番外編:配当(笑顔)の私的利用は禁じます! ~愛は最も非効率な利益~』
本編終了後、2年程経過した頃のお話。
王城の夜会は、眩いばかりのシャンデリアの光と、着飾った貴族たちの欲望で満ちていた。
学園を無事卒業して21歳を迎え、凛々しい当主代行として社交界に本格デビューしたルイスフォルテは、今や「独身令嬢たちが最も狙いたい男」の筆頭に躍り出ていた。
「ルイスフォルテ様、今度我が家の領地へ遊びにいらっしゃいませんか? 素晴らしい狩場がありますの」
「まあ、ルイスフォルテ様。先ほどのダンス、とても情熱的でしたわ。次はぜひ、テラスで夜風を……」
令嬢たちに囲まれ、困ったように、けれど誠実な笑みを浮かべて対応するルイスフォルテ。かつての自信のなさは消え、磨き上げられた原石のような輝きを放つ彼に、会場中の視線が突き刺さっている。
その様子を、会場の端で「般若」のようなオーラを出しながら見つめる17歳の少女がいた。
「……ナターシャ。あの令嬢たち、市場価値というものを理解しているのかしら。あんな安っぽい誘い文句で、私のルイスが動くとでも?」
手にした扇子をミシミシと鳴らしながら、ティアリアが毒を吐く。
「……ティアリア様。お言葉ですが、ルイスフォルテ様は現在『フリー』です。他家の令嬢がアプローチするのは、社交界のルール上、極めて正当な投資行為と言えますよ? 早く捕まえないと、横からかっさらわれちゃいますねぇ」
助手であるナターシャは、主人の心情を察してニヤニヤと笑いながら、わざと火に油を注いだ。
「……っ! 私がどれだけの時間をかけて、あの猫背を直し、会計学を叩き込み、魔術経路を語り、一級品の男に仕上げたと思っているの!? 投資したのは私ですわ! 配当(笑顔)を受け取る権利も、すべて私にあるはずです!」
そこへ、一人の年上の公爵令嬢がルイスの腕に手を絡め、ティアリアの方をチラリと見て勝ち誇ったように笑った。
「ルイス様、あちらにいらっしゃる『可愛い妹分』は、もうおネムの時間ではなくて?」
ブチッ。
ティアリアの中で、何かが音を立てて切れた。
「……ナターシャ、見ていなさい。資本主義の恐ろしさを、あの無能な女たちに教えてあげますわ」
「いってらっしゃいませ、ティアリア様! 応援してますよ!」
ナターシャの楽しげな声を背に、ティアリアはドレスの裾を翻した。その足取りは優雅だが、放たれる威圧感は完全に「獲物を狩る捕食者」のそれであった。
令嬢たちの輪を氷のような視線で割り込み、ティアリアはルイスフォルテの腕を強引に引き寄せた。
「そこまでですわ、皆様。……ルイスフォルテ様、本日貴方に与えられた『自由時間』は、たった今終了いたしました」
「え……あ、ティアリアさん!? 急にどうしたの……」
驚くルイスフォルテを無視し、ティアリアは周囲の令嬢たちへ、冷徹な微笑みを向けた。
「この方は現在、アルバレート公爵家と『独占的な技術提携』の最中ですの。他所の脆弱な資本が介入する余地はありませんわ。……さあ、ルイス、テラスへ。報告書の修正案について、じっくりと、夜が明けるまで話し合いましょうか」
「修正案……? さっき完璧だって言ったばかりじゃ……わわっ!」
ずるずると引きずられていくルイスフォルテ。
それを見送りながら、ナターシャはグラスを掲げて独りごちた。
「……ふふ。お嬢様、あれ絶対『修正案』なんてありませんよね。ご愁傷様です、ルイスフォルテ様」
◇◇◇◇◇
「……さあ、ルイス。報告書の修正案について、じっくりと、夜が明けるまで話し合いましょうか」
