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その他小説

身代わりの花嫁

作者: 八島えく

 ギルド「イーグルス」の会議室にて、依頼内容がローズマリーによって伝えられた。

「今回の任務は、強奪です」

 ふわふわのロングヘアに前掛けとワンピースを着ている小さな少女に、およそ似つかわしくない単語だった。

「何だそれ」

「えーっとね、この都市のある貴族の館からね、花嫁を盗んで欲しいんだって」

「物騒ね」

 このギルドは、基本的に依頼を断らないことを売りとしているため、それが法的な問題に抵触する内容であっても引き受ける。リーダーのイーグルスは別件で今日一日は留守のため、残りのメンバーだけでこの依頼をこなさねばならない。

「ま、いいか。ローズ、詳しく聞かせてくれ」

 メンバーの一人、(すばる)は積極的だった。

「はい。……この都市に住む貴族、クーロン家には、結婚する娘さんがいるの。その娘を盗み出して欲しいんだって」

「あぁ、クーロン家ね」

 紫苑(しおん)はその貴族の名を聞いて妙に納得した。すっと目の前の空に指で触れる。すると、そこから青白い煙がむわむわと立ちこめた。煙がゆらりと揺れ、その中に幻が現れた。クーロン家の当主とその妻、そして、大切な一人娘であるマリアナがいる。

「知ってるのか、紫苑?」

「有名よ。ニーベルング王家を取り巻く有力貴族の一つ。オースティン家やワイボーグ家と肩を並べてるの。ただ、思想や理念は前の二家とは対立してるから、王家からも煙たがられてるけどね」

 幻の中の一家は、一見して幸せそうに、少なくとも昴には見える。夫婦円満で、娘も笑って会話している。家庭の事情が複雑な昴にとって、胸がちくりと痛むくらいの美しい家庭に感じられた。

「思想が対立って、クーロン家って左寄りなのか」

「そうよ。しかも面倒な左寄り。感情的で人情的。政治の世界ではまさに天敵ね」

「紫苑に酷評されるってこたぁ、よっぽどなんだな。怖い怖い」

 昴はわざとらしく肩をすくめて震え上がってみせる。紫苑の指の一ふりで、煙と中の幻は消えた。

「だから、紫苑と昴、お願いね」

 ローズは無理矢理まとめた。任務遂行に忠実な千歳人の男女二人は、確かに頷いた。

「じゃ、昴が潜入してね」

「おいおい……俺一人かよ」

「わたしは後方支援。潜入して戻ってくるまでの安全なルートを指示する。わたし、運動に関しては鈍くさいから、現場に赴いたらむしろ足手まといになる」

「違いねえな……、ま、それでいくか」

 頭をがしがし掻いて、昴はため息をつく。

「そういえば、依頼主は誰だ?」

「あ、えっとね……トウンさん」

「ジョーイ・シグムント将軍の執事ね」

「なんでそんな人が」

「さあ……?」

 ギルドに依頼を申請する際には、役所にて配布される書類に必要事項を記入し、依頼したいギルドに郵送する必要がある。必須の記入事項は、氏名と依頼内容とその詳細。差し支えなければ依頼の理由や目的を書く欄もある。

 この依頼を今、すぐに引き受けることができるのは、紫苑と昴だけだった。ローズマリーは裏方役で、事務仕事をこなしているため、依頼を引き受けることはまれである。リーダーであるセーブ・イーグルスは現在、パン屋の手伝いの依頼をしているため、無理だ。もっとも、手が空いていても無理なのはメンバー全員理解していた。クーロン家は曲がりなりにも貴族である。屋敷にはメイドが何人もいるだろう。メイド好きのリーダーのこと、まっすぐ花嫁に辿り着くなどありはしない。メイドというメイドを見つけたら、即、間抜けた口説きにかかるだろう。

