1.兄ちゃん、異世界に転生する
「ここはどこなんだ……」
さっきまで夜ご飯の準備のために、買い物に行っていたのに、気づいたらゴミ捨て場のようなところで、僕は眠っていた。
ご飯を待つ弟妹のために早く家に帰らないといけないのに、全く知らない場所に戸惑いを隠せない。
「うっ……何このにおい!? 生ゴミみたいなにおいがする……」
それに僕の体からは生臭いにおいが漂ってくる。
あまりにも疲れて道端で眠ってしまったのだろうか。
――ポチャン!
何か雫が落ちるような音が聞こえたと思い、振り返るとそこには大きな丸い塊があった。
大きさ的には僕よりも3倍ぐらいは大きいだろう。
ん? 中学生の僕よりも3倍大きいって相当大きいはず……。
「うっ……!」
突然、ヌルリとした感触が肌を覆い、全身が粘液の中に沈み込んでいく感覚に襲われた。
目も口も塞がれ、空気がどんどん奪われていく。
息を吸おうとしても、ヌメッとした何かが喉に入りかけて――。
「ぷはっ!」
必死にジタバタともがいていると、突然息が吸いやすくなった。
「大丈夫か!」
目を開けるとそこには黒髪で目つきの鋭い男が、僕を抱きかかえていた。
チラッと見た感じ、任侠映画に出てもおかしくない見た目をしている。
まるでヤクザみたいな……。
「残りのビッグスライムも討伐しました」
「どうやらゴミ溜めを食べ過ぎて成長した……えっと……隠し子ですか?」
「バカタレ!」
次から次へと男たちが寄ってくるが、誰もが目つきが悪く、僕よりもかなり大きく感じる。
それよりも僕が隠し子ってどういうことだ?
それに僕はもう中学生だぞ。
ちゃんと助けてもらったお礼を――。
「ありがとうございます」
自分の口から出た声に、僕は凍りついた。
高く、幼く、軽やかで、声変わり前の弟と同じ声が聞こえてくる。
「声が違う!?」
慌てて自分の喉元に手を当てると、わずかに骨ばっていたはずの喉仏もどこかへ消えていた。
それに手を見ると、とても小さく、小学校低学年の弟と同じぐらいの手の大きさを……。
「僕って小さくなって……ますか?」
僕は抱きかかえている男に尋ねると、首を横に傾げていた。
「ん? 子どもだから小さいぞ?」
やっぱり小さくなっているのは確かなようだ。
わけのわからない状況に僕の頭は混乱している。
「エルドラン団長、きっとビッグスライムに襲われて混乱しているんじゃないですか?」
「エルドラン団長……?」
どこかで聞いた覚えがあるが、詳しいことは思い出せない。
これも混乱しているせいだろうか。
「ああ、そうかもしれないな。ひとまず騎士団庁舎に連れて行くか」
「僕臭いから……」
体も汚いから逃げようと抵抗はしたものの、がっしり掴まれていたから、逃げることすらできない。
「ビッグスライムに吸収されているから問題ない」
あの大きな塊に包まれたことで、体から生臭さが消えて、綺麗になっていた。
あいつは僕をゴミだと勘違いしていたのか。
僕は逃げる理由を失ってしまった。
そのまま抱えられると、どこかへ連れて行かれることになった。
石畳の道には馬の蹄の音が響き、見たこともない言語で書かれた看板があった。
まるでゲームの中に入り込んだような異質さが、じわじわと現実味を帯びてくる。
「着いたぞ!」
目的地に着いたのか、僕はエルドラン団長と呼ばれる男の腕から降りると、男たちの後ろに付いていく。
屈強な男たちに囲まれる僕。
傍から見たら誘拐された人に見えなくもなさそうだ。
「ここが俺ら第三騎士団“黒翼騎士団”の庁舎だ」
「やっぱり……」
目の前にある大きな建物を見て、ここが本当にゲームの世界だと確信した。
「黒翼騎士団……」
弟がやっていたゲームの中に、悪役騎士団と言われる黒翼騎士団が存在していた。
内容までは覚えてないが、面倒な仕事ばかりさせられ、最後は悪役として仕立てられて殺される。
そんな理不尽極まりない騎士団で可哀想って言ってたのを思い出した。
「ほら、早く入りなよ」
後ろから押されて中に入ると、鼻の奥を刺激するようなツーンとした匂いに、僕は再びゴミ捨て場に来たかと思った。
「ゴボッ……臭い……」
息をするのもやっとで咽せてしまう。
チラッと男たちに視線を向けるが、特に気にしている様子はない。
「そうか?」
「俺らは特に感じないぞ」
僕以外はこの匂いを感じないのだろうか。
汗の匂いが充満した男子更衣室に、様々な食べ物の匂いが混ざっているような感覚に近い。
それに建物の中なのに、ハエのような虫がたくさん飛んでいる。
「皆さん、掃除はしないんですか?」
「うっ……いやー」
「俺たちは騎士だからな」
僕の言葉に屈強な男たちが言葉を詰まらせる。
騎士だから掃除をしないってどういう言い訳だ?
