50:金色の震えと、賢者の飴玉
放課後のオルセン研究室。そこは、天井まで届く書棚が迷宮のように入り組み、古書の芳香と不思議な魔道具の駆動音が絶え間なく響く、学園でも異質な聖域だった。
ルイスフォルテは、手元の魔導書を読み進めることができず、何度も同じ行を目で滑らせていた。彼の脳裏には、先ほど廊下の陰で見た、妹フェリシアのあの赤く濁った瞳と、灰になったリルセリアのノートが焼き付いて離れない。
「ルイスフォルテ様。……三度目ですわよ」
向かい側に座るティアリアが、冷めた紅茶のカップを置いて彼を真っ直ぐに見据えた。
彼女の視線は、すべてを暴き立てるほどに鋭い。
「あ、う……ティアリアさん。ごめんなさい、僕……」
「隠し事は無用です。お姉様のノートが焼かれ、貴方の妹君がその中心にいた。……違いますか?」
「……っ! ど、どうして……見ていたの?」
ルイスフォルテがガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。ティアリアは動じず、ただ静かに頷く。
「見てはいません。ですが、お姉様の服に付着した微かな燃焼魔力と、貴方の乱れた魔力波形を照らし合わせれば、導き出される答えは一つですわ」
「……っ、ああ……!!」
その時、山積みの魔導書が雪崩のように崩れ、中から白髪をボサボサに乱した老人がひょっこりと顔を出した。この研究室の主、オルセン教授だ。
「ほーっほっほ! ティアリア君の観察眼は相変わらず容赦ないのう。ルイスフォルテ君、そんなに震えていては、せっかくの繊細な魔力回路が千切れてしまうぞ。ほれ、これを舐めなさい」
教授は丸い眼鏡をズレ落としながら、シワだらけの手でポケットから極彩色の飴玉を取り出し、ルイスフォルテの口に無理やり放り込んだ。
口の中でパチパチと音が弾け、ルイスフォルテの鼻から薄紫の煙が細く立ち上る。
「ひゃいっ!? ……あ、飴……?」
「教授、今は大事な話の最中ですわ」
「わかっておるよ。じゃが、魔導師たるもの、心臓が凍りついたままでは真理は見えん。……ルイスフォルテ君、君の妹さんは、少々火遊びが過ぎるようじゃな。あの『陽光の魔石』を揺らすとは、恐ろしいことをするものだ」
おちゃめな老教授の瞳が、一瞬だけ鋭い知性の光を宿す。その言葉に、ルイスフォルテは再び現実に引き戻された。彼は耐えきれず、ティアリアの机の端に縋り付いた。大きな体をさらに丸め、今にも泣き出しそうな顔で彼女を見上げる。
「ティアリアさん……助けて……! 僕じゃ、フェリシアを止められない……! 彼女は、自分が正しいと信じ込んでるんだ。……このままだと、取り返しのつかないことになる……。僕が、僕が情けないばかりに……っ」
震える彼の手が、ティアリアの袖をぎゅっと掴む。
ティアリアは、その震えを拒絶しなかった。ただ、冷徹なまでの冷静さで、彼の額に指先を添える。
「ルイスフォルテ様。……実を言うと、シエル殿下も既に気づいていますわ」
「え……シエルが?」
「ええ。シエル殿下の贈った指輪は、お姉様の心拍や感情と連動しています。今頃、シエル殿下は執務室でモンフォール侯爵家の不渡りや不祥事を、一枚残らず洗い出している最中でしょう。……本来なら、明日には貴方の家は潰れますわ」
ルイスフォルテの顔が、恐怖で紙のように白くなった。飴の煙が喉に詰まり、彼は激しく咳き込む。
「で、ですが。……私はシエル殿下に『待った』をかけましたの。ルイスフォルテ様、貴方に、一族の誇りを守るチャンスを差し上げたいのです。……貴方の手で、妹君を止めなさい。それが、貴方がこの先、私と共に魔導を極めるための最低条件ですわ」
「……僕が……フェリシアを……」
「ほっほ、厳しいのう。じゃがティアリア君の言う通りじゃ。身内の毒は、身内の手で絶たねば、癒えぬ傷になる。……さあ、ルイスフォルテ君。もう一粒、飴を舐めて覚悟を決めなさい」
ティアリアの言葉は慈悲深く、同時に残酷な試練だった。
彼女は、ルイスフォルテが「臆病な天才」から「自立した魔導師」へと変わるための触媒として、この事件を利用しようとしていたのだ。
◇◇◇◇◇
一方、その頃。
シエルは一人、暗い自室でリルセリアの指輪と同じ魔石が埋め込まれた対のピアスを弄んでいた。
魔石が微かに、リルセリアの悲しみを感じ取って冷たく疼く。
「……耐えているのだな、リルセリア。君がそう決めたのなら、今は待とう。だが――」
シエルの蒼い瞳が、夜の闇よりも深く沈む。
「――限度を超えれば、モンフォールの一族は、歴史の教科書から名前を消すことになる」
神々の如き冷静さで静観するシエルとティアリア。
その狭間で、ルイスフォルテは震える足で、妹という名の絶望に向き合う勇気を振り絞ろうとしていた。