「んじゃ、結構は夜の零時だな。それまでに、下見しとくか」

「そうね。今から、お屋敷を見学しておきましょう」

 紫苑と昴は、さっと訪問着に着替えて上着を羽織る。ローズはすぐに馬車を用意してくれた。

 行ってくるわね、とローズに一言残し、二人はクーロン屋敷へ向かった。

 屋敷の訪問の口実として、マリアナの結婚祝いを利用した。途中で少し高級な菓子屋に寄り道し、それなりの菓子折を購入した。これを経費で落とす。

 クーロン屋敷はニーベルングの都市クロスサークルの中心部、そして王宮付近に位置している。門前で、一度屋敷を見上げてみる。今まで何度も貴族達の依頼をこなすために館へ足を運ぶ機会があった。王宮家に仕えているから壮大だと思っていたが、今までの館とそれほど変わらないものだった。

 身分と用件を伝えた後、扉が厳かに開く。自分たちとそれほど変わらない年くらいの執事が、恭しく礼をした。

「ようこそ、天草(あまくさ)様、藤枝(ふじえだ)様。こちらへどうぞ」

 紫苑と昴は、外国でも自分たちの祖国である千歳皇国(ちとせこうこく)でも有名な家の生まれである。昴は千年近く受け継がれてきた武家で、「藤の一族」と呼ばれる一家の血をも引いている。紫苑は家柄こそ平凡なものの、父の研究や開発によって有名になった一家の娘である。一説によると、千歳皇国の学問の神の血を引いているというが、これは真実かどうか定かでない。二人があっさりとクーロン家に入ることができたのは、この血筋や一家によるところが大きい。

 二人はいったん客間に案内された。

「旦那様方をお呼びしてきます。少々お待ち下さい」

 ばたん、と扉が閉められる。それを確認したとたん、昴は客間を物色し始めた。紫苑は小さな椅子にぴんと背筋を伸ばして座っている。

「ちぇ。普通だな」

 昴はすぐに飽きて、適当に椅子を見繕ってどかっと腰を下ろした。

「品がないわよ、昴」

「いいじゃねえか」

 紫苑は呆れたが、それ以上とがめる気もなかった。

 ほどなくして、クーロン家の夫婦と一人娘のマリアナが登場した。さすがの昴も、条件反射で背筋をのばし、礼儀を尽くした。

 二人は当初の予定通り、マリアナの結婚祝いを述べ、その後は雑談した。クーロン家も、二人の家柄を信頼しているためかいろいろなことを話した。主に、娘の自慢だったが。

 数時間の雑談を終え、おいとまする頃には、かなりの情報を得ていた。クーロンの両親は、娘を大変かわいがっている。娘のマリアナも、そんな両親達を愛している。学校での成績も優秀で、今回の結婚も相手を選ぶのが大変だったらしい。ドレスも、もうできているらしい。結婚は明日一日かけて行うとか。しかも、招待状までいただいてしまった。

 帰りの馬車の中で、二人は黙って考えていた。

 なぜ、トウン・マックールはマリアナの誘拐を依頼したのか。トウンは、ニーベルング軍を統べる将軍ジョーイ・シグムントに仕える執事である。そのジョーイは、どちらかというと保守派で、クーロン家とはおそらくよろしい間柄ではないだろう。ジョーイの立場を守るために、クーロン家に痛手を負わせる腹づもりでもあるのだろうが、納得がいかない。ジョーイは、そのような手段を決して用いないし、従者もそんな主人の心情を無下にするとは考えられなかったのだ。

「ま、何にせよ、言われたからにはやるけどな」

「そうね」

 屋敷から一番近い宿屋へ到着し、二人はひとまず肩の力を抜いた。



 深夜、零時。半月の夜である。昴は闇夜でも目立たない装束に着替え、幼少時からの相棒である妖刀・疾風(はやて)を握りしめた。紫苑は館から離れた安全地帯にて昴に指示をする。昴に持たせた耳飾りを媒体に、遠くからの通信と情報を与えることができる。

