5:禁術の贄(いけにえ)と、接触の糸口
リルセリアの誕生日パーティから数日後。レオンハルトの自室で、兄妹は夜な夜な秘密の打ち合わせを続けていた。
「婚約は防げなかった。僕の力不足だ」
「ちがう、おにーちゃまのせいじゃないわ。あれは、うんめいのちからが、つよすぎたのよ……」
ティアは、レオンハルトの膝の上で小さく呟いた。彼の失敗ではなく、王太子の強い執着と、その背後にあるヴァルドの魔力の強制力が原因だと理解している。
「だが、ヴァルドは確実に君に目をつけた。君が動くのは非常に危険だ」
「だから、つぎのステップにいくのよ」
ティアは真剣な表情でレオンハルトを見
上げた。
「おにーちゃま。あの子は、てきじゃないわ。ナターシャ・バレリーは、おねえちゃまをにくんでなんかいない。あの子は、ヴァルドのいけにえなのよ」
ティアは、商店街で感じたナターシャからの不協和音の揺らぎが、彼女の恐怖に起因していたことをレオンハルトに説明した。
「ヴァルドのあのぬるぬるのまりょくは、あの子のふあんをエサにしてる。あの子をたすけられれば、あの子はおうたいしでんかをゆうわくしたりなんかしない。なにより、ヴァルドのあしもとをくずすことにつながるわ」
レオンハルトは黙ってティアの言葉を聞いていた。ティアが持つ魔力の本質を見抜く力は、魔術師団長である父にも匹敵するか、それ以上だ。
「...ナターシャ嬢の邸宅は、王都の端にある。訪問の正当な理由はない。公爵家が男爵家を急に訪ねれば、それこそヴァルドに勘繰られる」
「だから、こっそり、いくのよ」
ティアは自信満々に笑った。
「おとうしゃまに教えてもらった、『おんみつ(ステルス)』のしょきまほう。まだかんぜんじゃない、けど、おにーちゃまのまりょくで少したすけてくれれば、よるならだいじょぶ」
レオンハルトはため息をつきつつも、その計画に頷いた。自分の立場では動けない。しかし、ティアの純粋な目的と才能を信じざるを得なかった。
「わかった。一度だけだ。バレたら即座に中止する」
◇◇◇◇◇
深い夜。
レオンハルトは、変装用の外套で顔を隠し、ティアを抱き上げて、ナターシャの住む男爵邸の庭に降り立った。
ティアの小さな身体からは、かすかに魔力の揺らぎが発生しており、これが周囲の光や音をわずかに歪めて、「気配の遮断」として機能している。
「ティア、庭の外で見張っている。五分以内に戻ってこい」
「うん!」
ティアは小さな身体で、ナターシャの部屋の窓を目指して駆け出した。
ナターシャの部屋は質素だった。
窓枠に手をかけ、そっと中を覗き込むと、ナターシャがベッドの中で膝を抱えて、小さく震えているのが見えた。
(この子、やっぱり怯えてる……)
ティアは窓を開け、音もなく忍び込んだ。
「……誰!?」
物音に、ナターシャが顔を上げた。
ティアは、顔を隠そうともせずに、優しく微笑んだ。
「しー。わたくち、おともだちよ。あのね、あなたにへんなものがついてるの、しってる?」
ナターシャはティアの美しい容姿と、夜中に侵入してきたという異常な状況に、恐怖で声を失っている。
「ちがうの!わるいことしない!ただ、あなたがこわがらないように、するだけなの」
ティアはナターシャのそばに跪き、小さな手を、ナターシャの額にそっと重ねた。
(さあ。おとうしゃまに教わった、純粋な魔力の『鎮静』。あのドロドロした魔力を、少しだけ遠ざける!)
ティアの体内にある澄み切った湖のような魔力が、優しく流れ出る。それは、ナターシャの額にへばりついたヴァルドの「不協和音」を溶かし、彼女の心の底にある恐怖を、一時的に鎮めていった。
「あ……」
ナターシャの瞳から、恐怖の色が引いていく。彼女の顔には、安堵とも混乱ともつかない、複雑な表情が浮かんだ。
「きみ……だれなの……?」
ナターシャが初めて、恐怖ではなく疑問の言葉を口にした瞬間。
「時間だ、ティア!」
レオンハルトが窓の外から、低い声でティアを呼んだ。
「じゃあね、おともだち。またくるわ」
ティアはそれだけ告げると、身を翻して窓から飛び出し、レオンハルトに抱えられた。
夜の闇の中、ティアはレオンハルトの耳元で報告した。
「おにーちゃま、だいせいこうよ!あの子のまぢゅつ、うすくなったわ!わたくち、あの子をたすけられる!」
レオンハルトは頷きながらも、ナターシャの邸宅を振り返った。
(ナターシャ嬢は確かにヴァルドの魔力に侵されている。そして、ティアはその魔力を緩和させた……。僕たちの戦略は、間違っていない
)
ティアの勇気と才能は、運命に抗うための、確かな糸口を掴んだのだった。




