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第六章(2)

あと一話か、どうするか。

彼のアトリエで絵を見せてもらうことになって、納屋の前に来た。普段窓は閉められていて、確かに興味はあったが彼の許しもなく覗く気にはなれなかった。それに小さなカーテンがあって見れないし、いつも彼は鍵を掛けていた。僕は彼に連れられて納屋に入ろうとするときだった。

中で物音がする。

「何かいるの!」

「いや、たぶん古い家だから風が入っているんだろう」

「そうか、足音に聞こえたが」

 彼は構わず戸を内側に開ける。建てつけが悪くて嫌な音がする。それはまるで内部で進入を阻むような摩擦音を伴っていた。そして、そう感じたことを裏打ちするように、籠もったような空気が中から出てきた。重いその湿った冷気はなんだろうと思いつつ、彼の後に続いて足を 踏み入れる。すぐに思わず後ずさりした。条件反射とはいえ、失礼だと思う。

彼が気づいて苦笑い。

「そんなに俺の絵、嫌か」

「いや。空気が篭っているぞ、窓を開けていいか」

 ごまかすように返答も聞かず窓を開ける。

そこには無数の人物画が無造作に置かれていた。そこからは彼の几帳面で繊細な性格が滲んではいるが、そんなに良い印象の絵ではない。服装は江戸時代の百姓姿、武家風の着物から、文明開化の頃のものもある。戦争期のもんぺ姿。最近の流行した柄のTシャツまであり、バリエーションだけは豊富だった。

自分が描けるわけでもないので批評はしたくないが絵の技術は甘いし、正面、斜め、真横様々な方向から対象を描いているが、そのすべての構図は小奇麗にまとまっているだけで物足りない。これらのものの一枚が展覧会で評価されるとすれば毒々しくて寂しげで憎しみ満ちた表情が存分に表現されているというところだろう。そうとしか批評しようがない。彼の内面が出ているのかもしれないが、そんなものを推し量ったって別に気持ちがいいとは思えないし、少なくとも絵から伝わってくるのは良いものではなく、他人が推測してもそれは邪推にしかならないだろう。

部屋にあるすべての人物画に共通するものがそれであり、それも同じ女性の絵だけが描かれている。毛穴から毒気が吸収される、そんな非科学的なことが頭に浮かぶ。

彼は部屋に入ると普段の冷静さはなりを潜めている。落ち着かない様子で普段衣服の中ぶら下げているネックレスを右手で持ち、しきりに心を落ち着けるように触りながら狭い納屋の中を片付けている。動作に力はないので形だけなのはわかった。

「それ何?」

 眺めたかぎりでは鎖もねんきが入っていて長年の手垢がこびり付いて古そうだ。

「五銭玉。お守りだ。妻にもらってね。戦争期に戦場に行く人に五銭玉を渡してゲンをかついだ」

「?結婚してんの?驚いた独身かと思ってた」

「いや、」

 離婚したのかと慮り、僕は無造作に置かれた新聞紙を眺める。読んでみると内容がおかしい。

「おかしな事件があるもんだな」

 新聞の記事が不自然だ。昔の新聞の紙片だが、日付のところは切れていてわからなかった。

「なんでこんなのあるの?」

「戸棚の閉まってあった皿を保護したものだ。何が書いてある?」

 沼で溺れた女性を助けた男性が表彰されたというものだ。残念ながら一ヵ月後女性は死亡したらしいがその男性を称えるものだ。不思議なことに女性がなぜそこで溺れたのかも書いていない。その後、女性が死亡したせいか名前は書かれていない。

彼は要約して説明した僕の言葉を確認するように、紙片を受け取る。

「おれの苗字と同じだが知らないな。もっともここらではよくある名前らしい」

「記事にしては下手だね。五W一Hがない」

「地方の新聞にはたまにある。大新聞のような品のいい記事も書かないし、地域に根ざしている分、何か配慮して余計曖昧に書くときがあるのさ。この沼は近くにあるぞ」

「そうなんだ。どこにある?」

「ちょうど家の下のほうで、今は沼というよりも湿地帯だな。昔はもっと水があったのかもしれないがたまにたくさん雨が降ると見えるときがある」

「あまり行ってみたい気がしない」

「そうか。思い出した。たぶんこの事件のことだ。本当はこれは助けた男性は夫で、自分で突き落としたんだ。なぜなら、彼は村の名士息子で妬みもあって村のものに馬鹿にされていた。ひ弱に育った。しかも徴兵され、それでも形ばかり歓送会が開かれていよいよ明日出征というときの夜に拒否し、妻は世間体を思って夫を非難し、それが原因でその事件が起こったんだ。名士だから隠そうとしたらしいよ。それがこの記事で、その後やはりバレて余計村の者から口汚く嫌がらせを村の軽トラを盗み、山を下り逃げる途中事故死だ」

「なんか変な話だね」と彼に言葉を返すようでもなく呟きながら、以前会った女性の話と重ね合わせていた。

「月見草がたくさん出ているな」

 窓には黄色の花びらを付けた植物が無数伸びていた。それはあまり見栄えがいい花ではないが、それでも丹念に咲いている。黄色が映えていた。

……それはその女性がガードレールに手向けていた花だった。




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