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二章 医師見習いの少年②

 昼下がりの陽は柔らかく、畑に植えられた薬草たちが静かに風に揺れていた。

 シェリンは手袋をはめながら、葉に虫がついていないか一つひとつ確認していく。風通しのよさと日照のバランスが重要で、日々の手入れは欠かせなかった。


 あげすぎないように気をつけながら、水やりもしていく。

 乾いた土がゴクゴクと水を飲んでいるようなこの光景がどこか面白くて、シェリンは森にいたときから嫌いではなかった。


(小屋の畑は、さすがに荒れちゃってるだろうな)


 採れるものは摘んでから来たかったのだが、夜中で真っ暗だったこともあり、断念せざるを得なかった。

 盗賊と邂逅したときに、畑近くの土は大量の血を吸っている。水で洗い流したとはいえ、あれだけの量を吸収してしまっては、薬草たちに悪い影響しか与えていなかっただろう。


 今ごろ茶色一色に変わってしまったであろう畑を想像すると、苦い笑いがこみ上げた。


 せめてここに生えている薬草はしっかり育ててやろう、と土を整えていると、騎士団寮の裏手の方から、低い声が聞こえた。


「ったく、ほんとお前……かわいくない猫だよね」


 その声に、ミアの「シャアッ!」という威嚇が重なる。


(ミア……?)


 不安になってスコップを置き、土のついた手を軽く払って建物の裏手へ回りこむ。


 建物の陰、木漏れ日がまだらに落ちるその場所で、小さな白猫が背を丸めて威嚇している。

 その前には、フードを深くかぶった細身の少年の姿があった。


 シェリンが見たことのない、しかし先日の医務室で噂には聞いていた人物。


(……リシャールさん)


 その瞬間、彼がふと顔をあげて、視線が交わった。


「……何?」


 面倒そうにため息をつきながら、彼はフードの影からじろりとシェリンを見つめた。フードで表情はよく見えないが、いい印象を抱いている人に向ける声色ではないことは確かだった。


「……あんた、シェリン、だっけ?」

「はい。すみません、ミアがご迷惑を――」

「別に。僕の方が先に仕掛けたし。……ほんと、愛想のない猫だな」


 肩をすくめながらミアから目を逸らすリシャール。

 その態度に毒気はあるが、どこか自嘲気味でもあった。


 シェリンはそのまま立ち去ろうとした。

 関わるべきではないと、直感的にそう思ったからだ。


 だが、背を向けた瞬間、背後から嫌味のような声が飛んできた。


「……よくそんな顔して、ここで平然と暮らせるよね」


 足が止まる。


「いかにも訳アリですっていう顔してるくせに、隠してることは何も言わない。どうせハンスさんの優しさにつけ込んで利用したんでしょ?」


 彼の声には、嘲るような鋭さと、深く刺さる冷たさがあった。


「それなのに、騎士団の人たちにチヤホヤされて、子どもと遊んで、いい子ぶって……器用なもんだよね。羨ましいよ、ほんと」


 シェリンは振り返れなかった。


「たった一週間でもう『ここの人間』みたいな顔してさ。ハンスさんもよくやるよ。訳アリの孤児ばっかり拾ってきて。厄介でしかないのに」


 シェリンに向けられた言葉のはずなのに、どこか寂しさの混じったような、諦めの混じったような感情が、チラチラと顔を出している気がした。


「……迷惑をかけるつもりは、ありません。そのために、努力します」


 静かに言葉を返すと、しばらく沈黙が訪れた。


 リシャールが何かを言いかけた気配もあったが、結局、何も言わずに立ち去っていく。


(あの人は、自分が騎士団の人たちを傷つけるんじゃないかって怖がってる)


 その寂しげな後ろ姿に、シェリンはそう感じた。


 リシャールが容姿を隠す理由こそ、彼の言う「厄介事」が関係しているのだろう。そして、その厄介事が引き起こす事態を彼は恐れている。だからこそ、誰とも関わらず、あんな出会った瞬間に刺してきそうなほどトゲトゲした雰囲気をまとっているのかもしれない。


 そんな彼の前に、同じように保護された怪しげな子どもが突然現れて、しかも立場もわきまえず過ごしているとなれば、憎らしいと思うのも仕方がないのかもしれない。


(言い方はきつかったけど、根は優しい人なのかも……?)


