闇と契る者
※第5章の続きです。
王国の地下遺構で“勇者召喚=供物”の真実を見た健人は、
修正ではなく“破壊と再構築”を選んだ。
虚空因子が未知の波長に共鳴し、闇の底で声が呼ぶ。
それは、人ではない何か――。
ここから、光と闇の時代は終わる。
次に始まるのは、虚空の時代だ。
崩れた研究室を背に、俺は闇の中へ踏み出した。
《虚空因子》が呼吸のように脈打つ。胸の奥で、波長が誰かを指し示している。
(近い。あと――三つの角を曲がって、落ち窪んだ空洞か)
青い線が視界に走り、世界の骨格が描かれる。
《虚空視》はもう、ただの視覚補助じゃない。
俺の意思に合わせて、必要な情報だけを“前景化”してくれる。
やがて、岩肌がえぐれた大きなドーム状の空間に出た。
冷たい霧の向こう側で、複数の影が身構える。
金属の匂い。
独特の魔力振動。
人間ではない、けれど“生きている”としか言いようのない密度。
「――人だ。いや、光の民の匂いは……薄い?」
低くざらついた声が、霧の向こうから落ちてくる。
その直後、黒い閃光が弧を描いた。
魔術ではない。魔術の“型だけを凝縮した”斬撃だ。
(来る)
考えるより先に体が動く。
《虚写》が相手の軌跡を写し、俺の筋肉へと上書きする。
一歩、半身。刃の芯だけを指先で逸らす。
黒い閃光は岩壁に吸い込まれ、静かに霧散した。
「……神の残滓を纏いながら避けた、だと?」
別の声。女の声。よく通る、よく鍛えられた声だ。
霧が薄れ、五つの影が姿を現す。
黒革と骨の装甲。額からわずかに伸びる角。
虹彩は深い灰色――魔族の色だ。
先頭の女が片手を上げ、後衛を制した。
銀灰の髪を肩で切り、頬に古傷が一本。鋭いが、冷静な目だった。
「名を名乗れ。光の民か、闇の徒か。それとも――」
背後の若い男が唸る。
「まさか、“虚空の残滓”じゃないだろうな? そんなもの、神が最初に封じた“外側”にしか存在しないはずだ。
人の形で歩くなど――あり得ない!」
女がちらと視線を送る。
「黙れ、レイン。まだ決めつけるな」
俺は一歩前に出て、霧を裂いた。
《虚空因子》が微かに反応し、空気が整列する。
霧の粒子が幾何学模様を描いて収束し、青白い線が空間の継ぎ目を照らした。
「封じられた? 違うな。――神が“理解できなかった”だけだ」
俺は二歩だけ前へ出た。
《虚空因子》が微かに震え、周囲の空気が“整列”する。
霧の粒子が幾何学模様を描いて収束し、青白い線が空間の継ぎ目を照らした。
「封じたんじゃないさ。理解できなかっただけだ」
若い魔族が舌打ちと同時に詠唱に入る。
地を這う影――侵蝕系の魔法陣。
踏めば脚から芯まで腐らせるタイプだ。
(写す。分解する。戻す)
《虚写》が影の構造を“計算式”として視界に展開し、
《虚空因子》が逆位相の波形を重ねる。
俺が足を一歩、踏み出した瞬間――影は影のまま、影へ還った。
「なっ……」
「やめろ、レイン」
銀灰の女が短く言い、刃を下ろさせた。
「――お前は何者だ。光の加護ではない。だが、我らの闇でもない」
「異界の人間。名前は――」
一瞬だけ迷い、俺は言葉を変えた。
魔族と対等に立つための“名前”が、ここで要る。
「……ゼル=イグナシア。今は、その名で通す」
銀灰の目が、わずかに見開かれる。
背後のレインと呼ばれた若者は鼻で笑った。
「偽名で威圧か? いいだろう、ゼル。次は首を――」
「レイン」
女は首を横に振った。
「そいつは“見えている”。神の光に汚れていない視界でな」
俺は彼女を見る。
彼女は俺を正面から見る。
沈黙が、対話の代わりになった。
「……語れ」
銀灰の女が言う。
「我らは封印の異常を追って最下層へ来た。
そこで貴様に遭った。虚空の共鳴を感じた。――虚空は神話ではないのか?」
「神話は、負けた側の記録だ」
俺は、ここに来るまでのことを、必要な分だけ話した。
クラスごとの召喚。
二つのギフト――《虚写》と《虚空因子》。
王の命令で“消されかけ”、世界の座標がずれてダンジョンへ落ちたこと。
そして、王国の地下遺構で見た真実。
勇者召喚が供物であり、魔族の魂が燃やされ続けた歴史であること。
「信じるかどうかは、好きにしろ」
俺は最後に言った。
「だが、俺は見た。見て、写して、構造ごと再構築した。
光の加護は、犠牲の上でしか立たない偽物だ」
レインが歯噛みする。
銀灰の女は、しばらく目を閉じた。
長い呼吸のあと、彼女は静かに名乗る。
「私はマアラ。ヴェルアイン領・斥候隊の頭だ」
そしてわずかに顎を引いた。
「……虚空の欠片。ゼル=イグナシア。
貴様の言葉は、私の傷と共鳴する」
彼女の鎧の下、胸骨の奥で、
焼けた痕跡が青く疼いた――《虚空視》がそう見せた。
光の神に焼かれ、残った“空白”。
彼女はその空白と生き延びてきたのだ。
マアラは続ける。
「我らの目的は一つ。神を殺すことだ。
結果として、神の加護を失った人類は滅ぶだろう。――それでも構わぬか?」
「構わない」
即答だった。