 昴は、すぐにクーロン家付近の森林に到着した。

『それじゃ、昴。任務開始よ。まず裏口にまわって』

「おうよ」

 耳飾りから発せられる紫苑の声に、昴は従う。裏口には警備隊がいない。森林から玄関口を窺ったところ、警備が昼に来た時よりも厳重だった。結婚直前の花嫁がいるのだから、当たり前かと昴は納得する。裏口に誰もいなかったのは、丁度交代の時間か何かだったのだろう。

「裏口に着いたぜ、紫苑。次は?」

『扉を開けて。少し難しい作りだけど、昴なら何ともないものでしょ?』

「まーな。さってと、お仕事といきますか」

 昴はポケットから針金を出し、手中で弄ぶ。にやりと笑んで、鍵穴に針金を突っ込んであっさりとこじ開けた。

「開いたぜ。次」

『そのまま入って。そしたらすぐ目の前に螺旋階段があるから、それ上って』

「了解、っと」

 昴は言われた通りにする。厳重な警備に、随分と簡単な穴が見つかって、拍子抜けした。交代時間であるにしても、施錠くらいは徹底してもいいんじゃないのか?

 紫苑の言う通り、螺旋階段があった。

「あ、警備隊とか出てきたら斬っていいか?」

『ただし峰でね。それから、持たせた魔法玉の存在も忘れないでちょうだい。中身は特製催眠ガスだから、眠らせることができる』

 要するに、殺人は控えろと言うことか。音を立てないよう、しかし俊敏に、階段を駆け上る。

『そのすぐ目の前に、扉があるでしょう? それ開けて進んで。そしたら右に曲がって階段を上ってちょうだい。三階に着いたら、連絡求むわ』

「はいよ」

 扉を開ける。そこに、一人の見回りがいたが、昴は素早く刀身を引き抜いて、そいつの頭部に峰を叩きつけた。見回りが大声を出す前に、対処できた。

 右に曲がり、階段を見つける。こそりこそりと隠れて窺っていたが、見回りが面白いほどに少なかった。それでも見回りは一人ではないし、一人一人ご丁寧に対処していたらクーロン一家に気づかれる恐れもある。昴は柄を握り直し、一気に刀身を鞘から引き抜いた。

 すると、刀身から漂う風が廊下を鋭く走り、見回りを強く抱きしめ意識を奪った。見回りが誰も立っていないことを注意深く確認し、昴はさっさと廊下を駆けた。

 階段は面倒だから二段飛ばしで進む。三階につき、紫苑に連絡した。

「紫苑、三階だ」

『そしたら、左に曲がって。扉に花飾りが添えられてるところが、花嫁の部屋よ』

「おしっ」

 花嫁の部屋の前には二人の警備隊が直立している。

「紫苑、あいつらちょっくら黙らせてくんねえ?」

『大きな音を出してみなさい。そしたらそっちに行くから』

「二人だぜ。一人が部屋の前に残るじゃねえか。あと部屋の鍵!」

『そうね。じゃ、ちょっと待って』

 言われた通りにした。一分ほどの沈黙を破ったのは、何かが床に倒れる音だった。不思議がって花嫁の部屋を確認すると、警備隊二人が眠っていた。

「……おい、何したんだよ」

『遠隔魔法よ。これで夜が明けるまでは夢の中』

「俺が危険を冒してここまで来た意味ねえじゃねえか。あと魔法玉の存在をお前こそ忘れんなよ」

『花嫁を運べる腕力なんて、わたしにはないわ。それに忘れてないわよ』

「遠隔操作の魔法でも使え。ひゅ~んて飛ばしてさ」

『そんな便利な魔法はないわ。鍵は、自分で開けられるでしょ』

「へいへいっと」

 昴はため息をつきつつ、懐から鍵開けのための道具を取り出す。鍵穴にそれを突っ込んで、ほんの少しひねれば、かちゃりと鍵の開く音。

 さっと扉を開ける。目当ての花嫁らしき娘が、そこに座っていた。

 思わず、こくりと唾を飲み込んだ。扉を閉めるのを、一瞬だけ忘れてしまった。

 半分しか姿を現していないとはいえ、月の光はとても明るく、花嫁の顔までしっかりと映し出してくれた。

 純白のドレスに身を包んだ花嫁は、やたら高価そうな椅子に、静かに腰掛けている。こんなに深い夜だというのに、目を開いていた。

 柄にもなく、見とれた。

(……やっべ)

