第四章(1)
夜中パトロール中道路上に石が……
第四章
会社回答メール
了解。引き続きパトロールをせよ。
真夜中になるとこれほど不安をそそるものかと多少怯えを見せている。彼は不思議となんのてらいもなく軽トラを運転していた。林道を散策しているのは昼間だけで、夜は軽トラで動くようにしている。僕らはなぜなら怖い。彼は歩くと言ったが内心やはり不安なのだろう。そう口に出した僕をからかうように「しょうがねーそうしよう」とすばやく切り替えた。
すでに何度か往復していた。月は数時間ほど前に厚い雲に包まれてしまった。夜はやはり雰囲気が違う。正直こんな時刻誰か来るとは思えないが一応それで金をもらうとなると義務感が発生していて、仕方なしにパトロールをしていた。昼間は強い日差しを避けるのにちょうどいい木々の枝も闇夜になると、背景を漆黒に染めて覆いかぶさってくるようだ。ヘッドライトだけが頼りだが、木々の幹が白く浮かび上がり、何人もの人が並んでいるようだ。少し山の陰になっているところでは網のようになっている。
高い枝からぶら下がる太いつたはそこにうなだれる何かを連想させ、不快だ。
朝まではあと約二時間というところだろうか。車に乗っているからまだマシだが、ラジオの音でごまかしてもかえって僕らが夜の森に浮いてしまっている。目立ちたくないのにかえって闇の魔物を引き寄せているような心持ちはいただけない。首なし地蔵を横目通り過ぎる。
そこは地蔵が夜になると二体になるだの、首が着いているだの、三十三観音のところにあるだの、先日彼が僕を脅かしていたところだ。
おちょこに酒を入れておくと翌日無くなっているとも言っていて、それが脳裏を掠め、思わず視線でそれを追う。暗くて見えないので安堵しているとちょうど車が衝撃音を発し、止まった。
「なんだよ」
僕は怯えが一瞬吹っ飛んだ。
「いや、車の前に石があったんだ。ぶつかっちまった」
僕らは一端ドアを開いて降りる。何か凹凸のまとまったものに見える。首?……に見えたのは気のせい……であってほしい。
彼は無造作にそれを持ち上げ、谷底に落とした。
「今のなんだ?」
「気にするな!」
彼は冷静を装うが明らかに緊張して声音が震えている。
「首じゃなかったか!そうだろ」
僕は大声で確認する。
「いや、違う石だ!いいから早く乗れ」
僕らは急いでドアを開けた。危険を感じて咄嗟に助手席に乗り込んだ僕の視界に空になったワンカップのビンが目に入る。それは昼間彼が供えたもので、酒が入っていたはずだった。その液体がなくなっているのに気づいたが黙っていようと思うと彼が気づいて言う。
「おれが飲んだ」
「何!?」
「おれが飲んだんだよ。酒は」
「うそを言うな!」
引きつった声を僕は出した。
「おれが飲んだ……と言えばすっきりするだろう」
彼はこの状況においてなお冗談を言う。そんな彼に救われているが声音は強ばっていた。
「それはそれで問題がある」
かろうじて僕は答えた。
しばらく僕らは無言で車体の揺れるのにまかせていた。
「だめだな、さっきぶつかったときパンクしてる」
車の動きが不整脈のようにぎこちない。
先ほどまでラジオから流れていたメロディーは雑音に変わる。いつもは電波の状態が悪いがそれでも聞こえていた場所である。何やらうめき声に聞こえるのはやはり置かれている状況だろう。それでも聴覚を刺激するその呻きは車内に充満する。さらに毛穴から心を浸蝕を始めそうで僕はラジオに手を伸ばす。
車体が揺れているだけに手元が定まらない。
半ば強引に叩いて何とか消えた。
しかし、それを見透かすように彼の携帯が鳴った。
例のメロディーが鳴る。
「くそ!どこか今日はおかしい」
彼は携帯を取り出す。しかし、消そうとしない。
「切れよ!」
僕は怒鳴った。
「いやだ!」
すかさず拒否の声が返ってくる。
「どうして?」
「一度おれは出たことがあるから。切ろうとしても切れなかった。そして、諦めて受話器を当てたんだよ。オマエが切れよ」
投げるように携帯を渡された。僕の手の中で鳴っている。
彼のではなかったら窓から放り出す。怖くて僕は出たときの結果を聞けず、そのまま放っておいた。仕方なしにメロディは車内を冷たく染めていく。
それでも夜が明けていた。それでもまだ光が足りない。
僕らも道を大分下ってきていた。
のどを締め付ける僕の呻きは辛うじて表出しなかった。そのまま息を潜めて明るくなるのを祈っていた。
明るくなってきているのだが霧が濃い。
「変だな」
「そういえばそうだね」
鳥の鳴き声が聞こえない。
風も無風に近い。
景色はいつもの通りで、それでも不自然だ。
「鳥がいない。まるで本当に一匹もいないみたいだ」
その僕の言葉に彼は似たように答える。
「写真の中に取り残されたようだな」
「空気がぼやけているようだ」
「それはおまえのメガネが曇っているからだろう」
「あっ!」
僕は恥ずかしながら、メガネを袖で拭き、あらためてみる。やはりそうしても現実味がないのはどうしてだろう。とにかく大丈夫だろうと彼は軽トラを止めた。とりあえず車のタイヤを交換したいとお互い思っていたのだ。僕が荷台からタイヤを降ろしている間に、彼は慣れた手つきもうジャッキを上げ始めていた。
ジャッキで車体を上げる金属の軋み音が響いている。
すぐにタイヤの交換が済んで、片付けて座席に乗りかけていたときだった。
「おおいー!」
後方から聞こえる。さっき通ってきたところだ。