 ミアがふわりとシェリンの足元へ擦り寄ってくる。


「ごめんね、ミア。怖かったね」


 そう言って抱き上げると、ミアは満足げにのどを鳴らした。



 ***



「――っていうことがあったんですけど……」

「あー……また? あいつ、動物にも嫌われてんの?」


 ケラケラと笑いながらも、ヒューの手は包丁さばきを止めない。

 玉ねぎを刻みながら、彼はふと真顔になった。


「でも……まあ、あいつ、ずっとあんな感じっすからね」

「そうなんですか?」


 ヒューは肩をすくめる。


「あんまり詳しくはねぇけど。俺も見習いとして騎士団(ここ)に来てまだ半年とかだし。でも、少なくとも俺たち騎士見習いにはずっとあんな態度っすよ。ずっとフード被ったままで、まだ顔も見たことない」

「どうしてなんでしょう?」

「さぁねぇ。『窮屈じゃねぇの?』って一回聞いたら、無視されたし。カミル隊長に聞いても、本人に聞けってはぐらかされるだけだったっすよー?噂では、没落貴族の子どもなんじゃないかとかいろいろ言われてるけど。……ま、詮索されたくないことなんて、誰にでも一つや二つくらいあるし、関わらないのが一番だと俺は思ってます」


 シェリンはヒューが刻んでくれた玉ねぎを、大きな鍋の中に入れる。豆と炒め合わせるのをヒューに代わってもらって、味付け用にトマトをすりつぶしていく。


「あーでも……前に一回、深夜にリシャールが裏庭にしゃがんでるの見て。手に小さい布持ってて、なんか動くもん包んでたから……多分怪我した鳥かなんかだったんだろうなぁ。だから、本当は優しい奴なのかも。ちょっと不器用なだけっぽい」


 そう言ってヒューは力なく笑った。


(……簡単に踏みこまれたくない気持ちは、よく分かる)


 シェリンだって、自分が上手く子どもらしい子どもを演じられているとは思っていない。彼らに隠し事をしていることくらい、勘の鋭い騎士たちはもうすでに気づいているだろう。

 だが、彼らは気づかないふりをしてくれている。「森で一人暮らしをしていた女の子」として扱ってくれるから、シェリンも騎士団で過ごそうと思えるのだ。


 それが崩壊するとき、シェリンは迷わず騎士団と縁を切ることを選ぶだろう。


 だからこそ、お互いのためにリシャールとはあまり関わらない方がいいのかもしれない。

 シェリンだって、探られたくないことはあるのだ。


 もしも彼が、シェリンの秘密を無理やりにでも暴こうとするならそのときは――。


 グチュ、とつぶれたトマトの汁が、エプロンに飛んで赤色がジワジワと滲んだ。


「うわ、シェリン強くつぶしすぎだって!」

「……すみません。考えごとをしていて、つい」


 すりつぶしたトマトを鍋に入れ、水も追加してぐつぐつと煮込んでいく。

 トマトの少し酸っぱい匂いが食欲をそそる、栄養満点のスープができあがった。


(そういえば……)


「美味そー」と鍋を覗きこむヒューを見て、ふと思い出した。


「……ヒューさん、深夜に出かけてたんですか?」

「え……?」


 騎士団寮では、特に必要なことがない限り、門限を守らなければならない。健康的な体づくりのため就寝時刻が決まっていると、ここに来た日にハンスから説明を受けた。

 騎士見習いは、まだ夜の見回りは担当ではない。つまり、ヒューの言った深夜、彼は寝ているはずであり、外に出ていることなんてあり得ないはずなのだが――。


「さっき、深夜にリシャールさんを裏庭で見たって」

「い、いやいや! ちがう! たぶん夕方! あれは夕方の……暗くなりかけの! ほら、夜中だったら暗くて手元なんて見えねぇし! 言い間違った!」


 あたふたとする彼の目は、嘘をついたときのレネのようにキョロキョロと泳いでいる。

 高いところから飛び降りたり、深夜にこっそり外出したりなど、忙しい人だ。


「俺、配膳してくる!」と皿を持って逃げるように走り去ったヒューを見て、大きなため息が漏れた。

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