「腐った正義を延命させるぐらいなら、空白にした方がいい」
レインが吠える。
「やはり人間は――」
「違う、レイン」
マアラは彼を制した。
「こいつは“光の人間”ではない。
神の外側から来た“観測者”だ」
俺は片手を上げ、言葉を補う。
「観測者で終わるつもりはない。
俺は“再構築者”だ。
壊して、写して、作り直す――それが俺のやり方だ」
そのときだった。
《虚空因子》が、マアラの魔力と深く噛み合った。
低い和音が空洞全体に満ちる。
闇が膨らみ、光が退く。
二つの力は争わず、ただ“無音の中心”を共有した。
マアラが、初めて笑った。
ほんの、わずかに。
「……共鳴したな」
「共鳴した」
俺も短く返す。
「では、提案だ」
彼女は片膝をつき、手を差し出した。
「我らは貴様を“虚空の勇者”として迎える。
ヴェルアインに来い。魔王陛下に会わせる。
同盟を――結ぼう」
背後で、レインが肩を怒らせる気配。
だが彼は、もう刃を抜かなかった。
俺は差し出された手を見て、少しだけ視線を落とす。
この手は、光に焼かれ、闇で癒えず、
それでも生きるためだけに鍛え直された手だ。
(悪くない)
掌と掌が触れた瞬間、
《虚空因子》が契約の紋を刻んだ。
痛みではない。
むしろ、失った何かが帰ってくるような、奇妙な温度が走る。
「――契約成立」
マアラが立ち上がる。
「出立はすぐだ。封印の余波で王国の監視網が目覚める前に、ここを離れる」
俺たちは闇の回廊を進んだ。
途中、崩落した橋、逆流する重力の裂け目、
神の光に焼かれ黒化した石英――
この世界の“修正痕”が、そこかしこに転がっている。
(光の修正は、傷を隠しただけだ。……なら、やることは一つ)
地表からは想像もできない広さの洞。
最奥、黒曜の塔が天井へ向かって伸びていた。
塔の中は空洞で、底に黒い湖――魔力の海。
その中央に、玉座が浮かんでいる。
男が座っていた。
黒鉄色の髪。瞳は煤けた金。
大仰な装飾はない。
ただ、在るだけで空間の重心が変わる。
マアラが片膝をつく。
「魔王陛下。封印区画の異常――その源にして、虚空の共鳴者をお連れしました」
男は目だけを俺に向けた。
深く、遠い海を覗き込むような視線。
そして、ごく短く言う。
「久しい。……外の意志よ」
「外の意志?」
俺が反射的に反芻すると、男は口角を僅かに動かした。
「我は知っている。光の神が恐れ、名を与えぬまま封じた“余白”のことを。
虚空――世界が世界であるための、見えない骨組みだ。
お前はそこから来た。違うか、異界の子よ」
「違わない」
俺は玉座の前に歩み出て、壁も床も空もない“中心”に立つ。
「名前は健人。……だが、今はゼル=イグナシアと名乗っている。
神を壊し、この世界を写し直すためにな」
男――魔王は、ほんの少しだけ目を細めた。
「望みは明快だ。だが笑える。
光の神は“静止”を愛した。
闇の魔は“変化”を愛した。
そして虚空は――“選択”を愛した」
(選択、ね)
魔王は立ち上がる。
玉座が、静かに沈む。
彼は一歩で距離を詰め、手を差し出した。
握手の形ではない。
掌を上にして、受け皿のように。
「我はヴァル=レグナ。
闇の民を束ねるだけの器に過ぎぬ。
お前に問う、虚空の勇者よ。
我らは“闇の礎”として、お前の再構築に力を貸すべきか?」
俺は彼の掌を見下ろした。
あの王と違う。
目の前の“王”は、支配ではなく、選択を与えている。
「貸せ」
俺は言った。
「俺は人類を救わない。
だが、自由へ至る道は残す。
そのために、光の神を否定する」
ヴァル=レグナは頷いた。
「良い。ならば、我らは貴様の“闇の礎”となろう」
掌と掌が触れ――黒い紋が俺と魔王の手に同時に刻まれた。
《虚空因子》が深く鳴る。
契約ではない。
もっと原始的で、もっと自由な“合意”の音だ。
ヴァル=レグナが離し、背を向ける。
玉座に戻る途中、振り返らずに言った。
「光と闇の戦は、ここで終わる。
次に始まるのは――虚空の時代だ」
「同意する」
俺は短く答え、マアラの方を見る。
彼女は僅かに口角を上げた。
「ようこそ、虚空の勇者。
ここからが、本当の戦だ」
俺は頷いた。
(人間を捨てるわけじゃない。
ただ、神の“人類”からは降りる)
胸の奥で、《虚空因子》が静かに光った。
ゼル=イグナシア――この世界の外側に立つ名が、やっと“居場所”を得た気がした。
――闇と契る者、終。
魔族との遭遇は敵対から始まり、
戦闘、対話、共鳴を経て“同盟”に至りました。
ポイントは三つ。
① 魔族は“悪”ではなく、光の神に適合しなかった“自由の民”。
② 健人(=ゼル)は観測者ではなく“再構築者”。意志で虚空を扱う。
③ 魔王ヴァル=レグナは支配者ではなく、“選択”を掲げる知性として描写。
次章からは、同盟の第一歩――
王国の“加護供給網”を切断する情報戦と、
虚空を使った最初の“書き換え作戦”へ移れたらなと思います。
光の正義は、音もなく崩れ始める。




