59:断絶の碧眼、最後の情け
その日の深夜。王城の地下深く、冷たい石壁に囲まれた貴族牢。
豪華なドレスは汚れ、髪は乱れ果てたフェリシアは、鉄格子の隙間から差し込む月光を頼りに、誰かの足音を待っていた。
(……シエル殿下。殿下なら、きっと助けに来てくださる。あの女に惑わされているだけで、私との絆を忘れるはずがないわ。殿下がその気になれば、兄様の命令なんて無効にできるはず……!)
カラン、と乾いた音が響き、重厚な鉄扉が開いた。
フェリシアは弾かれたように顔を上げた。そこに立っていたのは、彼女が夢にまで見た、気高き蒼氷の瞳を持つ少年――シエル・フォン・アスラニアだった。
「殿下! お迎えに来てくださったのですね! 恐ろしい目に遭いましたわ、あの女と、裏切り者の兄様のせいで……」
フェリシアが鉄格子に縋り付き、涙ながらに訴える。しかし、シエルの瞳には、同情も、かつての友愛も、一滴すら宿っていなかった。
「……フェリシア。君には、心の底から落胆した」
氷の塊を投げつけられたような、冷酷な声。フェリシアの言葉が喉で凍りつく。
「君が今日、舞台の下で何をしようとしていたか、すべて報告を受けている。……リルセリアがどれほどの想いで、あの舞台に立っていたか。君はそれを踏みにじろうとしただけでなく、私の名前を、自分の歪んだ独占欲を正当化するために利用した」
「ち、違いますわ! 私はただ、殿下をあの女の呪縛から解き放とうと……!」
「黙れ。呪縛にかかっているのは、君の方だ」
シエルは一歩、鉄格子に近づいた。その碧眼に宿る冷徹な光に、フェリシアは本能的な恐怖で後退った。
「君が追い求めていたのは、私ではなく、私を所有しているという『特権』だけだ。……私とリルが分かち合っている魂の響きを、君のような者には一生理解できない」
シエルは懐から、一通の赤い蝋で封じられた書状を取り出し、それをフェリシアの足元へ放り投げた。
「王家とモンフォール侯爵家との協議により、君と家門との縁を、本日をもって永久に断絶する。……君はもうモンフォールではない。ただの罪人だ」
「……え……? 断絶……? 嘘よ、お父様がそんなこと許すはずが……!」
「侯爵は、君という『汚点』を切り捨てることで、嫡男ルイスによる家門の存続を選んだ。……君を助ける者は、もうこの世界のどこにもいない」
フェリシアの顔から、血の気が一気に引いていく。
両親からの期待、兄への優越感、そしてシエルの隣という唯一の居場所。彼女を支えていたすべてが、砂の城のように崩れ去った。
「本来なら、王太子妃となるべき女性を害そうとした罪は死罪に値する。……だが、かつてモンフォールの庭園で、君たちが私を支えてくれた時間が僅かでもあったことは事実だ」
シエルは感情の消えた声で、宣告を続ける。
「だから、命までは取らない。……極北の修道院へ送られ、一生を神への懺悔に捧げるがいい。王家とモンフォール家、そしてリルセリアの名を二度とその汚れた口で呼ばぬこと。それが、私から君に与える、最後で最大の『情け』だ」
「……あ……あああ……!!」
それは、「生かされる」という名の、死よりも残酷な幽閉。
シエルは一度も振り返ることなく、重厚な鉄扉の向こうへと消えていった。
背後でフェリシアが「行かないで!」「シエル殿下!」「殺して、いっそ殺してよ!」と叫び、鉄格子を叩く音が響くが、その声が王太子の心に届くことは二度となかった。




