終章 CANCER 3
パンクレー医師は、その外見に劣らず、性格も温厚だった。
「原因は、感染したウイルスが原因でしょうね」
そういってウイルスの写真を一枚みせてくれた。楕円形からいくつも足が生えている生物。これがウイルスなのか。初めて目にする異物に心が奪われる。
「羽の衣を着たような生き物でしょう?私には彼等が悪者には思えなくてね。分かりやすいように、『ルイ』と呼んでいます。ルイがあなたの体内に潜入したのは、随分昔なのだと思いますよ」
全てはパンクレー医師の推測に過ぎない。だが、彼の話には、引き込まれるだけの説得力があった。
「つまり、ウイルスであっても、予防するとか、そういう類の話とは違うということですね」
私は、身を乗りだし、真実を聞こう、知ろうと必死だった。
「そうです。ルイはずっと以前からあなたの中であなたと共存の道を選択して来たのでしょう。だが、ある時、その均衡が崩れるときがやってきたのです。ルイは、生体内ホルモンのインシュリンの製造遺伝子に接触してしまったのです」
パンクレー医師の話を全て理解できるわけではない。広告会社で長年働いてきた私にとって、医療や医術などとは縁のない世界の話なのだから致し方ない。
「もう少し分かりやすく説明してもらってもいいですか?」
パンクレー医師は、嫌な顔ひとつせず、あれこれ考えながら話を続けてくれた。
「つまり、ルイはインシュリンに恋をしたのですなぁ。インシュリンは『シュリ』と呼ばせてくださいね。女性風にね。ルイの片思いなのかな、と思っていたんですが、どうやら、シュリもその思いに答えたのですよ」
いつの間にか病気の話が、恋愛の話にすり替わっていたが、分かりやすく例え話にしてくれているのだと感謝した。
「なぜ、答えたと分かるんですか?」
勝手なウイルスの恋に、なぜ私の生体内のホルモンが答えなければならなかったというのだろか。
「ま、気まぐれな恋ですから、何故かはわかりませんが。その結果、ルイとシュリは一緒に生きていくことになったことは事実です。そして、そのおかげで、あなたは今まで健康だったのかもしれませんしね」
パンクレー医師は、三枚目の検査値の数値に鉛筆で丸を付けながら続きを話した。
「この数値は、グルカゴンというホルモンの値を示すものなのですが、あなたの数値は普通の人と比べて多いのです。このグルカゴンは『栗夏』と私は呼んでいます。この栗夏とシュリは本当は仲がよくて、愛し合うべき理想の相手となるはずなのですが、どちらかがそれを拒否したのでしょうね。栗夏の性格の悪さが際立ったのか、シュリの意固地からそうなったのか、今となってはどちらかは判断がつきませんが。とにかく、あなたの生活習慣が、どちらかの結果へと結びついたことは想像できます」
生活習慣病、医師はそう言っているのだ。原因の一端は私にあるのだと。
「もしかすると、ルイは、シュリを救おうとしていたのかもしれません。バランスの崩れた世界から。それはちょうど押さえ付けられた権力から逃れるかのように。だが、ルイはシュリを救うことが出来なかった。仲間などいないルイには、シュリを自由にすることなどはできなかったのです。だから、シュリを奪い逃げるしか道がなかった。そしてシュリもそれに賛同したのです。そうして二人は結ばれた」
まるで自分の新婚時代でも思い出しているかのように、パンクレー医師は熱く語る。素人には分からないが、未知なる世界を知る人たちは、皆同じように魅せれているのかもしれない。