氷点下の微笑みを湛えたティアリアに引きずられ、ルイスフォルテは社交界の猛女たちの群れから救い出された……もとい、さらわれた。
辿り着いたのは、人影のない月明かりのテラス。
ティアリアはルイスフォルテの腕を離すと、肩で息をしながら、刺すような視線を彼に向けた。
「……ティアリアさん、あの、さっきの『修正案』って一体――」
「黙りなさい、この不良債権!」
ティアリアの怒鳴り声に、ルイスフォルテは肩を跳ねさせた。
「不良債権……!? 僕、そんなにひどいミスをしたかな」
「ミス? ええ、大ミスですわ! 貴方は自分がどれほど価値のある『商品』になったか自覚が足りません! あんな、事業計画もまともに立てられないような女たちにヘラヘラと配当(笑顔)を振り撒いて……! 私の、私だけの投資でここまで仕上げたルイスフォルテに、勝手に触れさせるなんて、損失以外の何物でもありませんわ!」
ティアリアの瞳には、怒りと、そして隠しきれない情動が揺れていた。17歳。体も心も女性らしく成長した彼女だが、中身が大人である分、素直になれないプライドが彼女を雁字搦めにしている。
そんな彼女を、ルイスフォルテは眩しそうに見つめた。21歳になった彼は、ティアリアの鋭い言葉の裏にある「本音」を、以前よりずっと深く読み取れるようになっていた。
「……ねえ、ティアリアさん」
ルイスフォルテは一歩、彼女との距離を詰めた。
「……そんなに怒るなら、早く僕を『婚約者』という鎖で縛ってくれればいいのに」
「なっ……ななな、何を、不敬なことを!」
「僕は待っているんだよ。モンフォールの経営が安定して、君に『利益』をもたらすと証明できるまで、プロポーズは我慢しようって。でも……」
ルイスフォルテはティアリアの細い肩に手を置き、逃げられないようにテラスの欄干へと彼女を追い込んだ。かつての猫背の少年はもういない。そこにあるのは、獲物を見据える、大人の男の瞳だった。
「……君にそんな顔をされたら、もう限界だ。損害賠償なら、僕の人生すべてをかけて支払わせてもらっていいかな?」
「ル、ルイス……」
ティアリアの言葉が、彼の唇によって塞がれた。月光の下、二人の影が重なる。
それは契約書へのサインよりも、ずっと確かな「独占」の儀式だった。
◇◇◇◇◇
翌朝。アルバレート公爵家のサロンには、賑やかな声が響いていた。
「ええっ!? じゃあティア、ルイスフォルテ様に自分から乗り込んでいったの!?」
リルセリアが目を輝かせ、身を乗り出す。
「はい、リルセリア様! まさに『獲物を狙う鷹』のようでしたわ。あんなに余裕のないお嬢様、初めて見ました!」
ナターシャが、昨夜のティアリアの威圧感を身振り手振りで再現し、レオンハルトとリルセリアを笑わせている。
「ほう。あのルイスフォルテも、ようやく男を見せたということか。……少しは骨があるようになったな」
レオンハルトが、どこか満足げに、カサンドラと視線を合わせる。
「……ナターシャ。貴女、その口を閉じないと、給与から昨夜のドレス代を天引きしますわよ」
サロンの入り口で、ティアリアが顔を真っ赤にして立ち尽くしていた。
その胸元には、ブローチだけでなく、指先には新しく贈られた、眩いばかりの婚約指輪が光っている。
「あら、お嬢様! お目覚めですか! おめでとうございます、『独占契約』無事に締結完了ですね!」
「だ、黙りなさいっ……!!」
公爵家に響き渡るティアリアの怒号と、幸せそうな笑い声。
彼女の計算外だったのは、投資の成果として手に入れたのが、想像以上に自分を翻弄する「愛」という名の莫大な利益だったこと。
アザレアの風が、二人の門出を祝うようにサロンを吹き抜けていった。