 昴は左手で顔を覆い、さっと扉を閉めた。

(あれ……?)

 花嫁に近づくにつれ、昴は違和感を覚えた。

 今日の昼に見た花嫁であるマリアナは、確か、腰まで届く長い髪が自慢じゃなかったっけ? ここに存在する花嫁の髪は、肩に届きもしないくらい短かった。しかも、その顔には見覚えがあった。

(こいつっ……昼間の執事か?)

 どういうことだ。ここにいるのは、マリアナのはずなのに、その花嫁はおらず、代わりに従者が座っている。

 もう一度確認する。昼間見たマリアナではない。千歳人の昴にとっては、ニーベルング人など誰も同じ顔に見えるが、見間違いではない。ここにいるのは、執事の少年だ。昴は小声で、耳飾りの向こうの指揮官に現状を報告する。

「おい紫苑。話がちげーぞ。花嫁がいねえ」

『マリアナがいないの? 変ね、依頼主の話では、確かにその部屋に花嫁がいるって』

「だが現実だ」

 花嫁の身代わりらしき少年が、ふいにこちらを見上げてきた。その目の色に生気がない。背筋をぴんと伸ばして、手を膝の上に行儀よく置く程度には礼節を知るようだが、彼の目は死人のように濁っていた。

「だれ?」

 声変わりをまだ経験していないその声にも、生気が宿っているとは思えなかった。

「花嫁を奪いに来た怪盗です」

 耳飾りの向こうから、抑揚のない声で『寒いわ。あなたってジョークのセンスがまるっきりないのね。大発見よ』と突っ込まれたが、昴は聞かなかったことにした。

「そう。でも残念だね。本当の花嫁は、この屋敷にいないよ」

「何だと?」

「信頼の置ける宿屋に、厳重な警備つきでいまごろぐっすり夢の中なんじゃないかな」

「おい、それ本当か?」

「信じても疑っても勝手だけど、僕は敵じゃない者には嘘つかないよ」

「俺を味方だと思ってくれてるってわけか」

「少なくとも敵には感じられないから」

 昴は頭を抱える問題にぶつかった。この花嫁が正直に話していると断言はできない。しかし、この話が本当なら、自分たちは任務を失敗したことになってしまう。任務失敗は、ギルドの信頼を著しく落とす原因になる。これは、昴や紫苑だけの問題ではない。恩人のイーグルスのためにも、任務失敗は何としても避けたい道だった。

 紫苑の声も届かぬほど焦っていた昴は、一瞬だけ心が静まった。

「……ん? そもそもなんで身代わりなんだ?」

 昴は、身代わりに尋ねる。夜が明ければクーロン家のめでたき結婚式である。その結婚式前に、花嫁に悪い虫が付かないよう最大限の努力をすることは大いに考えられる。これはそのための処置と考えられなくもないが、この処置はそれを差し引いても大げさすぎる。それに、花嫁の身代わりに警備を敷くことにも疑問がわく。身代わりと割り切っているなら警備などいらない。宿屋に本物がいるならなおさらだ。

