44:狂騒の公爵邸、親馬鹿と主役の準備
王宮での謁見を終えたティアリアとリルセリア。そして、学園に居残って最後の一仕事(膨大な書類の引き継ぎ)を終えてヘトヘトになったレオンハルト。三人の子供たちが揃ってアルバレート公爵邸に帰宅したのは、夕闇が迫る頃だった。
玄関ホールでは、愛する子供たちの姿が見えるなり、テオドール公爵が弾かれたように駆け寄ってきた。その後ろからは、母リディアが優雅に、しかしその瞳に隠しきれない期待と喜びを滲ませて歩み寄る。
「お帰り、我が家の宝たちよ! さあ、陛下とはどんな話を――無事だったか? ティア、リル、レオン!」
テオドールの問いかけが終わる前に、ティアリアが事務的な無表情のまま、特大の爆弾を投下した。
「お父様、お母様。来月、お姉様とシエル殿下の『正式な婚約式』が執り行われることになりました。……陛下いわく、シエル殿下が周囲に『婚約者』と言いふらして回った『フライング』の結果だそうです」
一瞬、時が止まった。
次の瞬間、アルバレート公爵邸の屋根を吹き飛ばさんばかりの絶叫が響き渡った。
「フ、フライングだとぉぉぉーーーッ!? あの若造、私の許可なく勝手にリルを自分のもの扱いして……! 恩を仇で返すとはこのことか! 今すぐ王宮へ殴り込みに行ってくる、剣を持て、ベネディクトォ!!」
「閣下、落ち着いてください。その格好で殴り込めば国家反逆罪でお家断絶です」
ベネディクトが冷静に主を制する。テオドールはガクリと膝を突き、今度はボロボロと大粒の涙を流し始めた。
「うう……リル……私のかわいいリルが、あんな独占欲の権化のような男に奪われていく……。せめてあと五十年は手元に置いておくつもりだったのに……!」
「あらあら、あなたったら。見苦しいわよ? リル、おめでとう。お母様、貴女が最高に輝くこの日をずっと待っていたわ」
母リディアが、夫の嘆きを軽やかに聞き流し、愛娘リルの手を取り、その頬を愛おしそうに撫でた。
「でも、来月!? あら大変、一ヶ月しかないなんて! 婚約式は貴女が王家の正式な一員となるための重要なお披露目です。最高のシルクと宝石をかき集めなくては。ティア、貴女も手伝ってちょうだい」
「もちろんですわ、お母様。陛下からは式典の魔導演出と警備の全権を任されております。ならば、お姉様のドレスそのものを『演出の核』として設計すれば良いだけの話。演出家として、主役の衣装に妥協は許されませんわ」
ティアリアは事も無げに言った。演出と警備という激務に加え、ドレスの選定まで「演出の一部」として飲み込むつもりらしい。彼女の手帳には、警備計画図の裏で、すでに魔法的な特殊加工を施したドレスの設計案が走り書きされていた。
ティアリアはベネディクトの方を向き、テキパキと指示を飛ばす。
「ベネディクト、すぐにナターシャさんに連絡を。明日から彼女にも協力してもらい、プロジェクト『黄金の婚約』の工程表を完成させますわよ」
「畏まりました。……バレリー男爵家へ早馬を出し、ナターシャ殿への招集状を送らせましょう。……レオンハルト様、我々も覚悟を決めなければなりませんね」
「流石は私の自慢の娘たちね! さあ、忙しくなるわよ!」
リディアの指揮の下、邸内は一瞬にして「婚約式の準備という名の戦場」へと変わった。一方で、レオンハルトは、玄関の柱に寄りかかり、遠い目で天を仰いでいた。
「……一ヶ月。招待状の発送、警備計画の策定、各領主への調整……。私は今日、卒業したはずなんだが。なぜ、卒業した瞬間に現役時代より重い任務が降ってくるんだ……?」
泣き叫ぶ父テオドール、装いの準備に猛進する母リディア、幸せそうに頬を染める姉リルセリア、そして実務の山に絶望しつつも筆を執る兄レオンハルト。
アルバレート公爵邸は、前世の冷たさなど微塵も感じさせない、騒がしくも眩いほどの幸福感に包まれていた。




