最終章(1)
長らく最終章は載せませんでした。というのも、書き直して、以前お世話になった公募に出したわけです。最後と思って書き上げたのですが、やはり落ち望みは絶たれました。もはや何もない。ホラーですので、それでもなんかの足しにしてください。どうぞ。
今日は朝から雨が降っていて、それでもパトロールに出かけていた。
会社に昨夜メールにナンバーと写真を添付して送った。数時間後、ねぎらいの言葉とともに後は会社が処理すると説明がなされ、予定どおり本日をもってパトロールを終了する旨が伝えられていた。本来なら昨夜の時点で終わりでもおかしくないのに、やはり証拠を撮影したための賞与かもしれないと彼と話し少し盛り上がる。
もっとも今時そんな会社はあるはずもないのはわかっていて、単に世間の底辺に追いやられながら生きる者としてはそうでも思わない限りやってられないのは共通事項だ。
お別れを惜しみ、僕らは林道を下っていた。
「なんとか現場を押さえてよかった。一応格好がついたしね」
「ほんとうに。しばしお別れだ」
「いやしかし……」
「正直だね。ニートに近い人間はほとんどそんな感じ。人に対して冷淡で、そして長い付き合いは出来ないし、するとしてもべたべたしない」
「……図星だね」
苦虫を噛みながら僕は笑う。
「いいさ、おれもそんなもんだ。ただおまえはこの土地に来てもう呪縛されてんのよ」
彼は目を合わさず横柄に言う。
枯れ草を踏む足音に小刻みな雨が加わり始める。どうも天気が崩れそうな風が流れてきて、冷たい肌を刺す。
「何、オカルトめいたものはもうたくさんだ」
「オカルト?そうともいうのかもな。でも、そんなのはその人の経験からもたらされる逃避的な想念の一種だ」
「世間的なこと言うなよ」
「そう聞こえたら悪い。でも、そんなものは誰でも持っている資質だ。はまり込んだら生活していけない。ただそれだけで、うまく立ち振る舞うやつほど暗に陽に態度で否定し、言葉で馬鹿にして人さえも暗黙のうちに蹴落とす。なんて言いたくもないけどな。オカルトにはまるやつはようは社会の負け組だ。おれもそうだったし、おまえもそうだ。批判してくる人間にとっておれたちの個性なんて少しも認めやしない。有機的な世界の多様な生命なんて大嘘に思える。生きていりゃ、そりゃいいこともあるだろう。だが、そんなものは悪いことで簡単にひっくり返る。自分の過ちであったり、他人の欺きであったり、因果の法則が働いているんだと。そんなルートは人生に要らないがな、どうやらあるらしいよ。それは所詮社会の底辺にいれば人間の強弱で動かされる力学みたいなものだ。そんなもの感じたかないが、毎日家に居ても大きな声で中傷されていたから仕方がない。確かにそういう人間がいて今鬱屈している自分が存在しているのは痛感、まだ若い頃は何かしらの経験から膨らんだ話で指標とされるべきものを本などで探したが、見つからなかった。もっとも素晴らしい言葉に出会ってもそれが実感できるには遅すぎていた。経験から否定する気持ちが先に来る。中東のこんな言い伝えもそうだった。そう言えばどこかの偉人が山を動かして見せようと人々を山の前に連れて行く。そして、動くといいながら山の方へ歩いていった。それを見た多くの人は馬鹿にしたが、わずかの人が理解した」
「なんだそんなもの。おれも馬鹿にするよ」
「わからない?まあようは意思によって変わると教えたんだよ。今となってはおれはどうでもいい。人間の想いで世界が腐ったり、輝いたりするらしい。腐ったまなこでながめていりゃ、いつまでもそう。おれとおまえみたいに」
「一緒にするな」
「そうかい。よく信じるやつはよくそういうことを感じる。それだけ。それが事実でもないのに作り出す。そう思いたいね。しかし、世の中には思議の範囲を超えることもあるかもしれない。それは自分の経験不足なのか、それとも肉体に宿るうちは理解できないものなのか、おれはこの山に住むようになってまるでこの土地に来たことで派生していく物事を感じていた。だからおれは因果律というのはある程度成立してかもしれないからだと思っている。悪因から生じるものなのか、善因から生じていくのかわからないが、まるで負の系統樹を作り出そうとしていて、いや否応なしにその土地の思念が篭った系統樹作りに巻き込まれるような感覚はなんだろうかと。土地に来たというだけですべてが始まっているような息苦しい日々。もしかすると土地には太古から残留思念ってものはあるのかもしれない。悪いものはいつまでも生身の人間に憑こうとする。いつの時代にも残って増幅していく負の連鎖とも言えるかもしれないね。それに巻き込まれないようにするには人の内部に興味を持つな。とくにおれたちみたいな底辺の人間はひねくれているぶん、良くなんてちっとも見えはしない。ところが社会から落ちこぼれると神を信じて逆に変なものを寄せてしまう。失意のうちでわらを掴もうとする心はますますそこから離れない。それにのめりこんでいく。それが嫌なら享楽を追い、他人を追い落とし、他人の金を奪い、恨みが帰ってくるまで夢中になってやめないでいることだ」
彼はタバコを取り出す。紙マッチでかっこう良く火を点ける。それはあの展望台の男性のことを思い起こす。それは消えたその男の持ち物だった。
