第三章 オンコジーン(変異) 3
空きビルの中へ入ると、地下へと続く階段があり、俺と朱里は急いで駆け下りた。
昼間であるが、地下は薄暗い。だが、予め用意しておいたロウソクのお陰で躓かずに進むことが出来た。
「さあ、着替えて」
地下には朱里に合う洋服が用意しておいてある。動き易い格好で、靴もスニーカーを用意した。顔を隠すように帽子も用意したが、これは男物だ。逃げることが最優先される。なるべく目立たない方がいい。
「隣の部屋でまってる」
少し気を使い、朱里を一人にしたが、全ては計画の通りだった。無駄な時間はない。
朱里が着替えをしている間に、俺は予め穴を空けておいた床に縄はしごを下ろす。その下は地下道になっており、用水路が通っていた。
「準備できたわ」
Tシャツにジーンズという、色気のない服装だが、それでも朱里の可愛さは際立っていた。
脱いだウエディングドレスは、ダンボールへと詰められ、そのままミイフに朱里の家まで届けてもらう手はずになっている。
地下道を用水路伝いに水の流れる方向へと行くと、ベタとアルフを結ぶ運河へと出る。
用水路の最後は鉄格子が嵌っていて、人が通ることはできない。
背後から、追っ手が来ている声がする。急がねばならない。
鉄格子に仕掛けてあった小型の爆弾を遠隔起動させ、鉄格子を吹っ飛ばした。
同時に、橋の背面に隠してあった小型ボートの固定してある綱も切れるようにセットしておいた。
鉄格子を抜けると、目の前にボートが落ちてくる。
朱里の手をしっかりと握り締め、朱里も遅れまいと必至について来てくれた。
もう、この手は離さない。
「頭を低くして」
ボートに乗り込んだ当たりで、警備員達に追いつかれた。やつらは拳銃を乱発してくる。
小型のボートは勢いよく滑り出し、あっという間に敵を豆粒くらいに見えるほど遠ざかり、自由の海へ先へ先へと進んだ。
「朱里、ありがとう。よく決意してくれたね」
陽はまだ高く、水面に反射する光りもまた心地よかった。
なにより、そこに朱里が居る事がうれしかった。
「ううん。こちらこそ。ルイがしてくれたことは、全て私のためだったのね。ありがとう」
少し照れながら、そっと近くに朱里の匂いがした。
今まで感じたことのない感情、暖かくゆっくりとした包み込まれるような空気。
「昨日ね、父と母と話をしたの。父と母がしたことは、許されないことだし、栗夏の悪態も事実だったし。それに私が結婚したところで、ベタの街はもう栗夏のいいようにされるだけだし……」
悔しさからだろうか、寂しさからだろうか分からなかったが、朱里の眼には涙がいっぱい溜まっていた。
拳は力強く握り締められ、その拳の上に涙が伝う。
「心配しなくてもいい。君は俺が守る」
片手でハンドルを操作しながら、もう片方の手で朱里を抱きしめた。
「二人でなら幸せになれるさ」
なんの根拠もなかったが、自信だけはあった。
世界を敵に回しても、悪魔と手を組んでだって、彼女を守りきる。それが俺の存在している意義であり、使命であり、希望であり、願望でもあった。