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悪役令嬢にされたお姉様が○○されるのを断固阻止します!  作者: 夜宵
第三章 至宝の輝きと、鉄壁の守護者

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34:鉄の女の微かな綻び

 学園の喧騒が薄れ、茜色の夕闇が校舎の影を長く伸ばし始める頃。生徒の大半が寮や自宅へと帰り急ぐ中で、武錬場の片隅にある屋内訓練場からは、重く鋭い木撃の音が絶え間なく響いていた。


「はっ……、ふぅっ……!」

 凄まじい気迫と共に木人を叩き切っているのは、カサンドラ・バルドーその人であった。聖教会の誇る「聖女守護騎士団」副団長という重責。彼女は幼少期より、信仰と剣にのみ己の人生を捧げてきた。だが、帝国の第一王子ゼクスが王都に降り立ってからというもの、彼女の心は凪ぐことを忘れていた。


(甘い。まだ私の剣は、あの毒蛇の首を刈るには遅すぎる)


 ゼクス・ガレリアが時折見せる、獲物の深淵を覗き込むようなあの眼光。あれは、単なる色好みの王子のそれではない。カサンドラの騎士としての本能が、彼を「排除すべき害悪」だと叫んでいた。


 汗が額を伝い、重厚な銀の甲冑が体温で熱を帯びる。激しい連撃に、酷使された腕の筋肉が悲鳴を上げていたが、彼女はそれを精神力で押さえつけ、さらに剣を振るった。


「――聖騎士団副団長ともあろう者が、随分と無茶な鍛錬をするのだな」


 不意に背後からかけられた声に、カサンドラは反射的に鋭い踏み込みと共に振り返り、剣を突き出した。その切っ先が、相手の喉元わずか数センチの場所でピタリと止まる。


「……補佐官か。音もなく近づくのは、死にたい者のすることだぞ」


 現れたのは、書類の詰まった革鞄を脇に抱え、いつものように「疲れ」を纏ったレオンハルト・アルバレートであった。彼は喉元に突きつけられた刃に対しても、瞬き一つせず、事務的な冷徹さを保ったままカサンドラを見据えていた。


「声かけはしたのだがな。君の集中が……あるいは、肉体の疲労による思考の鈍化が、それを聞き逃させたのだろう」

「何だと……?」

「図星だろう。その腕の震え、そして呼吸の乱れ。今の君が実戦に立てば、初太刀を外した瞬間に隙を晒すことになる。……騎士としての矜持は結構だが、君が倒れれば、現在進行中の警備計画の半分が白紙に戻る。それは、私にとって致命的な実務上の損失だ」


 レオンハルトは淡々と、血も涙もない言葉を並べ立てた。だが、その瞳の奥には、自分と同じように「守るべきもの」のために己を削り続ける者への、奇妙な同族意識が微かに揺れていた。


 彼は鞄を足元に置くと、ポケットから銀紙で包まれた小さな包みを取り出し、カサンドラへ無造作に放り投げた。彼女はそれを、反射的に左手で掴み取る。


「……これは、何だ。新手の魔導兵器か?」

「ティアリアが、私の夜なべ(オーバーワーク)を心配して試作した、筋肉の疲労を和らげる魔導パッチだ。貼ると不快なほどに冷却されるが、翌朝の体のキレと魔力伝達効率が劇的に改善される。……使い方は、そこに同封しておいた」


 カサンドラが不審げに包みを開くと、そこにはレオンハルトの几帳面な――そして睡眠不足の影響か、少しだけ掠れた筆跡で『一度に三枚以上は貼らないこと』『冷たさに驚いて悲鳴を上げぬこと』という注釈が書かれていた。


「……貴殿こそ、その酷い隈をどうにかしたらどうだ。昨夜の午前三時、私が提出した警備報告書の写しに、一文字ずつ丁寧な赤字を入れていただろう。……他人に休息を説く前に、自らが見本を見せてはどうか」


 カサンドラのぶっきらぼうな指摘に、レオンハルトは一瞬、虚を突かれたように目を見開いた。そして、自嘲気味に口角を上げる。


「あれを見たのか。……私の精査が細かすぎたと不快にさせたのなら、謝罪しよう。だがカサンドラ殿、君の報告書は正確だが……あまりに、自分一人ですべてを背負おうとする傾向がある。……私は、私の部下や優秀な協力者が、無意味に消耗して欠けることを好まないのだ」


 レオンハルトは、カサンドラの隣を通り過ぎ、訓練場の壁に立てかけられた彼女の予備の剣を、整えるようにそっと触れた。


「君は『至宝』を守る鉄壁だ。だが、鉄であっても手入れを怠れば錆びるし、無理に曲げれば折れる。……明日の朝、君が万全の状態でリルの後ろに立っていることを期待している。では、失礼するよ」


 レオンハルトは、自分の仕事がまだ山ほど残っていることを思い出したかのように、再び革鞄を抱えて去っていった。その背中は相変わらず疲れきって見えたが、どこか揺るぎない芯の強さを感じさせた。


 静まり返った訓練場。カサンドラは、手に残ったパッチの冷ややかな感触と、レオンハルトが去り際に残した「実務的だが確かな信頼」を反芻していた。


「……鉄、か。貴殿こそ、そんな無理を続けていれば、いつか動かなくなるぞ。……馬鹿な男だ」


 カサンドラは小さく呟くと、誰に見せるでもなく、少しだけ照れくさそうにパッチを腕に貼り付けた。瞬間、肌を刺すような冷気が広がり、彼女はあやうく小さな悲鳴を上げそうになったが、それを必死に飲み込んだ。


 レオンハルトの言う通り、確かにこの「冷たさ」は異常だったが、それ以上に、冷え切っていた彼女の心に、微かな熱が灯ったような気がしていた。

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