26:浄化の光、そして、幸せな帰結
リルセリアの聖魔力の閃光が地下室を満たした後、静寂が訪れた。
黒い支配の魔力は完全に消滅し、部屋の中央の魔力炉は、リルセリアの純粋な力によって内部の結晶から崩壊を始めた。
「ば、馬鹿な……。この私、ヴァルド・エインズワースが、四十年かけて築き上げた魔術が……たった一瞬の光で……」
ヴァルドは、信じられないという表情で崩れ落ちた。彼の体から、魔術的な力が急速に失われていく。彼は魔力炉と一体化していたため、炉の崩壊はそのまま彼自身の魔力の消滅を意味していた。
ティアは、意識が朦朧としながら必死でリルセリアに頼んだ。
「お姉様、魔力炉の核を……完全に、破壊して……」
リルセリアは、ティアが命がけで守ったバトンを確かに受け取り、崩壊しかけている魔力炉に手をかざした。聖魔力が最後の力を振り絞り、魔力炉の核を完全に浄化し、粉砕した。
ヴァルドは、その事実を認められず、よろめいた。魔力炉と一体化していた彼の肉体から、力が急速に失われていく。彼は一気に老け込み、魔術的な権威も、威厳も全て剥ぎ取られたただの老爺と化した。
ティアが意識を失う中、潜入してきたランドール公爵とレオンハルトが、ヴァルドを拘束した。
「ランドール……貴様……この力さえあれば、私は王国の全てを……」ヴァルドは虚ろな目で公爵を見た。
「ヴァルド。貴様は、私欲のため、王族を支配し、善良な者を陥れ、私の家族の命を狙った。貴様の四十年は、ここで完全に終わった」
ランドール公爵は、魔術師団長として、かつてのライバルに冷酷な裁きを下した。
ヴァルドは、全ての爵位と称号を剥奪され、王城の地下牢へと連行された。その後の彼の判決は、王族支配という重罪により、貴族社会で最も忌み嫌われる極刑となった。
◇◇◇◇◇
魔力炉の支配が解けた瞬間、王城内のシエルは、長きにわたる精神支配から解放された。しかし、四十年近くの魔力支配の反動は大きく、彼は激しい頭痛と精神的な混乱に苛まれていた。
数日後。ティアとリルセリアが公爵邸で同時に目を覚ました。二人が意識を取り戻したという報告を聞き、シエルは公爵夫妻の許可を得て、すぐさま部屋へと駆けつけた。
彼は、二人を前に深々と頭を下げ、懺悔するように跪いた。
「ティアリア嬢、リルセリア。君たちに、命の恩人と言っても足りないほどの感謝を伝える」
シエルは憔悴しながらも、真っ直ぐな瞳でティアとリルセリアを見つめた。彼は、自分が支配下にあったことを公的に認め、ヴァルドの悪事を暴露するための全ての責任を負うことを二人に約束した。
「私を救ってくれたのは、君たちの知恵と奇跡の力だ。そして、特にリルセリアには……」
シエルは、支配の後遺症が深く、未だに思考が曇る瞬間があることを正直に告げた。
その時、リルセリアがそっと彼の額に手を当てた。
「殿下、わたくしがいます」
リルセリアの覚醒した聖魔力は、治療と浄化を司る。彼女の温かい光がシエルの額から流れ込むと、シエルを覆っていた陰鬱な魔力の残滓が消えていった。
「これは……!頭が、澄んでいくようだ……」シエルは驚きと安堵の表情を見せた。
リルセリアが目覚めた後も、シエルは頻繁に公爵邸を訪れるようになった。彼はもはや公務を建前とせず、公然とリルセリアを求め、その傍を離れようとしなかった。
後遺症の治療と称して、リルセリアは毎日、シエルと静かに手を繋ぐ時間を持つようになった。
ある日の午後。ティアと公爵夫人が席を外した、二人きりの時間だった。シエルは、ソファに座るリルセリアの傍に身を寄せ、そっと彼女の手を握りしめた。
「リルセリア」
「殿下……?」
シエルは熱を帯びた瞳でリルセリアを見つめ、彼女の手の甲にそっと唇を押し当てた。
「君の存在が、私の唯一の薬だ。君のこの光に触れていると、あの悪夢のような支配が、遠い過去に消えていくのを感じる」
シエルの真剣な眼差しに、リルセリアの頬が赤く染まる。
「そ、そんな、わたくしはただ、殿下が苦しまれないように……」
「違う」シエルは言葉を遮り、リルセリアの顔を両手で優しく包み込んだ。
「これは治療ではない。愛だ。支配されていた間、私の心は君を求めて叫んでいた。あの屈辱的な日々を、心から償わせてほしい」
