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終章  CANCER    4

「奪い、逃げるというのはどういう意味ですか?」

 恋愛の話を真に受けているわけではないが、パンクレー医師がそう表現したからには、何か根拠があるのではと思った。


「それは、つまり……。オンコジーンという名前は聞いたことがありますか?」

 医療の知識が乏しい私には皆目見当がつかない。首をかしげていると、医師は続けた。


「オンコジーンというのは、オンコはガンを意味し、ジーンは遺伝子を意味する言葉です。分かりやすく言えば、ガンを作るための設計図といったところでしょうか。これによってガンは作られたのです」

 医師は冷めたコーヒーをすすりながら、もう一枚違う写真を見せてくれた。英語の文字や記号が立体的に並んでいる。二重らせん構造や、そこから作り出されるタンパク質の分子などなのだろう。


「オンコジーンは、六つの領域から出来ています。変化変異を表す領域の『ras』系の三種類、増殖系領域の『myc』系の三種類があって、全てが共鳴してガン化することが知られています。ルイが生きていくためには、このオンコジーンの地図が必要だったのかもしれません。彼が生きていくたった一つの残された選択肢だったのでしょう。なるべくしてそうなったとしか言いようがありませんが」

 ウイルスが生きていくために選んだ道、それがガン化だという。ウイルスにとって、それは奇跡に近い出来事なのだと。だが、それを許したのは宿主、つまり私自身なのだ。


「だが、あなたの体もそれを黙って見過ごしていたわけではありませんよ。そう、頑張ったはずです。ルイを体内で生育させないために、みんなで協力したはずです」

 医師はますます力が入る。


「まずは、ルイがシュリに出会って『刺激』を受けた段階。この段階では、免疫機能ではする術はありません。まだルイが悪者かどうか分からないからです。仕方ありませんね。普通のウイルスなどでは、その場で駆逐されるタイプのものが多いですが、ルイのような特殊なウイルスはその防犯網を潜り抜けることができるのです。実際、一分間に数十個のガンの基になる遺伝子損傷などが起きていますが、そのほとんどは修復され、残りは自滅するようにプログラミングされているのです」

 刺激は、日常の事のように起きており、防ぐ類のものではないという。


「次に、『進化』を遂げる。ルイの中に今までになかった感情が芽生え、あらたな境地へと進む。もしかすると自己犠牲などもあったかもしれない。宿主に寄生して生きるウイルスにとっては、普通ならありえないことですが。そんなルイが、オンコジーンを手にするのです。それがガン化というプロセスを歩むことになろうとは露も知らず、生き延びるためのたった一つの残された手段として」

 今まで共存の道を歩んできたウイルスとの決別。彼等を駆逐するか、それともされるのか。その道を分けたものとはいったい。


「オンコジーンを紐解いたルイも、それだけではまだガン化には至りません。前段階ということです。だけども、ガン化したことには変わりない。この時より、あなたの体内の免疫機構が、ありとあらゆる作戦でガン化したルイを退治しようと目論んだはずです。そうしなければ、宿主のあなたの生命が脅かされるということをインプットされているからです。ですが、この時期などに、暴飲暴食などは、細胞にとってみれば災難、つまり天災みたいなものです。それによって、免疫から守られていた可能性もあります」

 ガンの芽と免疫機構との戦い。それに勝利しなければ、未来はない。つまり、俺の免疫は負けたということなのか。それも免疫を下げる努力を自らしていたというのである。


「おっと、その前に大事な人物の紹介を忘れていました。全ての段階で何からかの影響を与えていると考えられているエピジェネティクス。名前がややこしいので、『ジェネ』にしますね。細胞分裂時に伝えられる染色体以外の情報というのが、このジェネなのです。彼女には、近未来が想像できていたのかもしれない。まだガン化の前段階で気付けるのは、彼女くらいなものかもしれません。だが、彼女にはそれを阻止することも、伝えることも出来ない。術がないのです。あるとすれば、活性酸素を阻止する野菜などに含まれるカルテノイドのリコピンの『リコ』を連れてきて、ガン化細胞の増殖を抑えることくらいしか出来なかったのかもしれませんが、オンコジーンを手にいたルイにしてみれば、何の障害にもならなかったのでしょう」

 体内に、ガン化を知る者がいたという。だが伝えれない。伝える術があれば、また違った結果となっていたのかもしれない。


「そうして、ガン化して行くのですが、まだこのままではガンは大きくはなりません。イニシエーション、つまり開花しなければならない。ガンの芽が花開く。やはり、開花するには、ルイだけの力だとは思えません。何か手助けがあったに違いない。もしかすると、シュリがそれを導いたのかもしれない。栗夏との破局から、シュリの生きる道に少し変化があったのかもしれない。とにかく、オンコジーンは開花した。そしてルイは生き延びたのです」

 私の中の因子が、ガン化に手を貸したというのか。どこかで狂い初めていたというのだろうか。


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