「誰か居るのかな?」
先ほどの現象から不信に思うのは当然だ。
「いいから、降りるぞ!」
「でも……」
「いいから!」
彼は険しい顔で僕を助手席に促し、すぐにエンジンをかけた。淡々と運転をこなす。
しばらくすると首なし地蔵が見える。
「?あれさっき通り過ぎたよな」
僕の声はほぼ死んでいる。このまま僕らはどこに降りようというのか。そんな迷宮にとらわれているようだ。
「気にするな。わき見もするな」
「ねえ!さっき通ったよな!」
彼に同意を求めたいが同意はもらえず、焦燥気味に答えた。
「いいから。……こんな話を聞いたことはないか?」
彼はおもむろに話し始めた。
「ハイカーが山道を歩いていた。山頂に到着し気分よく帰路に着いていた。快晴だったのに途中で霧が覆い、道に迷った。そしたら、後方から自分を呼ぶ声がする。確認すると霧で見えない。気のせいと帰路を急ぎ、やはり同じような声がする。やはり誰か呼んでいるのだと踵を一端反してみる。でも、少し歩いてもいる気配はない。呼んでみると人影が動いたように思えた。さらに進みながら呼んでみる。いつまでもこちらには来ない。不思議に思いつつもまた下り始めた。すると前方に人がいるようだ。そしたら、声を上げて寄ってくる。なぜか怖くてハイカーは引き返す」
「何それ?」
「よくある話!ドッペルベルガーともいうのかも。うわっ!」
また道路上に何か転がっていた。脇を見ると誰かが座り込んでいる。……首がない。よく見ると石仏だった。やはり首なし地蔵のところだった。
「おまえ降りてどけてくれ」
声音をうわずらせて彼は神妙に言う。
「やだよ!」
「いいから早く」
こんなとき端正な顔立ちはいやに冷たい。
「おまえも降りろ!」
「さっきおれがどけたろ。次はおまえの番だ。早くしろこんなところにいれないぞ」
しぶしぶ僕は降りる。明るくなっているので多少はマシだ。やけになって勢いよくおりてほとんど目標物も見ないまま持ち上げ、谷に投げた。転がり落ちる石にやはり目が行ってしまったが……。
「あっ!普通の石だ」
「そうか」
彼は珍しく安堵の息を着く。
「酒は入っているか?」
首なし地蔵の手元付近を眺める。
「ああ、入ってる」
どういう原理が働いているかわからないがとにかく現状は回復したと思った。再び走り出し、すると前方に動く影があり、道路に沿って動いている。左右についた赤いブレーキランプが見て取れた。それにより自動車が走っているのがわかった。
現実に戻ったと幾分気持ちが楽になる。こちらは早く逃げ出したいぶんスピードに反映されていて、そのまま進めば追いつくのは確実……に思われた。
ところが、固まった心身を助手席で躍らせながら追いつくのを待った。しかし、いつまで経っても距離は縮まらない。随分速度はあるが少しも近づかない。この状況なら奇妙に思うものだった。乗っている限りこの道をこれ以上の速度で進むのは無理で、たぶんそうしたら道から外れ、運が悪かったら谷底だ。しかも前方の車はこの霧でヘッドライトを点けていないのがわかる。やはりまだ現実に戻りきっていないのか。それとも何者かが再び恐怖を煽る仕掛けを残しているのだろうか。些細なことを重ねて神経を疲弊させていくという遣り方に思え、それを否定しつつも事実がぶれているのは確かだ。彼のハンドル捌きから追いつこうという意志は感じられるが、まったく縮まらず数分後断念し、一度軽トラを止めた。
「おかしい……」
彼は眉間に汗をべとつかせ、重く呟いた。前方の軽トラも停車している。座席からふたつの影が降りて動いているがよく見えない。状況が状況であるだけに近寄りがたい。しばらく様子を窺った。しかし、今のところここを下るしかない。
「おおいー!」
意を決して窓を開けて叫んだが反応はない。どうやら再び乗ろうとしているのは見て取れた。
霧は濃いが明るくなってきているため、僕はドアを静かに開けて、そちらのほうへ歩いていく。
すると歩行速度に合わせるように離れ、そのまま足早になると、彼が行くのを止めた。
「それ以上、追うな。取り込まれるぞ!」
足を止めた僕を気にするでもなく前方の軽トラは霧に消えていった。
「なんだあれ?」
「わからんねー。ブロッケン現象みたいなものかもしれないしな」
気象条件によってそういう現象が起こることは科学的に立証されている。しかし、いろんな条件が重なって起こるものであり、その確率も低く、しかも以前貴重な映像としてテレビで流れた映像とはかけ離れていた。だいいち自分の乗る軽トラが起こしたブロッケン現象など聞いたこともない。これも科学的に説明できるとしても僕らにはその学問的知識もありはしない。ましてや誰かに経験を語って説明を求めても逆に頭を疑われるだけだ。
それから間もなく、霧は晴れ、いつもの景色に回帰した。もちろんこれが本当にいつもの景色なのか疑心に満ちていた。
やがて朝日に抱擁された首なし地蔵がたたずんでいるのを確認すると、今度は本当に安心した。
「もう大丈夫のようだ。さっさと下りよう」
僕が黙ってうなずく。のんびりしたエンジン音とともに無事降りて家に着いたわけだが僕らは極度の緊張で疲労感が漂い睡魔が襲ってきてすぐ眠った。
もちろん道の入り口まで戻ると確認した。僕らはその軽トラを見つけることはできなかったし、わだちを眺めても自分らも軽トラに乗車していたため、形跡もわからなかった。警察でもなければわからない……いやそれでも……。