58:祝祭の残り火、揺れる紫晶
騒乱の音楽発表会から数時間。夜の帳が下りた王立魔法学園は、事件の余韻を吹き飛ばすかのような後夜祭の熱気に包まれていた。中庭では巨大なキャンプファイヤーが赤々と燃え上がり、火の粉が冬の夜空へと舞い上がっている。
ダンスホールでは、正装に着替えた生徒たちが軽快なワルツに合わせてステップを踏んでいた。その中心で一際輝いているのは、王太子シエルとリルセリアだ。
「リルセリア、最高の演奏だった。……君の音に、私の魂まで共鳴したよ」
「シエル様……。私、貴方が見ていてくださったから、迷わずに弾けましたわ」
見つめ合う二人の周りだけ、まるで祝福の魔法がかけられたかのように多幸感に満ち溢れている。もはや、誰も二人の仲を裂くことなどできないだろう。
そんな二人を、ホールの壁際から静かに見守る少女がいた。
「……ふふ。お姉様、本当にお幸せそうですわね。どうやら、私の過保護な出番はもう終わりを告げたようですわ」
ティアリアは満足げに、けれどどこか寂しげに独りごち、手にしていたグラスを置いて、そっとホールを抜け出した。人混みの熱気に少しだけ疲れた彼女は、冷たい夜風を求めて、静かなテラスへと歩を進める。
月の光が白銀のヴェールのように降り注ぐテラス。そこには、一人、夜空を見上げている先客がいた。
「……あ。ティアリア、さん」
振り返ったのは、ルイスフォルテだった。
彼は先ほど妹を断罪した時の凛々しい礼服姿のままだが、今はどこか落ち着かない様子で、右手のポケットに手を突っ込み、何かを何度も握り直している。
「ルイスフォルテ様。……こんなところで何を? 妹君を鮮やかに断罪した『勇者』として、中では多くの令嬢たちが貴方の誘いを待っていますわよ」
「よしてよ。……僕なんて、君がいなければ何もできなかった。それに……」
ルイスはティアリアの隣まで歩み寄り、欄干に手をかけた。その横顔は、数ヶ月前の臆病だった少年とは別人のように引き締まっている。
「……僕が踊りたい相手は、中にはいないから」
ティアリアは心臓が小さく跳ねるのを感じ、わざとらしく視線を逸らした。
「……ふん。相変わらず効率の悪いことを。今はモンフォール家の支持を固めるために、有力貴族の令嬢と顔を繋いでおくのが最適解ですのに」
「僕にとっての最適解は、君に、僕の覚悟を見せることなんだ」
ルイスがポケットから取り出したのは、小さな、けれど品格のあるベロアの箱だった。蓋が開かれると、月光を反射して、彼女の瞳と同じ深い紫色の宝石が嵌められたブローチが姿を現した。
「……これ、は」
「君にふさわしい石を探したんだ。……ティアリアさん。僕は、不甲斐ない男で、君に助けてもらってばかりだったけれど。これからは、君に胸を張って隣に立てる男になれるよう、死ぬ気でモンフォールを立て直す」
ルイスは意を決したように、ティアリアの前に立ちはだかった。その瞳は、逃げも隠れもしない真っ直ぐな意志で彼女を見据えている。
「だから……このブローチを受け取ってほしい。そして、僕の人生で最初のダンスを、君に捧げさせてくれないか」
不器用だが、剥き出しの真心。
いつもなら「そんな安物の宝飾品で私の時間を買えるとお思いで?」と冷たく突き放すはずのティアリアだった。しかし、その言葉は喉の奥で消えた。彼女の紫の瞳が、月光ではなく、目の前の少年の熱に当てられて潤んでいく。
「……まったく。貴方は本当に、救いようのない馬鹿ですわね」
ティアリアは震える手でブローチを受け取ると、それを自らの胸元へと飾った。そして、少しだけ顔を赤らめ、ツンと横を向いたまま手を差し出す。
「領地の会計も、貴方の教育も、まだまだ課題が山積みです。そんな無駄な買い物をした分、明日からは倍の仕事量をこなさなければなりませんわよ?」
「……ああ。望むところだよ」
ルイスは破顔した。その笑顔に、ティアリアはさらに鼓動を早め、小さく呟いた。
「……でも。貴方のこれからの『投資価値』。……少しだけ、上方修正して差し上げてもよろしくてよ?」
遠くから聞こえるワルツの旋律。
月明かりの下、ルイスはティアリアの細い腰に手を添え、彼女もまた彼の肩に手を置いた。ぎこちなく、けれど確かな一歩。
それは、二人が「共犯者」という境界を越え、新しい物語を紡ぎ始めた合図だった。




