第一章 シグナル(刺激) 1
決して開けてはならぬ扉オンコジーン。今、その扉が開かれようとしている。結ばれぬ運命。閉ざされた未来。そこに希望はあるのであろうか。
昨日の夜から降り始めた雨だが、丸一日続いても一向に止む気配がない。
ジメジメとした気分の乗らない日だった。
いつもなお気に入りのラジオも、その日に限ってノイズが入り、耳障りなので消していた。
夕方、6時を回った頃。 辺りは薄暗く、車のライトもたいして役にたっていない.
少し体を起こし、ハンドルを両手で握り、しっかりと前を見ていないといけない緊張感に疲れ始めたとき、道路の脇に一人の女性が立っていることに気がついた。
どしゃ降りの雨の中、傘もささずに、こちらの方を向いて、親指を上に左腕を上げている。
俺は昔から厄介事には首を突っ込まないように生きてきた。それが一番安全で、楽なことを知っていたからだ。
いじめられた経験もなければ、だれかをいじめたこともない。目立つことはなるべく避けて、余計な争いごとなどは見て見ぬ振りをしてきた。
だから、ヒッチハイクをしている輩を気に止めるようなことは絶対にない。と、その時までは思っていた。
バックミラーを覗いたが、後方からは車は来ていない。だからというわけではないが、アクセルを踏む足が緩み、車のスピードが落ちた。
その時、ちょうど信号が青から黄色になったので、俺は車を止めた。ヒッチハイクをしている彼女を乗せるために止まった訳ではない。偶然が重なったのだと、自分に言い聞かせていた。
「ありがとう、助かったわ」
2年ほど前に買ったこの中古の車には、オートロック機能などなく、助手席の鍵はかかっていなかった。
「とりあえず出して!」
俺は何も答えず、アクセルを踏んだ。信号はまだ赤だったが、左右からは車は来ていない。
雨のせいで、少しイライラしていたのかもしれない。
厄介なことに巻き込まれなければいいがと思いつつ、早くその場から立ち去りたかった。
「私はジェネ。お願い、これでかくまって」
差し出された彼女の右手には雨で濡れてよれた一万円札が何枚か握られていた。
髪は後ろでひとつに縛り、額は汗か雨かで濡れているのが見えた。
十六、七歳といったところだろうか。まだ幼い娘だが、眼だけはスッと何かを見通しているように思えた。
「俺と会ったことは忘れる。今後一切の他言をしない。この条件がのめるのなら、いいが。どうする」
ハンドルを握る手には一層力が入っていた。雨が激しい中、車のスピードを上げなければならなかったからだ。
バックミラーを頻回にチェックはしているが、追っ手などの気配はない。
「名前くらいは聞いてもいい?」
あどけない彼女の覗き込む視線に、俺は少し戸惑った。生まれたばかりの子猫を拾った、そんな気分だった。
「羽衣 琉」
本名ではない。本名は知らない。幼い頃に捨てられ、爺に育てられた。この名前も爺が付けたと聞いている。
普段、仕事では名乗ることは御法度であるが、今はプライベートだ。
俺は殺し屋。ヒットマン。
悪事を働いて、のうのうと生きている奴らを抹殺する。それが俺の仕事だ。
だが、表の顔は違う。爺が趣味でやっている骨董屋の店番が昼の仕事た。
こうしてジェネをかくまうという仕事を、3万円で引き受けることになった。期間は1週間。その後、ジェネの家の近くまで送って行けと言うのである。
誰に追われいて、何の理由で逃げているなどは、一切聞いたりはしない。それが俺のルールだ。
ただ、任務を遂行する。しかし、どの任務を選ぶかは、自分の判断で行う。
今回の任務は、爺には内緒にしておいた。別に理由などなかったが、報告するほどのこともないであろうと自分で判断したからだ。
爺も知らない俺のアジトが二つくらいあり、そこの一つにジェネを監禁した。かくまうという以上、ふらふら外に出られては困る。
俺は、昼は骨頭屋の店番、夜はジェネの子守と、何の問題もなく1週間をやり過ごした。
「ありがとう。ルイ。ここまでは合格よ。」
何故、俺がジェネと出会ったのか。この時はただの偶然だと思っていた。
「じゃ、最後の難関ね。私を家まで連れて行って欲しいのだけれど、誰にも見つからずに連れていけないかしら」
ここのところ、裏の仕事があまりなかったので、俺は引き受けることにした。