「なあ、なんでクーロン一家は身代わりを置いたんだ? 結婚のための厳重処置とは思えねえ。なあ、お前、何か知ってるのか?」

「それは僕に聞いてるんだよね」

「ほかの誰に聞けってんだ。お前以外と会話なんて、端から見たら痛い子だぞ」

 他に会話する相手と言えば紫苑だが、昴はその存在を身代わりに伏せた。身代わりは視線を窓の向こうに広がる庭園に移した。

「この結婚、クーロン家は何としても阻止したいんだ」

「なんでだよ。昼間の口ぶりじゃ、すげー歓迎ぶりだったぜ」

「クーロン夫婦はね、娘を嫁に出したくなくなったの。縁談が決まった頃から、ずっと。親が娘を溺愛してるってのも大いにあるけど、嫁ぎ先が問題だった」

「確か……、オースティン家の遠縁にあたるとこだったな。なんつったっけ」

 遠く離れた仕事仲間の紫苑が、小声で『ジェイン家』と答えてくれた。

「そこはオースティン家やワイボーグ家、シグムント家と同じく保守派の一家。もともと左寄りで平等主義的なクーロン家とはそりが合わない。そんなところに娘を嫁がせたら、ただでさえ周囲とは思想的に対立している立場をさらに危うくさせる。ましてや、結婚して子供が生まれたらなおさらね」

 昴は、紫苑以上に抑揚のない声で淡々と話してくれる身代わりの話を、じっと聞いていた。

「で、身代わりだと発覚する前に結婚してしまえば、娘も自分の家の基盤も無事になる。ってわけ」

「へえ。そいつあ笑える話だぜ」

「そう。そんなわけで、残念だけど、マリアナ・クーロンは盗み出せないよ。出直した方がいいんじゃないかな、怪盗さん?」

 昴は紫苑にどうするか相談した。それを聞いた紫苑は、『ちょっと待ってて。調べてみるから』と、それっきり何も言わなくなった。紫苑の指示が来るまで暇になった昴は、興味本位でこの身代わりに聞いてみることにする。

「な、どうしてお前は身代わりなんてしてるんだ?」

 目線を合わせるために、膝を折る。身代わりの目の前に、すっと腰を下ろす。身代わりの花嫁に、忠誠を誓う儀式として跪いている姿にも見える。

「そりゃ、旦那様に命じられたからだろうね」

「そうじゃねえよ。なんでお前が白羽の矢を立てられたんだって話」

「心当たりはある。僕に今までの恩を返すつもりでやれってことなんだと思う」

「恩?」

「僕、小さい頃に拾われたんだよ」

 相変わらず、声にいまいち生気が宿らない。

「両親も住む家も食っていく金もない状態だった僕を、クーロン家は拾って執事として雇った。それなりの給料は出してくれたし、勉強する時間も与えてくれたし、まともなものを食わせてくれた。まあ、感謝するべきなんだろうね。生きてるんだし。……だけどね、あの人達、僕を見る時、いつも同情を通して見るんだ。そう考えるとね、見られてる僕としては、自分が惨めに感じてくるんだよ。居心地悪くて、ここに自分が生きてること自体、申し訳なく思えてくるんだよ」

 昴は身代わりの目を見上げてはっとした。目に生気が宿っていた。膝の上に置かれた手が、ドレスをぐっと掴む。強く握られている。

「あの人達、口じゃ絶対に言わないけど、僕を同情して僕に遠慮を学ばせたかったんだよ。だから僕はわがまま言えないし、口答えも意見もできない。そんなこと言う立場でもないんだけど。あの人達が僕を拾ってここまで仕込んだのも、ひとえに自分たちがいい人だって思われたくてやったこと。金持ちだから今更一人雇ったって金銭的に問題ないもんね。金を持ってなかったら絶対にやってない。あの人達は、そういう人たちなんだよ」

 握り拳が、ドレスに深い皺を作る。じっとうかがうと、それらは小刻みに震えていた。

「ねえ、気持ち悪いよ。顔立ちのせいでよく間違われるけど、これでも男だからさ、望みもしないのに女の格好させられるのってすっごく抵抗あるの。それにさ、本当に気持ち悪いんだよ。同情で見られるのは。視線で犯されてる感覚がしてさ。この屋敷に来てから、僕の心に平穏なんてなかった。ずっとあの目で見られて、平常心保つのが大変だった。吐いたこともあった。本当に、嫌。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い」

