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一章 ロンペルディア公爵家②

「ねぇ、本当にここなの?」


 リシャールの不服そうな声が、ぽつりと落ちた。でもそれは、嫌悪感ではなく、恐れを含む不満のようだった。微かに声が震えている。


「わあっ! ひろーい!!」


 対照的に、きゃあとレネは興奮しながらシェリンにしがみついてきた。レネのような純粋さを持ちあわせていれば、この貴重な経験を楽しめたのだろうが、残念ながらシェリンはリシャールと同じ側の人間だった。


 いったい門からどのくらい歩かなければならないのだろうかというほどに、庭が広い。その中央には装飾された噴水があり、水でさえ一級品のように見える。


「これは、もう、お城では……?」


 まるで一つの家族が住んでいる屋敷とは思えない。国の施設だと言われたほうが、まだ気分が楽だといえるほどに、公爵家はすごかった。


 フュラーの友人であるカミルは何度も遊びにきたことがあるそうで、気後れすることなく馬車を降りていく。

 レネを先に降ろしてもらったあと、慣れないエスコートを受けながらシェリンも馬車を降りた。


「遠いところ、ようこそお越しくださいました」


 執事と思われる眼鏡をかけた初老の男性が、労いの言葉をかけてくれた。


(ただ純粋に歓迎してくれてそう、かな……)


 さすがは公爵家。相手が平民の子どもでも、決して手を抜いたりしない。ただ胸に手を当て緩やかに微笑む所作でさえ、洗練されていて隙がなかった。


 大きな扉の前で使用人たちが整列しているのを見て、目を輝かすレネの手を握りながら思わずぺこりと頭を下げる。


(使用人の服も高級そう……布の艶が全然違う)


 たぶん従者も貴族出身の人たちばかりなんだろうな、と自然に感想がこぼれる。

 この一家だけでとんでもない金額が動いていそうだと内心苦笑していると、いつもの騎士服ではない、貴族らしい少し華やかなシャツを着たフュラーがこちらへ歩いてきた。


「よ――」

「まぁまぁまぁ! なんてかわいらしいお客さんかしら!」


 いつもの無表情で何かを言いかけたフュラーを、穏やかでふんわりとした声が突然遮った。


「……母上」


 淡い緑色のドレスに身を包んだ、儚げな女性。

 姉と言われても違和感のないほどに若々しく美しい顔立ちをした彼女は、たしかに言われてみればフュラーとよく似ている。


「カミルさんも、久しぶりね」

「お世話になっております、公爵夫人」

「もう、そんな堅苦しいのはやめてちょうだい。……今日は小さいお客さんたちも一緒なんでしょう。紹介してちょうだい」


 その言葉とともにこちらへ視線を向けられた瞬間、両脇に並んだ存在がビクッと体を揺らした。


「騎士団で保護している子どもたちです。今回はご厚意でこちらに滞在させていただけるとのことで……本当にありがとうございます」


 お前たちも挨拶を、とカミルに小さく呟かれ、ここは年長のリシャールから――と思ったが、フードを深く被ったまま微動だにせず、使い物にならなそうだったので、代わりに一歩前へ出る。


(貴族の挨拶ってどうするんだっけ?)


 いつか貴族の世界に触れることになるかもしれないから、と育ての親から軽く教えられた礼儀作法を記憶の中から掘り起こす。

 たしか、軽く膝を折ってスカートをつまみ、頭を下げる、だったはずだ。


「シェリンと申します。よろしくお願いいたします。こちらはリシャール、こちらはレネと申します」

「まあ! とてもしっかりした子ね!」


 この場に育ての親がいたら絶対に注意されていただろう無愛想な挨拶でも、公爵夫人はニコニコと笑ってくれた。

 さすがは公爵家。懐の余裕だけではなく、心の余裕まで持ちあわせているらしい。


「私はフュラーの母です。アンネおばさんと呼んでね」


「いや、それは……」と喉元まで出そうになった言葉をぐっと飲みこみ、できるだけやわらかく見えるように微笑んだ。

 貴族の世界は、困ったら笑っていればいいと、育ての親は言っていた。「笑み」こそが武器だと。


「ふふ。懐かしいわ、オスカーも困ったときはそうやって笑って誤魔化してた。……フュラー、こんな魅力的なお嬢さんをどうして今まで隠していたの」

「……母上がこうなると分かっていたからです」


 ハァと呆れたようにため息をついたフュラーは、「母がすまない」と視線で謝ってきた。

 謝罪を受け入れるわけにもいかないので、再び笑って曖昧にしておく。


「よく来たな。長時間の旅で疲れただろう。中に案内する」


 そう言って案内された屋敷の内装も、それはすごいものだった。

 外観にまったく劣らない、高級感あふれる調度品の数々に、ほこり一つなく掃除された廊下。

 見たことのない家具に興味津々なのか、いろんなところにスッと伸びるレネの手を掴むのに、シェリンもリシャールも忙しかった。


 一人一室として案内された客室は、大人が四人並んで寝ても余裕がありそうなほど大きな天蓋つきのベッドが、部屋の端にちょこんと配置されていた。

 部屋の中央にはローテーブルとソファ、意匠を凝らしたエンドテーブルとチェスト。平民が何年働いても一つも買えないような家具ばかりが置いてあった。


(……やっぱり、宿でよかったんだけど)


 正直、ベッドに寝転ぶこともソファに座ることも、気が気じゃない。ゆっくり休めるわけがない。


 せめて誰かと一緒に、とレネの世話を盾に彼女と同室にしてもらったら、リシャールがものすごい形相でこちらを睨みつけていた。


(でも、しょうがない)


 シェリンはレネから呼び捨てで呼んでもいいと言ってもらえるくらい、彼女の信頼を得たのだ。最近仲良くなり始めたリシャールとは格が違うのである。

 と言ってやりたいところだが、さすがに、彼ももうすぐ成人なので、女性と同じ部屋というわけにはいかない。


 そんなわけで、リシャールは泣く泣く高級品という危険物だらけの部屋に一人で放り込まれることとなったのだ。


「おいおい。リシャール、お前緊張しすぎだろ」

「当たり前でしょ。どう見ても高いものだらけなのに。不用意に触って何か壊れたらどうするの」

「大丈夫だ! 俺一回絨毯に飲み物こぼしてるから」

(うわぁ……)


 ヒュッと小さな悲鳴がリシャールから上がった。

 シェリンも思わず苦笑してしまう。

 カミルはそんな彼とシェリンを見て、ケラケラと笑った。


「いやぁ、さすがにあのときは焦ったな! 公爵家(ここ)じゃなかったら俺は今ごろ貴族の奴隷にでもされてたかもなー」


 冗談が冗談に聞こえない。

 きっと今日は緊張で頭が覚醒して、眠ることなんてできないだろう。


 けれど、空気感だけはいつもと同じなのが、唯一の救いなのかもしれないと、シェリンは思った。

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