5話 地上の星。
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相変わらず下着姿のままのモモは、開け放たれた窓ガラスを恨めしそうに見ていた。
気風が良くチャキチャキの下町猫であるオソノは、細かいことを気にしない。
現在妊娠中であり、もうすぐ子猫が産まれるというのに、落ち着きもあまりなかった。
使い魔は魔女の子供の様な存在なのだから、モモにとっては孫みたいなものである。
とても、楽しみにしているが、ちゃんとオソノが子猫の面倒を見れるのか、モモは心配にもなった。
面倒見良く優しい子なのだが、大雑把過ぎる。
オソノの寝ぐらは、オヤツや玩具でいつも散らかっていた。
そんなオソノが開けた窓を閉め忘れることなど、日常茶飯事であった。
——まぁ、別に他の子達も閉められるわけじゃないけど。だって猫だし。羽が生えてても。
そんな愚痴を内心で漏らしながら、また身を震わせている。もう春も近いのに、寒い日だった。
仕方ない。高度に応じ、気温は下がるものである。
自然とは厳しいものなのだ。
炬燵で丸くなることもなく、元気よく遊ぶ猫たちを横目に、モモはまだプルプルと震えている。
そろそろ服を着て、下に降りようかしら? と考えた彼女は「キンコン」という音を聴いた。
それは、フロアという名のオフィスへの玄関——つまりはエレベーターの扉が、開く前兆だった。
三階下から一つずつ、呼び出し音が鳴ってゆく。
「えっ!? あっ!? う。……!? ふ、服っ!」
慌てふためいたモモは、ハンガーに吊るしておいているスーツへと駆け寄ろうとする。
「キンコン、キンコン」
だが、足をもつれさせ、転んでしまう。
床はフカフカなので、痛くはない。そして、怪我もなかった。けれども——。
「キンコン、キンコン、キンコンコーン」
到着を知らせる、ちょっと豪華な調べの後に鋼鉄の扉が開いてゆく駆動音。
エレベーターは呼び出さねば、来ることはない。
そして、モモは呼び出しを行なっていない。
つまりは、来客であった。
下着姿のままで、人前に出る訳にはいかなかった。
「ま、待って! だめ!」
だが彼女は転んでしまっている。すぐには立ち上がれないし、着替えも出来やしない。
ギーコ、ギーコ。聞き慣れた、車輪を回す音。
「あら、モモ。今日も可愛いお尻ね。また少し、大きくなってない?」
そして現実は、非情であった。
顔だけで振り向いたモモは見る。
豊かな黒髪に、アーモンド型の深い緑の瞳、その上にリムレス眼鏡を掛けている。
女性らしく丸みを帯びた身体を、無骨な車椅子に預ける身なりの良い彼女を。
「へ、ヘッティ! み、見ちゃダメ!」
「うふふ、そんなにお尻を振っちゃって。ごちそうさまですわ」
起き上がるために身を捩らせるモモに近付いてくるのは、ギーコ、ギーコと音を立てる、ビルの家主にして十五年来の親友。
ここルンディニウムの街で不動産業を営む、ヘンリエッタであった。
「あらあら、よくもまぁ毎日、飽きないわね」
そう言ったヘンリエッタが、ギーコ、ギーコと車椅子を漕ぎながら窓へと向かう。
黒猫たちはその周りを、整然として囲んでいった。
何故か、猫たちはヘンリエッタに懐いている。ボス猫的な意味で。
モモ一人では、開いた窓を閉められない。
基本来客はなく、お手伝いや従業員を雇い入れる余裕も、今のところはなかった。
「いつもありがと」
「なら、窓くらいは閉められる様になってね」
こうして毎日窓閉めに来る親友のお小言も、いつものことだ。立ち上がったモモは、スーツを身に纏う。
猫たちが大人しくなるので、一張羅の心配はしなくても良かった。
隙間風は止み、適温が保たれる。
「ちょっとテーブルで待っててねー」
お小言にはあえて応えずモモは、コーヒーメイカーに術力を通し、小さなお茶会の準備を始める。
ルンディニウムは紅茶狂いの多い街だが、モモと、そしてヘンリエッタの好みは違った。
「水筒のでも、良いわよ」
「淹れたての方が美味しいし、あれ携行用だから」
二人のお茶会で用意されるのは、たんぽぽコーヒーだった。ポトポトと、真っ黒い液体が滴ってゆく。
モモは昨夜焼いておいたラングドシャを皿に広げ、ヘンリエッタの待つ応接セットへと向かう。
あの日に出会い、脚を奪ってしまってなお、側にいてくれる恩人の元へ。
「ふぅー、ふぅー」
息を吹きかけ冷まそうとするモモとは違い、ヘンリエッタは優雅にたんぽぽコーヒーを嗜んでいる。
毎日の様に顔を合わせるのだから、そんなに話題があるではない。だが、落ち着いたこの静かな時間はモモにとって、憩いでもあった。
使い魔である黒猫たちも、行儀良くしているので。
実に即物的な女であった。
「ウェセックス公の奥様にも、随分と信用されているみたいね。公女様へ贈るティアラなんて大事なもの、そうそう任せて貰えないわよ」
「社交場に連れ出してくれたヘッティのおかげ」
そう。今請け負えている仕事の多くは、ヘンリエッタのコネによるものだった。
「その切っ掛けを商売に繋げたのは、モモの力」
借りているここ。事務所の家賃も格安であるし、正直に言えば、頭が上がらない。
なのに恩着せがましくもない友人が、眩しくも見える。
「まぁ、ウチの従業員は優秀だからね」
膝に乗って来る五十一号と八十八号を撫でている。
ジジはヘンリエッタの膝の上で丸くなっていた。
「猫だからね。蜥蜴とか蛙だったら、違うわよ」
