2:怯える少女と、新たな決意
数日後。
リルセリアの六歳の誕生日を明日に控え、屋敷中がそわそわと準備に追われていた。
「ティア、今日はお姉様のプレゼントを買いに行くんだろう?」
声をかけてきたのは、アルバレート公爵家の長男、レオンハルト=アルバレート(10歳)。
姉妹と同じプラチナブロンド。
切れ長の緑色の瞳は、誰が見ても「将来有望な若き公爵家跡取り」そのもの。
性格は真面目で優しく、しかし妹たちに甘い。
「おにーちゃま!!いく!プレゼントかいにいくの!!」
ティアはぱたぱたと駆け寄り、レオンの足に抱きついた。
レオンは苦笑しながらティアの頭をぽんぽん叩く。
「今日は僕が護衛兼つき添いだ。父様から頼まれてね。ティアがはしゃぎすぎて迷子にならないようにって」
「まよわないもん!!」
「昨日、庭で魔法練習して靴脱いで走り回ってたのは誰かな?」
「……てぃあ、です……」
しゅん、と小さくなるティアに、レオンは優しい笑顔を向けた。
「大丈夫。今日は僕がついてるから好きなだけ選んでいいよ」
「!!ありがとおにーちゃま!!」
ティアはぱぁっと笑い、レオンの手をぎゅっと握った。
王都の貴族街、中央通り。
通りには色とりどりの布地、宝石、小物の商店が並び、人々の活気で賑わっている。
「おねえしゃま、ブローチすきそう……。かわいいのえらぶ!」
「リルセリアには上品な雰囲気が似合うからな。ティアが選んだら喜ぶよ」
レオンが優しく言いながら、ティアの頭を撫でる。
ティアは胸の中があったかくなるのを感じた。
(絶対、素敵なもの買う……!)
宝飾店のショーウィンドウを覗き込んでいると——
「きゃっ……!」
ちいさな悲鳴とともに、何かがレオンの背中にぶつかってきた。
「わっ……大丈夫かい?」
レオンが振り向くと、地味な色のワンピースを着た幼い少女が尻もちをついていた。
髪は栗色。瞳はくすんだ緑。
まだ五歳くらいだろうか。
「あ、あの……す、すみません……!」
少女は震えた声で謝った。
小さな手は泥で汚れ、ワンピースの裾は擦り切れている。
(この子……)
ティアの胸がざわっとした。
前世の記憶で見た“あの女”とは、雰囲気が全然違う。
怯えて、必死で、誰かに怒られることを前提に生きているような目……。
「気にしなくていいよ。怪我はない?」
レオンは優しい声で手を差し出した。
少女はおそるおそる、その手を握る。
「……だ、だいじょうぶ……です……」
立ち上がると、少女は深々と頭を下げ——
誰かに呼ばれたように、慌てて走り去っていった。
残されたティアは、小さな胸に不思議なざわつきを覚えていた。
(いまの子……ナターシャ……?
でも、こんなに怯えてて……前世とは……違う?)
「ティア、どうかした?」
レオンが覗き込む。
ティアは首を小さく振った。
「んーん……!」
(まだ決めつけちゃだめ……。
あの子が“未来のナターシャ”なら……
なんであんな目をしてたの……?)
胸の中で、わからない疑問だけが膨らんでいく。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
レオハルトのエスコートで入った宝飾品店は美しく上品な宝飾品で溢れていた。
店主が恭しく頭を下げる。
ティアはキョロキョロして、すぐにブローチの棚へ走り寄った。
「おねえしゃまこれすきかな!?いやこっちもかわいい!!」
「落ち着いて、ティア。全部買う気だろう?」
「ばれた!?」
レオンに抱えられて戻されるティア。
店主はくすりと笑い、ひとつの小箱を差し出した。
「こちらなどいかがでしょう。
“姉妹を守る”という意味を持つ花、アザレアのモチーフです」
ティアの瞳がきらりと光った。
「これ!!これにしましゅ!!」
「即決だな。よし、これにしよう」
レオンが微笑み、購入の手続きをする。
ティアは鼻歌をうたいながら箱を抱き締めた。
(さっきの子……やっぱり気になる……)
ティアは箱を抱えたまま、そっと後ろを振り返る。
(もしあの子がナターシャなら……
おねえしゃまを傷つける未来を迎えさせないためにも……
ちゃんと見なきゃだめだ……)
ティアの小さな胸に、ひとつの新しい決意が芽生える。
——“敵”にする前に、“知る”こと。
まだ4歳の彼女は気づかない。
その決意が、大きな運命の分岐になることに——。




