60:アザレアの庭、未来への旋律
フェリシアが王都から追放され、モンフォール侯爵家から籍を抹消されてから数ヶ月。学園に春の訪れを告げるアザレアの花が鮮やかに庭園を彩る頃、進級を迎えた生徒たちは、それぞれ新しい立場で春を謳歌していた。
ティアリアたちは三年生へ、そしてシエルとルイスフォルテは五年生へと進学し、学園の最高学年として後輩たちの憧れの的となっている。そんな彼らを祝うかのように、アルバレート公爵家の庭園では、初夏を思わせる柔らかな陽光の下でティータイムが開かれていた。
「お姉様、そのスコーン、私が焼いたのですわ。……毒は入っていませんから、安心して召し上がれ」
「まあ、ティアったら。貴女が焼いてくれたのなら、たとえ毒が入っていても、私は喜んで飲み干してしまいますわ」
「お姉様、スコーンを飲み干すとは……」
リルセリアはふわりと微笑み、幸せそうに菓子を口にする。その隣には、すっかりヴァルドの不協和音から解放され、本来の快活さと優しさを取り戻した王太子シエルが座り、リルの指先に残った蜜を、愛おしげに自らの指で拭っていた。
そんな二人を、ティアリアは少し離れた席から、相変わらずの無表情(を装った満足げな顔)で見守っていた。彼女の胸元には、あの日ルイスから贈られた、深い紫色のブローチが春の陽光を浴びて誇らしげに輝いている。
「お嬢様方、お茶のお代わりを。……それとレオンハルト様、あまり睨みつけないでください。お茶が苦くなります」
静かに声をかけたのは、聖女守護騎士団・副団長のカサンドラだった。彼女の視線の先には、一年前、学園を卒業して魔術師団補佐として頑張る兄、レオンハルトの姿がある。
「睨んでなどいないさ。ただ、我が妹の貴重な時間を奪う者が、どの程度の男か見定めていただけだ」
「……不器用な兄心ですね。昨夜、手合わせをした時の鋭い剣筋を、今は隠しきれていませんよ」
カサンドラの指摘に、レオンハルトは苦笑いを浮かべた。二人は立場こそ違うが、仕事帰りに食事を共にし、夜には剣を交えて技を磨き合う、気心の知れた仲だ。リルセリアが拉致されそうになったあの日から、二人の信頼関係はさらに強固なものになっていた。
「……お待たせしました、ティアリアさん!」
そこへ、一人の青年が現れた。かつての自信なさげな猫背は消え、今ではモンフォール家を実質的に切り盛りする若き当主代行、ルイスフォルテだ。彼はレオンハルトの鋭い視線に一瞬怯んだものの、すぐに背筋を伸ばし、ティアリアの前で膝を突いた。
「遅いですわよ、ルイス。最高学年になったというのに、相変わらず時間管理が甘いですわね。貴方の教育に割く私の時間は、金貨よりも価値があると言ったはずです」
「ふふ、ごめん。領地の新しい会計報告書を仕上げていたら、つい熱が入ってしまって。……これ、今日の分の『宿題』だよ」
ルイスフォルテが差し出した分厚い書類を、ティアリアは手際よくめくる。
「……効率化の提案が三箇所も。……ふん。少しはマシな頭になってきたようですわね。投資対象としては、ようやく元が取れ始めたというところでしょうか」
その様子を横目で見ていたレオンハルトが、カサンドラに囁いた。
「……カサンドラ。調べてみたが、あのモンフォールの長男、ティアリアに相当な額を『搾り取られて』いるらしいな」
「レオンハルト様、それは違います。彼は搾り取られることを『喜び』としているようです。……いわば、彼なりの献身なのでしょう」
二人のやり取りを見守っていたリルセリアが、楽しそうに声を上げた。
「見て、シエル様。ティアも、あんなに嬉しそうにして」
「ああ。……二人とも、自分にぴったりのパートナーを見つけたようだな」
ティアリアは「嬉しそう」という言葉に、慌てて紅茶を口にした。
「……私はただ、私の描いた計画通りに物事が進んでいるのを喜んでいるだけですわ。……ねえ、ルイス?」
「そうだね。僕も、君という最高の投資家に一生をかけて恩返しをしないといけないから。……死ぬまで、君の『ポートフォリオ』の筆頭に入れておいてほしいんだ」
ルイスフォルテが優しくティアリアの手を包み込む。ティアリアは一度だけ「仕事の邪魔ですわ」と不機嫌そうに毒づいたが、その手を振り払うことはなく、むしろそっと握り返した。
前世で迎えたはずの破滅も、血塗られた運命も、もうここにはない。
庭園に響くのは、姉妹の笑い声と、信頼し合う仲間たちの穏やかな語らい。
かつて孤独に死んでいった少女を守るために、皆が命を賭して書き換えた運命の楽譜。そこには今、新しく輝かしい、未来へのプレリュードが美しく奏でられていた。




