第一章(2)
家から車で上りながら二十分ほど林道を走ると、会社の土地に入る道があった。その分岐点となる付近に待避所が設けられている。エロ本や空き缶など弁当のゴミなどが放り出され、空き缶などは錆びて朽ちかけているのも散見され、そこから山の上部、終点が鉱山跡まで続くはずの道を観察したところ、はみ出した草や折れた枝が被い散乱し、崩れた土砂が所々に目立つ。そんな僕の不安を察しているのか面白がっているのか、道についてそれでも曲がり角にミラーや一台ようやく通れる道幅のために待避所があると彼は述べた。
会社から指示されていたその道はかつてトロッコが走っていたそうだ。太平洋戦争直前に鉱山が鉄資源を採り尽くして閉山、その後トロッコが走ったレールを鉄の不足により国に供出してレールはまったくない。
僕らは軽トラを待避所付近に置いて歩いて上っていく事にした。パトロールする道へ侵入を阻むような乱暴な横付けだ。
「道を塞いで、置いていいのか?」
「かまわないさ。もともと会社の所有地だし、俺たちはその会社から雇われてんだから。ああ、また倒れてる」
そう言うと彼は近くに倒れていた看板を地面に突き刺した。それには「私有地のためにこの道を通る場合は許可が要ります」「事故が起きても一切の責任を負いません」と赤字で書かれていている。要するに出入り自由でその文字の下に会社名が示されているが、もう何年も放置されているものだと看板の汚れ具合と文字の擦れ具合でわかるものだった。ついでに林道側に傾いた看板も直す。それは会社の道とは関係ない市で設置した不法投棄を取り締まるものだ。市の看板が真新しいのに比べ、会社の看板は汚い。
僕はそれを見て彼に言う。
「だいぶ古い看板だね。しかも電話番号も書かれていないし、やる気あるんかね」
「あまりないんじゃないの。もともとこの道は五十年ほど前に閉鎖された鉱山に使われてトロッコレールの名残で鉄資源もほぼ取り付くし採算が採れなくなって閉山。こんな山奥では売りに出しても売れないし、使い道が見つかんないんだから。戦後に公園として使い道を考えたが途中で断念。それ以来、しばらく会社の人間は来てないし、山登りの人間が入っても看板のとおり責任は負わないと言っているし、入りたければどうぞというわけだ」
「そうなんだ。不法投棄し放題だね」
「その通り。不法投棄の看板は走ってきた林道では市で管理しているからあるが、この会社の道はまったく市の職員は見回らない。この倒れていた看板だけが注意を促している。入るのも自由、ゴミを捨てるのも自由。でも、見ての通り大きなトラックは入ったら戻れない悪路だし、軽トラなら辛うじてというところだが悪質な業者が軽トラでくるとは考えにくいし、やはり捨てに来るとしたらどんなに小さくても二トン車だ。そういうわけで業者が捨てる事はないと思うね。これから行くからわかるけど、かなりひどい状態だし、少しでも運転を誤れば車輪が道から落ちる。、へたすると谷底にそのまま落ちる。通り抜けられればまだ違うが、この道は行き止まりだし、車を反転させるスペースもあるにはあるが、今は草やら枯れ木で覆われぬかるんで下手に車を入れられない」
「なら、別に巡回しなくてもいいじゃん」
「まあ、一般の車がゴミをかなり捨ててるから、一応行政に対して調査したという名目も欲しい。仮に犯人がいたとして証拠を掴めばとりあえず良いってことだ。登山者が勝手に入ってくるくせにそのことで苦情をよく言ってくるらしいから、仕方なしついでに調べておいて、一応世間にも言い訳できるようにしておきたいのだろう。それに環境にうるさい昨今だから、万が一、変な産廃を捨てられて、谷底の川をつたって汚染物質が麓の農作物に流れたら会社側もあまり都合がよくない。下手すると裁判沙汰になりかねない」
「そんなの捨てる人間が悪いのだろう」
「さあね、そのことをまったく飛び越えて批判する人はいっぱいいる。会社の管理不行き届きだといちゃもんをつけようならいくらでも出来るし、まあ、そこまで人の悪さを考えたくないが、自分が正しいと思っている人ほど常識でくるからたちが悪いのも確かだね。まあ、会社の人がどこら辺まで考えているかわからない。一週間パトロールしろというのはとりあえず土地の状況を報告してもらいたいのもあるんじゃない」
「ふうん」と僕は鼻をならし、彼と一緒に上っていった。
到るところで道は崩れかけていて土砂が道に半分流れているし、曲がりくねっているし、しかも凸凹で車では無理に近いものだった。しかし、ハイキングにはちょうどいいかもしれないと思った。
道の途中には首なし地蔵、待人堂の一帯があるのが不思議に思えた。彼の話によると、もともと昔修験道の修行の場で、この道を使ってひと山向こうの地方で有名な大きな寺に着くという。しかし、通りやすい新しい道を作ってからはめっきり通らなくなったとのことだ。
明治時代に鉄資源が発見されてからは寺の敷地を国が強制的に取り上げて鉱山を開いたあと、戦時体制もあって盛んになり、戦後、国策会社が民営化し戦後引き継いだ。今では鉱山跡にはトンネルがあるが鉄柵で塞がれ、その近辺が野原になっている。寺までの道はあるにはあるがわかりづらく、山菜取りやハイカーがたまに訪れるくらいだそうだ。会社の所有する土地は鉱山跡までだから巡回するのはそのトンネルまでだ。
そんなことを彼から聞いて終点に着く。唐突にひらけたところだが鉱山入り口だったトンネルの柵も錆びて蔦が絡まり、そこまでいこうにもその間を背丈の高い草がふさいでいる。今では当時の名残は鉱山入り口だけだし、建物さえもない。夕方だからかもしれないが寂しげな場所だ。坑道跡のトンネルから風が唸るように発している……隆盛期の面影を無念がるように。
僕らはそこまで確認して、とりあえず明日の夜から本格的に巡回に出ようということにして、家に戻り食事を採ることになった。