第三章(3)
主にこの山の地元の文献で散見される伝説は亀石伝説と泣き虫石伝説というものであり、要約すれば亀石伝説は昔山に住む神様が海の竜宮城へ招待され、そのとき、神様に恋をした竜宮の乙姫さまが亀を使いにやった。果たされぬ恋で、神様は何度も拒否。それでも乙姫さまは亀で使いを出し続けたが、ついにしつこさに怒った神様は使いの亀を石にしてしまったというものだ。
泣き虫石伝説は昔山にある寺が興隆し、多くの人々が参詣に訪れるために参道を広げる話になった。そのためには大きな石を退ける必要があった。そのため、石工が呼ばれ大きな石を割ろうとした。すると山の主が現れ、泣いてやめろといった。そのため、それをやめ、参道は大きく曲がることになる。
実際の亀石、泣き石とも参道脇に鎮座している。いつごろからか、そんな山の語りに忌まわしきものが加わった。それはたぶんそう遠い昔ではない。
昔の語りに待人堂は逢瀬の森にあり、そこに伝わる泣き詩はインパクトはある。
「賽の川原でする音は赤子のものか、泣き声か……云々」というものが残っており、それがかつて賽の川原と呼ばれたと思われる。しかし水子供養のための地蔵などは全く残っていない。それはその一帯で鉄を掘るために取り除かれたという話だ。なぜか炭坑採掘が稼動していた頃その付近で気性の荒い鉱山労働者が殺傷沙汰になるという事件が頻発していたということで、当然その話に尾ひれがついている。
もともとあったそれらの地蔵や慰霊碑を近くの谷に投げ捨てたというまことしやかな噂があった。どこにでもありそうな言い伝えだ。その後、凄惨な事件が新たに付け加えられることになるとは誰も予想出来るものではなく、事実事件が判明したのはすべてが終わり、遅すぎたのである。
その事件は以前若い男女がいて、そこで情のもつれで、男が女を殺害するという事件があった。実をいうとこれも古い話ではないらしい。待人堂で男は首をつっただの、女の死体とともに灯油をかけて無理心中しただの、例によって真相はわからない。
とにかく待人堂の跡は今ではなく、荒れた往時の面影だけが残っている。