55:灰色の残照と、閉ざされた楽園(フェリシア視点)
鏡の中に映る自分は、誰よりも完璧だった。
フェリシア・モンフォールは、深紅のドレスの襟元を整えながら、幼き日の眩い記憶を反芻していた。
それは、シエル殿下がまだ、あの忌々しいアルバレートの娘に心を奪われる前のこと。
当時の王太子は、純白の礼服に身を包み、その碧眼を爛々と輝かせ、未来の王としての気品に満ち溢れていた。そんな光り輝くあの方の隣に座ることを許されていたのは、モンフォール侯爵家の兄妹である自分たちだけだった。
『見て、フェリシア。あの庭に咲く花は、君の瞳の色によく似ているね』
そう言って、シエルは庭園のバラを指差し、幼いフェリシアに屈託のない笑みを向けたことがあった。その横で、内気な兄のルイスフォルテが「で、殿下、あまり身を乗り出すと危ないですよ」とおろおろしながら声をかけると、シエルは楽しげに笑ってルイスの肩を叩いたのだ。
『ルイスは心配性だな。私には、モンフォール家の二人がついているんだろう?』あの温かな日々。
そんな子供たちの様子を眺めながら、野心家のモンフォール侯爵夫妻は、毎晩のように二人に言い聞かせていた。
『いいかいフェリシア、あの方は貴女がいないと生きていけないの。ルイス、お前は将来、王の義兄としてあの方を支えるのだ。モンフォールの栄光は、お前たち二人の双肩にかかっているのよ』
両親のその言葉は、フェリシアにとっては「選ばれた自分」という甘い毒になり、ルイスにとっては「失敗の許されない重圧」となって刻み込まれた。
けれど、あのリルセリアの6歳の誕生日パーティを境に、すべてが狂い始めた。
あの日、シエルがリルセリアを「最優先の婚約者候補」に選んで以来、あの方の瞳からフェリシアへの関心は消え失せた。今のシエルは、リルセリアを想うあまり、フェリシアがどれほど声をかけても氷のように冷たい視線を返すだけだ。
(あの方は、あの銀髪の女に出会ってから変わってしまった。私ではなく、あの女ばかりを大事にするなんて。……あんなに私に笑いかけてくれた、温かな殿下を奪ったのは、全部リルセリア・アルバレートのせい!)
フェリシアの記憶の中で、事実は都合よく書き換えられていく。
今、シエルがルイスフォルテに対してだけは、かつてと変わらず友人としての「優しさ」を見せていることも、彼女にとっては耐え難い屈辱だった。自分だけが、あの楽園から放り出されたような焦燥感。
(お父様もお母様も、あんなに期待してくださっている。シエル殿下の瞳に、もう一度私だけを映してみせる。……あの日、私にバラを指し示してくれた、あの優しい殿下を取り戻すのよ)
フェリシアの瞳が、狂気と使命感で赤く濁る。
彼女にとって、音楽発表会でリルセリアを墜とすことは、単なる嫌がらせではない。奪われた「自分の価値」と、自分を必要としてくれた「あの日のシエル」を取り戻すための、聖戦だった。
「見ていてくださいね、シエル殿下。……今日、貴方を呪縛から解き放って差し上げますわ」
フェリシアはヴァイオリンを掴んだ。その指先は、嫉妬という名の毒に染まり、かつてシエルと笑い合った温もりを、とうの昔に忘れてしまっていた。