 身代わりはがくがく震えて、自分を強く抱きしめた。その震えが寒さからくるものではないことくらい、分かる。昴はかける言葉を見つけられない。

「でも……何か、嬉しいや。初めて、自分を同情で見ない人に会えて」

 彼は震えを止め、花嫁を盗みに来たというおかしな怪盗を正面から見つめた。その手は、再び膝の上に戻る。

 ――笑うといい顔になるじゃねえか。

 昴は、彼の身の上話に情が動いたわけではない。だが、自分も似たような境遇を経験していたからか、この少年が自分のような気がしてならなかった。同情で見られたことは決してないし、一家に味方がいなかったわけでもない。

 この身代わりを、助けたいと思ってしまった。

 そのきつく握られた拳に、そっと手を添えた。

「なあ、望んでみないか?」

「え……」

「この牢獄から自由になるのを。ここから出て、楽しく生きるのを」

 細くて華奢なその手を、すっと取る。

「僭越ながら、この怪盗がお手伝いしますぜ」

 にいっと笑ってみる。

「……キミは、何者なの?」

「たまたま依頼された、怪盗だ」

 身代わりの問いに、昴はあっさりと答えた。

『お取り込み中悪いんだけど』

「本当にな。で、何だ紫苑? 言われる前に言っとくけど、俺はこの身代わり花嫁を盗んでくぜ」

『そのことで話があるの。いいわよ、盗んで。というか、その身代わりこそ盗む対象だったんだわ』

「どういうこっちゃ」

『それは、落ち合ってからちゃんと話す』

 紫苑はそれきり黙ってしまった。

 盛大にため息をつく。紫苑は気が利くのだが利かないのだか。だが、そのわからない仲間の許可は、何よりも誰よりも心強い。

 ばんっと扉を開ける音がした。反射的に素早くそちらを振り向くと、警備隊が十人単位でこちらを睨んでいる。その手には、物騒な武器が握られていた。

「やっべ。長話が過ぎたな」

 昴は左手に疾風を握り、一歩下がって、右手を身代わりの花嫁にさし出す。

「選びな」

 花嫁は、昴を見上げ、次にさし出された手を見つめる。

 ここから出られるなら。自分が、もう籠の中の鳥に甘んじる必要がないのなら。

 警備隊の、荒れた足音が背後で響く。周囲を、囲まれていると、目で確認せずともすぐわかる。迷う理由などなかった。

 その手を、さしのべてくれた怪盗の手に、自分の手を置く。

「僕を」

 周囲で、武器を構える音が聞こえる。

「助けて」

 怪盗は笑っていた。笑って、力強く心強く、手を握ってくれた。

「助けてッ!!」

 銃弾が警備隊の円の中心に向けて真っ直ぐ向かってきた。中心にいる怪盗と、花嫁の身代わりは、弾丸による傷を負わなかった。

 いつの間にか抜かれた、昴の疾風が、弾丸を全てはじき返した。

「おやすいご用だ」

 昴はもう一度疾風を横に薙ぐ。すると、風が目の前の警備隊の者達に突進し、倒す。退路ができ、昴はその好機を見逃さない。

「ビビんなよ!!」

 昴は疾風をすぐに鞘に収め、身代わりを抱いて窓枠に足をかける。ぐっと膝に力を込め、庭園へショートカットされた道を進む。ここは三階である。荒事には慣れっこの昴でも、着地を失敗すれば足の骨を折るかも知れない。

「つかまってろ」

 身代わりは昴の首に力の限りしがみつく。悲鳴は、喉の奥に引っ込んだ。腕が自由になった昴は、疾風を抜いて、風を巻き起こした。風が、足下にぶわっと動き、足の衝撃をなくしてくれた。

