虚空と光の戦場
王国は沈黙を恐れた。
加護塔の消失を“虚空の呪い”と呼び、神殿は祈りを捧げ続けた。
だが祈りは届かない。
王は決断する。――神の沈黙を破るため、聖騎士団を出陣させる。
虚空と光、二つの理がぶつかる時、
世界の構造が初めて“歪む”。
夜明け。
灰色の霧が王都を包み、祈りの声が響いていた。
聖騎士団――王国の象徴にして神の刃。
その先頭に立つのは、団長ライナルト・ヴェルデン。
白銀の鎧、胸に刻まれた光の紋章が淡く輝く。
「光は沈まない。
我らが祈る限り、神は見ておられる。」
彼の背後で、数百の騎士が膝をつく。
神官が詠唱を終えると、加護の光が彼らの剣を包んだ。
塔の沈黙を“虚空の呪い”と断じた王の命により、
彼らは北の霧の谷――“加護塔の跡地”へと進軍する。
◇
一方その頃、ヴェルアインの黒の塔。
ゼル=イグナシアは円卓に立ち、地図を見下ろしていた。
加護塔を改変した余波で、虚空因子の深層が変質している。
《虚空収納》――存在を情報化し、虚空に沈める新たな力。
「神の観測を、完全に断てる……」
「つまり、殺さずに“消せる”ということか?」
マアラが呟く。
「違う。存在を“外”に避難させる。
……世界の外側で、再構築の余白を作るだけだ。」
その言葉と同時に、黒の塔が微かに震えた。
遠方――王国軍が動いた兆候。
「光の軍勢、来るぞ。」
「ようやくか。……試す時だ。」
◇
昼下がり、霧の谷。
白と黒の軍勢が相対する。
祈りの光が霧を割り、魔族の影が地を這う。
ゼルはその最前線、黒い外套を翻して立っていた。
「ここが、お前たちの信じる“神の地”か?」
「虚空の徒よ、穢れた理を持ち込むな!」
ライナルトが剣を抜く。
「神の光は万象を裁く。お前のような存在も例外ではない!」
光が爆ぜ、戦端が開かれた。
祈りが風を裂き、加護の槍が雨のように降る。
魔族たちは防御陣形を組むが、光の威圧は凄まじい。
ゼルは一歩前へ。
《虚写》が視界を覆い、陣形の構造が線となって浮かぶ。
祈り、加護、魔力、信仰――それらの繋がりを“数式”として捉える。
(……なるほど。構造は美しい。だが脆い。)
指先を弾く。
《虚空因子》が位相反転を起こし、光の障壁が内側から崩壊した。
光が音もなく沈み、祈りが途切れる。
「な……何をした!」
「間違いを正しただけだ。」
祈りの連鎖が消え、戦場が静寂に包まれる。
だが――一人だけ、まだ立っていた。
白銀の鎧を纏う男、ライナルト。
「……神は沈まぬ。」
「沈んでることにも気づかないのか。」
「貴様こそ、神の理を歪める異端者だ!」
光が彼の全身を包む。
聖紋が燃え、鎧が天の光柱と化す。
その光を見た瞬間、ゼルは冷静に口角を上げた。
「……興味深い。」
《虚写》発動。
光の流路を読み取り、内部構造を写し取る。
《虚空収納》が同時に反応。
ライナルトの身体が淡く震え、視界から“抜け落ちた”。
残ったのは、鎧の残光と、静寂。
マアラが目を見開く。
「……ゼル。今のは?」
「存在を虚空に沈めた。殺してはいない。
代わりに、彼の“構造”を写した。」
手を掲げると、霧の中に白銀の影が現れる。
それは、ライナルトと寸分違わぬ姿。
声も、魔力も、魂の匂いすら同じ。
「……神ですら、見分けられまい。」
「だが、目的は何だ?」
「混乱だ。
王国に“希望”を返す。偽りの光を、な。」
◇
数日後、王都。
聖騎士団が帰還。
傷ついた兵たちの先頭に、団長ライナルトが立っていた。
彼の声は静かで、しかしどこか冷たかった。
「虚空は退けた。神の御加護は、我らと共にある。」
王は涙を流し、神官たちは祈りを捧げる。
だが、その祈りの光は――微かに焦げていた。
夜。
神殿の壁が光り、祈りの像が軋む。
加護が過剰反応を起こし、周囲の空気が燃え上がる。
「……神が喜んでおられる!」
「違う、それは……!」
聖印が割れ、光が暴走する。
祈りが、炎となって街を焼く。
ゼルは遠くの丘で、それを見下ろしていた。
「神の加護は、毒にもなる。
それでも人は祈るのか。」
マアラが隣で問う。
「偽りの光が、世界を壊す……それが、お前の望みか?」
「違う。
これは“予行演習”だ。
神が何を見失ったのか――知るためのな。」
黒い空に、ひび割れのような光が走った。
神の観測系が再び動き出す。
しかしその目は、ゼルを“認識できなかった”。
「……見つけられないか。
よし、それでいい。」
夜風が吹く。
王国の鐘は鳴らない。
光と虚空の狭間で、世界は音もなく変わっていく。
王国に“勝利”を与えたはずの聖騎士団。
だがその光は、救いではなく“罰”だった。
神の加護は暴走し、祈りは街を焼いた。
そして神は、初めて“理解できない存在”に直面する。
虚空。
光と闇の理の外側にある、完全な余白。
次章、第9章──観測不能領域(天界編)
神が目を開く時、世界は初めて自らを疑う。




