43:王座の裁定と、フライング婚約者
国立魔法学園の卒業式、そしてゼクス・ガレリア王子による「拉致未遂事件」から一夜。王宮の『太陽の間』には、張り詰めた静寂と、冷徹な勝利の余韻が漂っていた。
高く聳える大理石の王座の前、ティアリア・アルバレートは宮廷魔導師としての第一正装――深い濃紺のローブに身を包み、国王エドワード・フォン・アスラニアの御前にて膝を突いていた。
「……以上が、ゼクス王子が心臓に埋め込んでいた転移魔導具の解析データ、および、学園全生徒の面前で公開した不法行為の全容でございます。既に帝国全権大使は、これらの動かぬ証拠を前に、全面的な非を認め、謝罪の署名を行いました」
ティアリアの凛とした声が、ドーム状の天井に反響する。王座に座るエドワード国王は、豊かな顎髭を撫でながら、満足げに鼻を鳴らした。彼は「獅子王」の異名に相応しく、座っているだけで周囲を圧するような巨躯と威厳を放っている。
「実に見事だ、ティアリア。……貴殿が構築した『氷鏡の処刑台』による証拠公開は、外交的な『言い逃れ』の余地を塵一つ残さなかった。ゼクス王子の身柄は、帝国の第一皇位継承権剥奪、および国境沿いの魔鉱山二箇所の割譲を条件に、先ほど本国の迎えの船へ引き渡された。これは我が国の完全なる外交的勝利である」
公式な謁見が終わり、重臣たちが次々と退席していく。重厚な扉が閉まり、広間に残ったのは国王夫妻とシエル、リルセリア、そしてティアリアのみとなった。
その瞬間、エドワード国王の厳めしい表情が、一気に「人の良い親父」のそれへと崩れた。
「――ふぅ、堅苦しいのはここまでだ。ティアリア、レオンハルトと共に本当によくやってくれた! 昨夜はテオドールと二人で、お前たちが送ってきた報告映像をツマミに祝杯を挙げたぞ。いやあ、あのアホ王子の絶望顔は最高だった!」
「お父様……公務中に何をしておられるのですか」
「公務が終わった後に決まってるだろうが」
シエルが呆れたように溜息をつくが、エドワードは気にせず王座を降り、ティアリアの元へと歩み寄った。
「ティアリア。貴女の才気には、改めて驚かされましたわ。リルの慈愛を汚させないために、あえて冷徹な役割を一手に引き受けた貴女の覚悟……王妃として、そして一人の女性として、心から感謝します」
王妃イザベラが優雅な所作でティアリアの肩を抱く。彼女の瞳は鋭いが、その中には実の娘を愛でるような温かさが宿っていた。
しかし、エドワード国王はそこでニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、息子であるシエルを指差した。
「ところでだ。功績は功績として、シエル。……貴様には少々、説教が必要なようだな?」
「説教? ……帝国を外交的に完敗させ、国益をもたらした私にですか?」
「黙れ。そっちの話ではない。……貴様、この一ヶ月、学園の内外で事あるごとにリルセリアを『私の婚約者』と公言していたそうだな? 廷臣たちからも『いつの間に正式な儀式を済ませたのか』と問い合わせの嵐だぞ」
国王の指摘に、シエルは眉一つ動かさず、当然のように隣のリルの腰を引き寄せた。
「……左様ですが、それが何か? 私のリルセリアが他国の毒蛇に狙われていたのです。所有権を明確にするのは管理者の義務でしょう」
「所有権とか言うな! そもそもだ、お前たちは幼い頃の誕生日パーティーで『婚約者候補』になったきりだ。正式な婚約の儀は来年あたりに、と思っていた矢先にこれだ。勝手に既成事実を積み上げおって。……おいイザベラ、聞いたか? この息子、手続きをすべて無視して『僕の婚約者』と言いふらしているんだぞ」
国王が呆れたように言うと、王妃は扇で口元を隠してクスクスと笑った。
「ええ、陛下。本当に、誰に似たのかしらね。……情熱的なのは良いことですけれど、このフライング王太子の暴走には、リルセリアさんも困っているのではないかしら?」
「フ、フライング……!? 王妃様、その……」
リルセリアは真っ赤になって顔を覆った。シエルは全く悪びれず、むしろ堂々と胸を張る。
「……フライング、結構なことではありませんか。手続きなど後回しです。私が彼女を愛し、彼女が私の隣にいるという事実こそが、すべての法に優先されます。……父上、ご不満であれば今すぐここで婚約届に署名しても構いませんよ?」
「誰が今すぐやれと言った! 全く、このフライング婚約者め。……これでは準備を急がねば、来週には勝手に結婚式を挙げかねん」
エドワード国王は頭を抱えながらも、その表情はどこか誇らしげだった。彼はティアリアに向き直ると、改めて真剣な面持ちで告げた。
「よし。来月、王宮にて『リルセリアとシエルの正式な叙任・婚約式』を盛大に執り行う。これは国王としての裁定だ。ティアリア、貴女の武功への『恩賞』として、この式典の魔導演出と警備全権を貴女に任せたい。……そして、テオドール公爵にも伝えておけ。娘を嫁にやる準備をな!」
「……承知いたしました、陛下。お父様には、ショックで寝込まないよう、私から『事務的に』お伝えしておきます」
ティアリアが深々と一礼する。
正式な婚約。それは、前世でリルセリアが辿り着けなかった「幸せの第一歩」だ。
シエルの「フライング」な情熱と、王家の温かな絆。前世にはなかったその輝きが、今、ティアリアの心をも優しく照らしていた。




