第三章(2)
彼はまめなたちでそれとも始めだけ気を使ってか、食事の世話から後片付けまでしてくれていた。
「自分の家が汚くなるからな」
「たまの客にはやる。何ヶ月も一緒に暮らすならやらねー」など、彼は照れ隠しで言う。もっとも食事などはカップラーメンのお湯を沸かすことやコーヒーを入れるほか、たまにご飯を炊くぐらいでそれは料理というものではない。また、僕が寝ている間に洗濯などもしてくれていたのは有難いが、それはついでに自分のと一緒に洗ったほうが水を浪費しないで済むらしく、洗ってくれるのはいいがなんか汚いのは困る。そして気づかなかったが、部屋に古い温度計が架けられていた。それに気づいて眺めていると彼が答えた。
「壊れてんだ」
それは木の型枠は黄色、中央に水銀の温度計。黄色は茶色に変色しかかっていて、年月を重ねてあるのが見た目にわかるものだ。
「いつも三十八度。暑い日々が続くねー」
彼は冗談を言う。
「役に立たないじゃない。なぜ置いてんの」
「いや、なんかレトロでいいかなと思って。それよりいつも温度が同じって気にならない?」
「別に」
「体温だとは思わないか」
「何の……人のか」
それを聞いたとき、急に寒気を感じた。そんな言葉を無意識に返した自分に少し震えたのだ。
「ただそんな気がする。熱にうなされた女性の姿が思い浮かぶ」
「気持ち悪い」
雨が降っていて今日はいくらなんでも産廃投棄はしないだろうと休んでいたときだ。
すると開かずの間と言っていた襖を彼は開け、酒を取り出した。
「開かずの間だったんじゃないの?」
「いや、たんにいい酒が置いてあったから」
「なあんだ。飲ましてくれんの?」
彼はうなずいて、
「本当に不動産屋に言われたんだよ。押入れ等は腐っているかもしれないから開けないほうがいい。掃除するか、修理するはめになると」
「賃貸の場合、普通ハウスクリーニングしないの」
「まあ、安い家賃だから期待はしてなかったね。山に住んで絵を描きたかったのが夢だったから」
「へえ、すげー。そんなに目的もって」
「そうでもないさ。世間に逃げ腰なだけだよ。ここはほとんど廃屋同然だったし、二年でここまできれいにしたわけだ。絵になりそうな山の風景を探してここに行き当たった。本当は売りに出されていた。その看板を見て、不動産屋に電話し、頼み込んで賃貸にしてもらっているんだから」
まんざらでもない様子で彼は謙虚に、説明した。
「前は誰が住んでいたの?」
「さあ、おれも一応聞いたんだけど、不動産屋の説明によると、今持ち主は名古屋か、大阪だったかに住んでるんだと。たぶんこちらから働きに都会に出てそのままなんだろう」
「こんなに良いところなのに」
「最近でこそ田舎暮らしなんてもの流っているけど、四、五年前までは過疎が深刻でここら辺も大分空き家が増えたそうだ」
「押入れは大丈夫だった?」
「幸いにして大丈夫……でもレシートやら破かれた写真やらが散乱していたな」
「何のレシート?何の写真?」
「さあ、臭くてさっさとゴミ袋に詰めちまったし、写真もジグソーズルでさっぱり。つなぎ合わせるほど酔狂でもない」
「つないでみるとおもろいかも」
「じゃー、つないでみる?」
彼はからかうような目つきで笑う。
「まだ、あんの?」
「物置にある。あまりに量が多くて捨てるにも清掃車は来ないし、焚き火で燃やそうとしたが面倒で途中で諦めた。それだからつなぎ合わせたらたいしたものだ」
「自分が何が映っているか見たいからって。、おれはやらねーよ」
「やっぱりそうか」
彼は頭を掻きながら、トイレに行った。