 鞘へ収め、再び身代わりを抱く。

「紫苑! 盗んだぜ!」

『了解。待ち合わせ場所までまっすぐ来て。わたしもそこへ行く』

「おうよ!!」

 このおかしな怪盗は、妙に楽しそうにこの状態を味わっている。クーロン家おかかえの警備隊、ならびに軍隊に通用しそうな傭兵が命を狙っているというのに、強がりも武者震いも何もない。ただ自然体でそこに立っているだけだ。

 昴は一度、抱えていた少年を下ろした。

「ちょいと待っててくれな。そこから動くなよ。斬れちまうぞー」

「へっ?」

 身代わりの前に、庇うようにして疾風に手を掛ける。

「疾風。いつも通り力を貸してくれ」

 ふうーっと息を吐き、精神の高揚をおさえる。戦闘において、何も恐れぬ勇気は必要である。この勇気を心に宿すためには、ある種の興奮がいる。それも重要であるが、何より、何事にも動じぬ沈着さも忘れてはならない。疾風をこの手に感じ、妙な心強さを再確認できたところで、もう一度、鞘から抜いた。

「破っ!」

 風が、二人を中心にして渦になる。まるで台風の目のように、風が二人を守っている。近づこうとする輩は、例外なく切り裂かれた。

「うわあ……」

 少年は思わず感嘆の声を漏らす。自分を閉じ込めていた籠は、あまりにも簡単に破れてしまった。このおかしな怪盗がずば抜けて強いのか、自分がただ知らずに閉じこもっていただけなのか。

 風がやむ頃には、もう行く手を阻むことのできる者はいなかった。

「さってと、行くか」

「行くってどこへ?」

「仲間が待ってるとこさ。すぐ着く」

 昴の目指した待ち合わせ場所は、信頼のできる、仕事上の友人である者の経営しているカフェだった。カフェといっても、ここは夕方七時を過ぎれば、酒場とそう変わらなくなる。カウンター席の隅っこに、紫苑は行儀よく座ってのんびりと紅茶を飲んでいた。

「よ、紫苑」

「あら、来たわね」

「紫苑の言うとおりに、身代わり盗んできたぜ。でもいいのか?」

「大丈夫よ。依頼主も、それを望んでいたから」

 少年は昴の背後からそうっと紫苑を見る。敵か味方かをちゃんと判断するまで、訝るような目つきをしていた。紫苑はそれをきちんと感じ取って、味方よと諭す。

「まあ、座って。紅茶でも頼む?」

「あー、できればきっつい炭酸の飲みもんがいいや。こいつにはミルクティーでも頼むわ」

「はいはい」

 昴は紫苑の隣の席にどっかりと座った。カウンターに頬杖をついて、刀を膝に置く。

「……で、教えてくんねえか」

「何を?」

「すっとぼけるなよ! 今までの流れで俺が教えてほしいことっつったらたった一つだろが!」

「うん。知ってる。あなたに突っ込みのセンスがあるかどうか急に知りたくなっちゃって」

「そんなもん知りたがるな! で! なんでこの身代わりの兄ちゃんを盗むべきだったんだ?」

「にいちゃんって……」

 ひょろりと背高の昴に比べれば、少年の身長は紫苑より少し高い程度。昴が彼を指して兄ちゃんというのは、いささか語彙の選び違いのような気もするが、紫苑は空気を読んでその指摘を飲み込んだ。

「さっき、依頼主のトウンさんに確認したから間違いなかったわ。トウンさんは、クーロン家がマリアナの身代わりをたてて、彼女を結婚させないようにしていたことを最初から見抜いていたの。マリアナが結婚すれば、クーロン家は自分たちの立場がさらに怪しくなる。立場を死守するためにも、結婚させるわけにはいかない。だから身代わりを置いた。実際、クーロン家っていろいろと問題起こしているのよ。表立って騒がれはしないけど。王家を守るはずの家が、王制を破壊したいっていう噂も案外嘘でもないかもね。トウンさんは、自分の仕える将軍の家のためにも、王家のためにも、危険分子をなんとしても排除したかった。そのために、身代わりを盗んで欲しかった。身代わりがいなくなったら、クーロン家はマリアナ本人をお嫁に出さなければならなくなる。もう結婚式まで時間がないもの。いまさら身代わりを探し当てるなんて時間がなさすぎてできない。急にキャンセルなんて家の名に泥を塗る行為だもの。あきらめて、お嫁に行かせるしかないわね」

