
陽が声をあげた。ヴィシュヌはそうだな……と、腕を組む。
「いつ頃か……は、少しわからないが、決めるのはオレだ。……なんならヨウ、お前、つけるか?」
「いいの? やったッ!」
ずるいー。と、煌、ウシャス、スーリヤが同時に叫ぶ。
「あぁ、わかった。順番だ。順番。今回はヨウ、その次はコウにつけさせてやる。ウシャスとスーリヤはその後だ。OK?」
異議なし-と、声をそろえて言う焔部兄弟に対し、ウシャスとスーリヤは頬を膨らませ、異議あり-と、叫んだ。