4:黒幕の視線と、運命の強制力
豪華な調度品と、天井から吊るされた巨大なシャンデリアが眩しく光を放つ、アルバレート公爵家の大広間。
リルセリアの6歳の誕生日を祝うパーティには、多くの貴族の子息令嬢が集まっていた。
「おねえちゃま、おたんじょうびおめでとう!」
「ありがとう、ティア」
白いフリルを重ねたドレスに身を包んだリルセリアは、まるで小さな女神のように微笑んでいる。胸元には、ティアとレオンハルトが選んだアザレアのブローチが輝いていた。
(今日だ。前世で、全てが始まった日……!)
ティアも姉とお揃いの生地のドレスを着ていたが、その小さな身体の中では、計画の最終チェックが繰り返されていた。
王太子との婚約阻止。
それは「ただの偶然の妨害」に見せかけなくてはならない。ティアの魔力が公の場で露見すれば、ヴァルドに目を付けられるのは確実だ。
パーティ開始から一時間。賑やかな喧騒の中、一瞬にして広間の空気が凍りついた。
扉が開かれ、公爵家の執事による荘厳なアナウンスが響き渡る。
「——シエル・フォン・アスラニア王太子殿下、及び、ヴァルド・エインズワース宮廷魔導師長、ご入場でございます」
純白の礼服を身に纏った王太子シエル(8歳)は、その美しさで周囲の視線を集める。
だが、ティアの瞳は、その影に控える男に釘付けになった。
白金色の髪をオールバックにし、冷徹な美貌を持つ男、ヴァルド・エインズワース。
(来た……!)
その瞬間、ティアの魔力が本能的に反応した。
「〜〜〜っ!」
頭の奥で、再びあの「不協和音」が最大音量で鳴り響く。ナターシャから感じたものとは比べ物にならないほど強い、異物感。
(王太子殿下の周りだ……!あのぬるい油みたいな魔力が、殿下の綺麗な魔力を喰い潰そうとしている……!)
ヴァルドが王太子に仕掛けている精神操作の禁術は、すでに進行している。前世で姉が婚約破棄されたときには、もう完全に王太子を支配下に置いていたのだろう。
ティアは、王太子がリルセリアのもとへ向かう様子を、静かに見つめた。
(間に合え……!お願い……!)
王太子はまっすぐにリルセリアへ歩み寄る。美しいものを見つけた子どものように、その瞳は輝いていた。
そして、リルセリアの目の前に立ち、話しかけようと、王太子が口を開いたその瞬間。
「ごきげんよう……ぐおっ!」
王太子の目の前に、突如として強い突風が吹き荒れた。
その風は、王太子の髪と、リルセリアのスカートの裾を大きく揺らすが、周囲の大人たちには、窓からの自然な風にしか見えない。
「ひゃうっ!」
風の発生源は、リルセリアの後ろで口元をハンカチで押さえていた、ティアの強烈な「くしゃみ」だった。
「ごほっ!ごほごほ!」
ティアはわざとらしく涙を浮かべ、小さな身体を震わせる。風魔法を応用した魔力くしゃみだ。
王太子は顔に風を受けたせいで言葉を途切れさせ、一瞬たじろいだ。
「な、なんだ……?」
「ティア!大丈夫!?」
リルセリアが真っ先に振り返り、咳き込む妹を心配そうに抱き寄せたため、王太子が声をかけるタイミングは完全に奪われた。
「ごめんなさい……っ、おねえちゃまぁ……」
ティアは涙目でリルセリアに抱き着きながら、王太子の横に立つヴァルドの顔を、チラリと見上げた。
ヴァルドの瞳は、ティアの小さな身体に向けられていた。
その顔は平静を装っているが、視線は鋭い刃のようだ。彼は一瞬、空間に残った微かな魔力の「波」を、見逃さなかった。
(今のは……風の魔術、か? いや、それにしては幼い……。この公爵令嬢の三女……?)
ヴァルドは、リルセリアではなく、妹のティアリアに、初めて明確な興味と警戒を抱いた。
「風邪をひいているようですな」
レオンハルトが、タイミングよくティアとリルセリアの間に割って入った。
「妹がご迷惑をおかけしました、殿下。外の風で冷えたのかもしれません。一度部屋で休ませます」
「あ、ああ……」
状況を飲み込めない王太子が曖昧に頷く。
レオンハルトは、ティアの小さな肩を掴み、そのまま抱き上げる。その腕の中で、ティアはレオンハルトの耳元へ、口パクで「ディスコード」と告げた。
レオンハルトの瞳の奥が、ピクリと揺れる。
(やはり、王太子の傍にいる。そして、このティアの行動で、ヴァルドがティアに目を向けた……。予定通りだ)
レオンハルトは一礼し、ティアを連れて大広間から退場した。
広間には、王太子が声をかけ損ねたことへの戸惑いと、風邪をひいた公爵令嬢の三女への同情の視線が残された。
そして、ヴァルドの冷たい視線だけが、ティアが消えた扉の方向へ、長く注がれていた。
◇◇◇◇◇
レオンハルトがティアを抱えて大広間から退場した数十分後。
パーティは形式的に再開されたものの、その中心は依然として王太子シエルと、今日の主役リルセリアの間に流れる不自然な緊張だった。
そして、パーティの終盤。
王太子がアルバレート公爵夫妻とヴァルドを引き連れ、公爵家の応接室へ移動したという知らせが、レオンハルトの耳に入った。
レオンハルトは部屋で休ませていたティアを抱き上げ、静かに応接室の前の廊下へと向かった。
(ティアの行動で、婚約は阻止できたはずだ……)
レオンハルトはそう信じていた。
しかし、応接室から出てきた王太子の表情は、なぜか満面の笑みだった。そして、公爵夫妻はどこか戸惑いと誇らしさが入り混じった顔をしている。
王太子はレオンハルトとティアを見つけると、輝くような笑みを向けた。
「アルバレート公爵、そして令息、令嬢。先ほどのティアリア嬢のくしゃみは驚いたが、これも運命の悪戯だろう」
王太子は、リルセリアに向き直った。
「リルセリア嬢。君の父上と母上に、君を我が妃に迎えることを望むと伝えた。正式な婚約は時期尚早だが、君は今日から我が最優先の婚約候補者だ」
リルセリアは、王子の突然の宣言に、ただ目を丸くする。
(嘘だ……!なぜ……!?)
レオンハルトは一瞬、絶句した。ティアが命がけで阻止しようとした運命が、わずかな時間稼ぎにしかならなかったのだ。
王太子の背後に控えるヴァルドは、レオンハルトとティアに、微かに口角を上げてみせた。
「公爵令嬢の三女殿。その純粋な魔力、いずれ帝国の役に立つことでしょう」
ヴァルドの言葉は、完璧な褒め言葉だった。
しかし、ティアは、それが「貴様が異変を起こしたことを見逃さない」という、明確な警告であることを理解した。
(止められなかった……!私が、姉様を悪役令嬢にしてしまう一歩目の運命を、止められなかった……!)
ティアの小さな手が、レオンハルトの胸元で固く握りしめられた。
こうして、ティアの必死の抵抗も虚しく、リルセリアは王太子の「最優先の婚約候補者」、すなわち未来の悪役令嬢となる運命を背負うことになった。




