42:鉄の休息、そして月下の乾杯
国立魔法学園の卒業式と、それに続くゼクス王子の「公開処刑」から数日。王都にはようやく穏やかな日常が戻りつつあった。だが、事後処理という名の書類の山に埋もれていた男、レオンハルト・アルバレートにとって、本当の意味での「卒業」はまだ訪れていなかった。
◇◇◇◇◇
夕暮れの学園訓練場。誰もいなくなったその場所に、鋭い木剣のぶつかり合う音だけが響いていた。
「……ふん、相変わらず隙がないな、補佐官。実務に追われていたとは思えんキレだ」
カサンドラが放つ鋭い刺突を、レオンハルトは最小限の動きで受け流す。その動きには、膨大な事務作業で鍛え上げられた、無駄のない正確さが宿っていた。
「……君の剣が鋭すぎるんだ。私のような『事務屋』には、少々荷が重いですよ、カサンドラ卿」
数合の打ち合いの後、二人は同時に剣を引き、息を整えた。夕日に照らされたカサンドラの銀髪が、汗に濡れて輝いている。彼女は不意に、手に持っていた木剣を地面に置くと、少し照れくさそうにレオンハルトを見つめた。
「レオンハルト様、卒業おめでとう。……忙しすぎて学園の記憶がないと言っていたが、これでようやく一段落だろう?」
「……ありがとう。君にそう言われると、ようやく自分が学生を終えたのだという気がしてくるな」
レオンハルトがふと遠い目をしながら呟いた。
「そういえば……カサンドラ卿は、この学園には通わなかったのか? 君ほどの実力があれば、特待生として迎えられたはずだが」
「カサンドラでいい。……ああ、私はこの学園には行っていない。……実は私、バルドー辺境伯の娘なんだ」
「辺境伯の……? それは驚きだ。ならば、あえて王都の学園を避けたのか?」
「辺境の人間は、わざわざ王都の華やかな学園には行かないものだよ。……それに、私はあまり魔力がなくてね。魔法師としては三流以下だったんだ。聖魔力だけは少しばかりあったから、それを死ぬ気で磨いて、なんとか聖騎士にはなれたけれど。学園の天才たちに囲まれるより、剣を振っている方が私には合っていたんだ」
辺境伯の令嬢。その身分は、アルバレート公爵家とも十分に釣り合う高貴なものだ。だが彼女は、魔力の低さという逆境を撥ね除けるために、華やかな貴族社会ではなく、鉄と血の匂いがする騎士の道を選んだのだ。
「……魔力が三流、か。君のその一振りに、どれほどの研鑽が詰まっているか。この数カ月、君の背中を見てきた私にはよくわかる。……君は、誰よりも気高い騎士だ」
レオンハルトの真摯な言葉に、カサンドラは顔を真っ赤にして視線を泳がせた。
「……貴殿は、本当にずるい男だな。……いいわ、今夜は非番だ。約束通り、付き合ってもらうぞ。実務外の『戦術的意見交換』という名の酒の席に」
◇◇◇◇◇
王都の路地裏にある、騎士たちが好む静かな酒場。その片隅の席で、二人はささやかな乾杯の音を響かせた。
「卒業おめでとう、レオンハルト様。……貴殿の『事務作業』が、どれほどこの国を救ったか。私は誰よりも知っている」
「……ありがとう、カサンドラ。君がリルの隣で剣を振るっていてくれたから、私は安心して書類の山に向き合えた」
エールを一口飲み、レオンハルトはふと微笑んだ。
「……カサンドラ、君が辺境伯の娘だと知っていたら、もう少し丁寧な扱いをしたのだがな。補佐官として、君に無茶をさせすぎた」
「今更何を。私は貴殿のその、身分に関係なく『使えるものは使う』という冷徹な仕事ぶりが気に入っているんだ。……それに、私は私自身の力で今の地位を得た。辺境伯の娘としてではなく、聖騎士カサンドラとして……貴殿の隣にいたいと思っている」
さらりと言い放ったその言葉に、今度はレオンハルトが言葉を詰まらせた。
酒の勢いか、あるいは月明かりのせいか。二人の視線が重なり、気まずい、けれど心地よい沈黙が流れる。
「……ああ、わかった。ならばこれからも、一人の騎士として……そして、一人の女性として、頼りにさせてもらう」
「……っ。当然だ。……さあ、飲みなさい。今夜はまだ長いぞ」
不器用な二人の、不器用な祝杯。
学園での「青春」を奪われたレオンハルトにとって、カサンドラと過ごすこの夜こそが、遅れてやってきた彼自身の「卒業記念」となった。