「だいたい、他人がいくら言ったって人のことがわかるかよ。そんなの伝言ゲームみたいなものだ。あの人はいい人だとひとりが言い、そうやって次の人に渡していく。だんだんおひれはひれがついてくる。人の噂話の場合は酷いときにはそんな良い人間を妬むし、そんな奴はこの世にいる訳がないといった感情が必ず入ってくる。仕舞いにはまったく伝言された内容が逆転して悪人になっている。まあ、そんなものは極端でまれ。だが、土地の記憶というのは違う。その土地で呪縛された人間の行為がいつまでも語り草になる。そしてその人間が死んだ後も残る。無念に死んだものほど土地に残っている。新しく生まれた人間は時を経て薄れていてそれに気がつきもしないが、まったく唐突に表出してくるんだ。そして、現れるかたちはまったく違うが同じ過ち、同じ争いが繰り返されていく。本人たちはまったく気がつきもしない。解決するまで同じことが永遠に繰り返される」
「なんか嫌な言い回しするね。おれはそんなものどうでもいいね」
「はたしてそんなこと言っていられるのか。その土地に蓄積されてきたその無念の残留思念がその時代の人に受け継がれるんだぞ。おまえもこの土地にきたことは巻き込まれているんだ。今現代という時代に生きているほとんど社会の落ちこぼれでささやかな幸せも享受できないおまえやおれが知らず知らずに呪縛され、否応なく人間関係に束縛され、社会規範に制約される。あほらしいよな、世間的には批判され、表面上自分を馬鹿にして嫌がらせしている相手にまともなことしなきゃならない。どこにも休むところさえないこの土地で!それでも目の前に幸せがこぼれていると錯覚を起こしていればまだ救いもあるだろうが、そんな中で一人ぽつんと居て見ればそんなもの見えなくなるよな。感じられなくなるよな。仕方なしに無理やり呼吸しなければならない。生きなければならないという命題はどこか世間ではよそよそしい。おれは世間的に普通と思われている人間に随分白い目で見られてきたし、おれより幸せに暮らしているくせに随分酷いことされてきた。自分がやられればその本人がどういう辛酸を舐めて生きているかわかるだろうに、普通を良いことにそいつの生活を面白がり、好き勝手に周りの人間に言いふらして。しかし、そいつらは普通と見られているからそいつらの無責任な行為や言葉は不問に付され、言いふらされたおれは勝手な憶測が飛び交い、毎日その土地の至る所でそれが災いになり、毎日それが頭から離れない。健康に悪い生活をしいる。そんな生活で前向きに暮らせなど無理があるのにやるせなくてしょうがねい。批判してくる人間にとっておれらが困っているのはそいつが馬鹿で、調子こいているからで、かっこつけているからで、当然の報いだとのごとくに。おまえもそうやろ。そういう経験を積んでいるからフリーターみたいになっているんだろ。
「正直憎しみが出ている感じだね」
返答に困りながら僕は言葉を出した。
「まあ、そういう状況では持ちつ待たれつなんてものは感じられないから。まあ、勝手に幸せにくらしゃーいいのにな。……おれたちは確かに科学技術は進歩して物質的にも便利な時代に生まれた。ところがだ、人間のやっていることはいつの時代も同じ争いごとで、科学が発展しそのまま展開していく分、複雑になり迷路にはまり込むのは当たり前だ」
「時代が良くなっている分、昔の人よりいいんじゃないの。戦争の時代より生きやすいよ」
「本当にそう思うんだったら幸せものだ。昔より自由には違いないね。だから展開されていけばよりよくなるというのは謬見だよ。それは一見物事がよりよく進行していくかに思えるが、そこには進歩という発展性はまったくないのだから」
「わりいーおれはまだそこまでいかねー」
少々不快で僕は口を尖らせた。
「まあ、累積赤字が溜まっていくようなものだから。もう破綻しているのに粉飾がなされ不思議なことにどちらかが死ぬまで気づかせないように社会のシステムは出来ている。たぶんそこを超えたところに生命の何かあるんだろうけど、うんざりへばりついて生きているだけ。合理性を求める社会のわりには効率悪い。企業の経済活動なんて欲望を充実させる競争で人間の差別化を促している。俺が言っているのは個別化とは違うよ。もちろんそれはそれで良い面もあるのだろうが豊かさを求める殺気立った背景が見え隠れする。底辺にいる人間にとって汚いところでお互い様でしかないんだから。きれいな世界などとうの昔に見えなくなっいている。……誰が好き好んでこんなことを人に言う気になるかよ」
「病んでるねー」
「人を勝手に病気にするな。程度の差はあれ、誰でもあることさ。ちょいと林の中見てくる」
笑って彼は言う。
彼は道を反れて笹が生い茂った藪の中に分け入る。
「帰ろうぜ。雨が降ってきてる。危ないって」
「大丈夫だ」
「どこに行くんだよ。戻れって!おい!」
彼は無言で片手を上げた。さよならをあらわすその後ろ背は親しみがこもっていて、たぶん前を向いた口元は冷たい笑みをこぼしているのだ。笹の葉が高く伸びたところよじ登っていく。傾斜があるぶん昨日見た獣が遊んでいるようだ。
戻るそぶりもなく次第に距離が離れ、その後姿も消えてしまった。僕は彼を追いかける気にはなれなかった。