「殿下……」
「君がいなければ、私は正気に戻れなかった。君だけが、私を救ってくれた。だから、もう二度と、君を私の傍から離さない。いいだろう?」
シエルの真摯で情熱的な言葉に、リルセリアは顔を覆いたくなるほど恥ずかしくなったが、その胸は幸福で満たされていた。
「はい……殿下」
リルセリアが小さく頷くと、シエルは安堵と歓喜の表情を浮かべ、彼女の手に熱烈なキスを贈った。
◇◇◇◇◇
事件の終息後、公爵家と皇室の関係は、揺るぎないものとなった。
事件から数日後、まだ学園の長期休暇中であったティアの元に、シエルから正式な辞令が届いた。
「ティアリア嬢、君の知性と魔術の才能は、この王国に必要不可欠だ。君の功績と能力を鑑み、異例ではあるが、在学中より宮廷魔導師に任命したい。もちろん、学業に支障がないよう配慮する」
「宮廷魔導師」という地位は、ヴァルドの悪事のせいで、今や負のイメージがつきまとっていた。シエル自身も、その地位をティアに勧めることに躊躇している様子だった。しかし、史上最年少での任命は、ティアの天才性を世界に示す、この上ない名誉でもあった。
ティアはすぐに決断した。
(宮廷魔導師か。ヴァルドのせいで印象は最悪。でも、お姉様の傍にいられるなら)
ティアは、隣で穏やかに微笑んでいるリルセリアを見た。シエルとリルセリアの婚約は、揺るぎない真実の愛によって、強固なものとなっていた。
(この宮廷魔導師の地位は、お姉様が皇太子妃になった時に、一番近くで警護し、サポートできる場所。ヴァルドが汚したこの場所を、私がお姉様の聖女の光と共に清めてみせる)
ティアは、心の中で微笑み、恭しく頭を下げた。
「シエル王太子殿下。宮廷魔導師として、この地位にふさわしい清廉さをもって、殿下とこの国にお仕えいたします」
悪役令嬢としての破滅の運命は、賢い妹の回帰と聖女の愛によって、完全に打ち破られた。
ティアは、穏やかな太陽の光が差し込む窓辺で、心の中で静かに微笑んだ。隣には、愛する姉の、屈託のない笑顔があった。
◇◇◇◇◇
数日後、公爵邸の陽光溢れる庭園では、事件後初めて家族全員が揃って茶会を開いていた。
「お父様、お加減はいかがですか?」
ティアが尋ねると、ランドール公爵はリルセリアに治癒された肩を回し、豪快に笑った。
「ああ、絶好調だ。リルの聖魔力のおかげで、以前より体が軽いくらいだよ。……ティア、そしてリル。二人とも、本当によく頑張ってくれた」
お父様に愛称で呼ばれ、リルセリアは照れくさそうに微笑んだ。
「お父様ったら。わたくしたちは、ただ家族を守りたかっただけですわ」
隣に座っていたリディア公爵夫人が、愛おしそうに娘たちの手を握った。
「ええ。こうしてまた、家族だけで穏やかにお茶の時間を過ごせることが何よりの幸せよ」
そこへ、騎士団の訓練を終えたレオンハルトが、汗を拭いながらやってきた。
「まったく、殿下は今日も来ているのか? 先ほど玄関先ですれ違ったが、僕たちのリルを独占しすぎじゃないか。……ああ、そうだティア。さっき城からの帰りにオルセン教授の研究室へ寄ったんだが、ナターシャ嬢が『ティアリア様に、例の解析は順調だとお伝えください』と言っていたぞ。今日は家族で過ごすと聞いて、彼女は研究室に残るそうだ」
お兄様の言葉に、ティアは思わず微笑んだ。
ナターシャは公爵家の家族の時間を邪魔しないよう気を利かせ、代わりに研究を進めてくれているようだ。
ティアは、家族の笑い声を聞きながら、オルセン教授から預かってきたメープルクッキーを口にした。
(前世では、この庭園は冷え切っていて、誰も笑っていなかった。お父様は倒れ、お兄様は絶望し、リルお姉様は……。でも、今は違う)
ティアは、手元に届いた「史上最年少の宮廷魔導師」の任命書をそっとテーブルに置いた。これからは、この力を使って、この温かな日常と、大好きな家族を永遠に守り続けていくのだ。
「お姉様、次はどんなドレスが着たい? 殿下との次のお出かけのために、わたくしが最高に可愛いデザインを考えてあげる」
「もう、ティアったら!」
赤くなるリルセリアを囲んで、再び笑い声が響く。
アルバレート公爵家の庭には、いつまでも穏やかな春のような時間が流れていた。