「だけどよ、また身代わりを出すんじゃないのか?」

「その辺は大丈夫。わたし、夜にね、忘れものしたって理由をつけてもう一度あの屋敷に戻って釘を刺したから。『最近は娘と自分の家の立場を守るために、花嫁の偽物を使って嫁ぎ先を騙す不届きな一家があると風の便りに聞いたのですが、嫌な噂ですね。もしそれが本当なら、わたしは怒りにまかせてその一家の汚らしい手口や今までやってきた愚行を世間といわず世界中にばらまくでしょうね』って」

 紫苑は紅茶をすすった。眉ひとつ動かさず、淡々と冷静に落ち着いて話す友人を、昴は恐ろしいんだか頼りあるんだかわからなくなった。

「紫苑、お前……怒ると怖いんだな」

「あら、そう? 人として当然湧き上がる感情だと思うんだけど。誰だってクーロン家の実態を知ったらわたしと同じ気持ちになるわよ」

「んじゃさ、盗んだこの子の身柄はどうすんだ? ウチで雇うか?」

 昴は顎で左隣に座っている身代わりの少年を指す。

「いいえ、トウンさんが、責任もって、預かるって」

「そっか」

 昴は出されていた、きつい炭酸のジュースを一気に飲んだ。気がほとんど抜けていて、それほど喉をひりひりさせず、なんだか損した気分になった。



 翌朝、依頼主のトウンが少年を引き取りに来た。きちんとした保護先が決まるまでは、ジョーイ将軍の下で、自分と一緒に働かせるつもりでいるという。

 身代わりの少年は、もう花嫁装束を着ることはない。今は昴のお下がりの衣装を着ていた。身長の高い昴の服なため、少年にとっては丈が合わずに苦労する代物だった。

 ギルドの外には、トウンの用意した馬車が控えている。少年は、名残惜しそうに見送りの昴と紫苑のほうを振り返る。ちなみに、リーダーのイーグルスは昨日の激務がたたっていまだに夢の毛布にしがみついている。ローズマリーは、ギルドの事務関係で、市役所に出ていた。

「な、ちょいといいか?」

 少年はトウンに目で頼む。トウンは無言で頷いて、馬車の中の整理に戻った。

「なに?」

「まだ、名前聞いてなかったな」

「ああ、そういえばそうだね。いろいろありすぎて、忘れてたよ」

 困ったように微笑む。昴は、その微笑に少しどきっとした。

「俺は藤枝昴ってんだ。こっちは天草紫苑。お前は?」

「エミリオ・グリニッジ」

「エミリオ……、リオンでいいか?」

「いいよ」

「じゃリオン。……またな」

 昴は名残惜しいのも少し感じた寂しさも一旦心の奥にしまって、笑顔で送った。

 さようならではない。また会いましょう。地理的にそれほど離れていないのだから、いつでも会えるさ、と昴は自分を励ました。

「うん。昴、またね」

 リオンは馬車に乗り込む直前、もう一度昴と紫苑の方を振り返る。惜しみなく手を振って、馬車の中へと消えていく。馬車が自分の視界から消えるまで、昴はずっと手を振っていた。ようやく目を覚ましたイーグルスが声をかけ、紫苑はすぐに中へ入る。まだ突っ立っている昴は、紫苑の呼び声に反応して、やっと中へと戻った。


なぜか急に思いついたお話です。多分、その時「カリオストロの城」を観てたのがきっかけかもしれません。

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