第一章 シグナル(刺激) 6
情報を整理すると、朱里に関する悪い噂は根も葉もない情報で本当はやさしく気立てのよい娘だということ。
朱里のファンは多く、信頼されており、美人であるということ。
お金持ちではあるが、周囲の人からは感謝されている一族だということ。
俺はホテルから朱里の部屋を望遠鏡で観察していた。
夜は十二時を迎えようとしていた。月が出て来ており、朱里のいるビルは最上階までくっきりと見える。
最上階は電気がついており、カーテン越しに人の気配があった。
「何故、爺の情報とは違う」
苛立ちを抑えきれず、飲み終えたビール缶を床へ投げ捨てる。
その時、望遠鏡の向こうに、突然女性が現れた。
朱里だ。写真で見るより、ずっと大人っぽく見える。
黒髪は背中がすっぽり隠れるくらい長く、蛍光灯を反射して頭の上で光りの和が出来ている。
すらっとスタイルもよい、非の打ち所がない女性だ。
カーテンが閉まっていない一室があり、そこから彼女は外を眺めていた。
一瞬、目が合ったような気がした。
彼女の透き通った黒い瞳に吸い込まれそうになり、あわてて望遠鏡から眼を離した。
今回のターゲットが彼女ではなかったら……爺の依頼を受けたことを後悔し始めていた。
今まで、殺す相手に感情移入したことは一度もない。
それは、其れ相応の悪事という裏づけがあったからである。
あくまでも仕事の一つと、割り切って殺すのがプロの仕事であろう。
だが、今回だけは事情が違う。彼女を殺すことができるのであろうか。
翌日、俺は仕事にとりかかった。
潜入して彼女に近づくことにした。
いつもはこのようなまどろっこしい方法は取らないのだが、今回の指令は「自殺にみせかけて殺す」ことにある。
そうなると、自殺するような環境をつくらなければならない。
昨日、警備員のシーズに、仕事がなくて困っているので警備員見習いにして欲しいと嘆願し、とりあえず面接しれくれることになっていた。
シーズは多くいる警備員の中でも主任クラスで、彼の意見は概ね通るという人物だった。
お陰で面接もすぐに終了し、早速警備員見習いとして働くことになった。
「ほら、あれが朱里さんだ」
ビルの一階から五階までは吹き抜けになっており、ガラスで囲われたエレベーターが降りて来るところだった。
今日は髪を後ろで縛っており、顔がくっきりと見える。
「おはよう、シーズ」
エレベーターを降りて、まっすぐ玄関へと歩いて来たところで、俺とシーズの警備している方へと顔を向けた。
「あら、新人さん?」
シーズの横に立つ俺を見て、新人と気付いた。彼女は警備員顔を皆覚えているのだろうか。
「今日から見習いに入った、ルイスだ」
シーズが俺を紹介してくれた。『ルイス』はいつも使う偽名のひとつだ。
「頑張ってね!ルイスさん」
そう言って、まるで天使のような笑顔を見せ去って行った。
俺は胸の奥で鼓動が早まるのを感じた。今まで恋などろくにしたことはない。だからこのような感覚は初めてだった。
冷徹な殺人鬼、それがヒットマンだ。感情などあってはならない。そう訓練されてきたのだ。