きっと掃除が苦手なんだろう。
「何か掃除できる道具はありますか?」
「ホウキと布ならあるぞ?」
嬉しそうにエルドラン団長と呼ばれる男は、ホウキとボロボロの布を持ってきた。
その姿は遊んで欲しいとおもちゃを持ってきた大型犬に見えた。
僕はそれを受け取ると、窓を開けて空気の入れ替えをする。
「とりあえず、掃除をするので必要なものは片付けてください」
「必要なもの? そんなものは特にないぞ?」
エルドラン団長は他の騎士に確認するが、全員首を横に振っている。
「まさか……これ全部ゴミなんですか……」
可愛い弟妹だって掃除はしていた。
大人で子どもの憧れでもある騎士が、簡単な掃除すらできないなんて……。
「はぁー」
僕はため息をついてはいられなかった。
まずは大きな袋に使えそうなものと、そうではないものを分けながら片付けていくことにした。
全部いらないと言っていたが、衣類や食器類も中には紛れている。
「はい、これ捨てて来てください」
「おっ……おう」
もちろん近くで見ていたエルドラン団長にも手伝わせる。
ゴミを捨てに行くなら誰でもできるし、またあの変な丸い塊には会いたくないからね。
「あの団長をこき使うとは……」
「将来は大物になるぞ……」
エルドラン団長が働けば、部下も動くかと思ったがそうでもないらしい。
「ほら、お兄ちゃんたちも手伝ってよ!」
「俺らか?」
「まぁ、頼られたらな……」
嫌な顔をするかと思えば、頭を掻いて満更でもない表情をしていた。
意外にも手伝ってはくれるようだ。
「んっ……なんだこれは……」
その後も掃除を進めると、床に輝く何かを見つけた。
「こんなところに鏡を……うえええ!?」
僕は僕ではないような気が薄々感じていた。
だが、実際に鏡を見て、そこに写っていたのは本当に知らない人だった。
「どうした!? 何があったんだ?」
エルドラン団長はその場にゴミを投げ捨て、すぐに戻ってきた。
「もう帰れないのかな……」
僕はなぜ知らない人になっているのだろうか。
魂が誰かに乗り移ったのか、それとも――。
「くっ……」
「おい、大丈夫か!」
僕は突然の頭痛にその場でうずくまる。
そうだ――。
「僕は弟を助けるために……」
頭の中で途切れていた記憶が戻ってくる。
そういえば、買い物を終えて帰っている最中に、外で待っていた弟が走ってきて――。
一粒の涙が頬を伝う。
「ああ、死んだんだ」
僕は車に轢かれそうになった弟を庇った。
もう会えない家族のことを思うと、涙が溢れ出てくる。
弟は助かったのだろうか。
ただ、それだけが心配だ。
「エルドラン団長が泣かしたんですか?」
「顔が怖いですもんね……」
「ちげーよ!」
僕の心とは反対に、騎士たちはあたふたとしていた。
何もかもが騒がしいのに、不思議と寂しさだけが、静かに胸の奥に残っていた。
弟妹たちのことを思うと、僕は立派な兄になれていたのだろうか。
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