ちょっとだけ、頷ける。花札屋さんの蜥蜴だか恐竜だかのヨシオ君や、魂を震わす蛙のゲロッパなんかみたいなのはレアケースだ。後追いも厳しい。
ボリューム層に展開するには、爬虫類や両生類というのはやや厳しいとも思う。苦手イメージも強いし。
とはいえ、ミッ○ィーは、権利的にも危うい。フでも、キでもだ。どちらかと言うと、あのネズミの王国の方が、危なかった。
ィがあった所で、どうにもならない圧力がある。
「その顔……」
ヘンリエッタが深刻な顔をする。
「あんまり、危ないことを考えてはダメだからね」
モモは素直に頷いた。資本主義の勝者たちに喧嘩を売るほど、世間知らずではない。
最大のライバルと被らぬために、ロゴは子猫でなくトマトを咥えさせている。耳を澄ませる親友に、自信満々に笑う。
「文句は言わせないわ。カントリーロードだけでは、何も出来ないのよ!」
大口がないと、猫たちの餌も賄えないのだ。従業員百を超える企業は、少しだけ苦しかった。
「流石ね。投資した分、期待しているわ」
それを言われると、弱い。有形無形の区別なく、ヘンリエッタが投資してくれたものは——。
「ふふん、何を言うのヘッティ。私が、返せる訳ないじゃないの」
「別に、利息だけでも良いわ」
とても、返せるものではない。
なのに、彼女はいつも穏やかだ。
忘れられる、はずもなかった。
十五年前、初めて箒に乗って空を知ったあの日。
あの日から変わらぬ笑顔と、変わってしまったもの。
「そうはいかないの。良い、ヘッティ。私自身のためよ」
「元気で、よかったわ」
あの日と同じく、クスクスと笑った彼女。
——なんでよ!
今だに、そう叫びたくなった。たんぽぽコーヒーの苦さでそれを胃の腑に収めるのが、癖になっていた。
「元気はないわ。お高い家賃たし」
「あら、なら」
ズイと前に出たヘンリエッタは妖艶に。
「お婿さんに来てくれない? そうすれば、無償で済むわよ?」
とんでもない提案をしていた。何度も聞かされた誘い文句だが、モモにそれを受け入れる謂れはない。
「誤解されるから、そういうことは言わないの」
「本気なのに、ケチよね」
可能ならば、それも悪くないと思っている。
けれども、それは許されるものではない。
大体、モモにはそういった趣味もなかった。
やっぱり、コミュ強お化けの旦那様が欲しい。
「それに営業させれば、経費も浮くだろうしね」
「?」
疑問符をうかべる親友に、勝ち誇った気分をしていた。この子には、言わねばならないことがある。
「慈善事業にかこつけて、趣味に走っていると言われているんだからね。気をつけなさいよ」
「趣味って何よ」
それに、返すことは出来ない。
ヘンリエッタは孤児院上がりの女の子たちを、積極的に雇用していた。それに関する中傷も聞いている。
「別に、私が口を出すことじゃないし。良いことだと思ってるわ。けど、そう思わない人もいる」
あの日のヘンリエッタがしたことを、愚かだと言った人たちの様に。
モモもそう思っていたはずなのに、あの時みたいにはもう、口には出せなかった。
怖さに負け、空を失くしたモモにその資格はない。
「愛みたいなものかな?」
怒鳴ったモモに、そう笑い返した彼女へ渡せるものは、なかった。
それからは、ずっと一緒にいる。
入院中も、学園を卒業して学府へ進学する前の、離れていた時期だって、心はずっと一緒にいた。
「何でよ……」
夏休みに遊びに来たときに巻き込まれた、死の秘宝騒ぎのときに尋ねたモモに、ヘンリエッタの通う学園のお爺ちゃんな学園長も答えた。
——愛じゃよ、愛。
あんまりな言葉に、愛ってなんなのよ! そう叫んでしまったモモだった。
——躊躇わないことじゃよ。
躊躇わないから、部外者を平然と受け入れてるのね。ボケたのかしら?
という常識的な突っ込みだけでなく、愛ってヤベーな、と思ったのは秘密である。
ボケ爺には面倒臭い因縁なんかも聞かされて、もしかしたらと頑張った。
けれど、ヘッティが死の呪いを克服してからも、足は動く様にはならなかった。
別問題なので当然なのではあるが、悔しかった。
「ヘッティって、賢そうなのは見た目だけで、結構馬鹿よね」
「賢そうな見た目なのは、モモの方よ。お馬鹿さん」
死ぬつもりであった。死んでも、仕方がないと思っていた。けれど、生かされた。
足を、未来を、夢を犠牲にして。
眩しくて、悔しくて、未だに目を見れないでいる。
「で、ヘッティ。美味い儲け話は転がってないの?」
「確か、ローゼンタールが入札をするそうね」
元軍閥直轄の兵器メイカーであるローゼンタールは今や情報機器の雄である。のみならず、総合商社として日用品にも進出していた。密林みたいなものだ。
「ラストワンも、かしら?」
「最後の一歩こそが、あそこの今求めるものよ」
入り組んだルンディニウムの街並みに、輸送車両は入れない。大企業お得意の宅配網が使えないのだ。どうしても、脚で届けることとなる。
工場間の輸送に食い込める程、「魔女の宅配便」は長距離に強くない。だが、都市部ならば話は別だ。
「ジジ、皆! 遊びの時間よ!」
これは好機だと判断したモモは、ローゼンタール公式ページへ、大量のお問い合わせを送り始めた。
猫たちによる、猫海戦術によってであった。
「……ちょっと、やりすぎじゃない?」
「戦いは数よ。偉い人もそう言っていたわ」
脚は飾りでも、大切なものはここにあった。




