第四章(3)
先日、厳しい日差しがやわらいで、山からふたりで下界を眺めているときの会話は淡白で、ありふれたものだった。
区画された工業団地の広さ、海沿いの公園タワー、化学工場の煙突類、それが正しいかどうかは別としてすべてが人為的な意志が加えられた結晶だ。手前の山の形が麓の町並みに食い込んで陰影を加え、それが総体で眼前に迫るというのは大げさだが、それが観光用のキャッチコピーが添えられた風景ではなく、眼前に広がった比較的身近な事実だから感傷的になる。人がそこに住んでいると思うと好奇心が湧くし、不思議に感慨が浮かぶものだ。もっともそんな想いは昔のもので今は何となく苦々しいのは仕方がないと彼は言った。
それでもその風景は事実に根ざしたもので自然と言えるものだと彼は言う。
ようするに人工物があるので本当の自然ではないが目の前の風景はやはり自然であるという屁理屈だ。そのひねくれた持論を補強するために本当の自然などどこにもないというものと、人間も地球の一員でその行為も自然の流れだということから導かれた人工物も自然だという二律背反にケジメを付けるために、それぞれの人間が断定しているだけというものに過ぎないという主張をわざわざ説明された。
はっきり言って同感だが、共感する気にはなれない。それでは世間では生きていない。そんなことを言っていては日常生活に支障をきたすし、事実彼も自分も世間から追い出されていてこれまでからこれからも搾取される側の人間として生きる。それでも幸せだという玉虫色の生活だという胃もたれを秘めながら。
目の前がきれいならいいではないかと僕は眺める。細かく見ていては汚いものしか見えない。これでは夜景もすばらしいに違いないと僕は思っていた。
そして、夕方のパトロールの際に同じところで見下ろしていた。
夕暮れの映える景色だと思った。深呼吸し澄んだ空気を堪能しながら想像したとおり夜の景色へ色彩を添えるようにイルミネーションが煌めき、それは闇を少しでも平穏にするため細部を埋めるよう働きかけている。道路沿いにまばゆく群生する光は少なくとも生活感がある。そこを車が通って行くのも黄色い光の流れから伝わってくる。
その他動く光は何の光だろうかと思いを巡らせながら、やはり車だろうと訝しげに見つめる。
様子がおかしい。赤、青、黄色、緑。それは一定の光彩を放つわけではなかった。弱くなったり、強くなったりまるで生きているようだ。
しかもどうも町よりも自分の立つ山の麓に近く、手前で行ったり来たり蠢いている。あれは林道の近くではないかと思った。
あれはなんだろうかと思うと、それを察して言葉を聞く。
「UFOだ」という簡単な結論を口にされ、しかし、それには違いないがそういうものは普通頭上を飛ぶものだ。そんな非現実的な世間知を持っていて、それがどこで起こっているか……、多分見回っている林道付近をウロツイテイル。
そう思うと身震いした。
「たぶん花火だよ。誰かふざけたやろうが調子こいてこんなところでやってるんだ」
そんなことを言われる。そうあってほしい。
「ほら、人の声が聞こえるだろう」
それを裏付けるように後方から付言された。聞こえるがあまり説得力がない。確かにおまえの言葉を聞いている。大体その言葉を述べているおまえは誰だと思いながら。
……今日はおれはひとりで歩いている。
振り向く気にはなれないので足早に、駆け足で降りてった。
報告書メール(二月某日、四日目)
本日は霧が多く、林道に入っていくる車もなく、別段異常なし。