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一章 ロンペルディア公爵家①

 馬車の車輪が石畳をとらえるたび、こつこつと規則正しい音が続いていく。

 揺れは森の道よりもずっとなめらかで、まるで街全体が律動をもって生きているようだった。


 窓の向こうに見えてきた灰色の市壁は、空を切り取るように高く、重厚で、ひどく現実味を帯びていた。


 その手前では、人々が右へ左へと忙しく行き交い、露店が軒を連ねて煙を上げている。香辛料の刺激的な匂い、焼きたてのパンの香り、馬のいななき、子どもの笑い声。すべてが一気に押し寄せてきた。


「……すごい……」


 思わず漏れたシェリンの声に、レネが大きくうなずいた。


「ねえねえみて、あれ! 空にとりがいっぱい! 人の服、ぜんぶちがう! なんか、おまつりみたい!」


 目を輝かせながら身を乗り出すレネの肩を、カミルがぐっと押し戻す。


「落ちるぞ、レネ。王都の地を踏む前にケガしたら笑いもんだ」

「え〜、でもほら! あの服のひと、すごくいっぱいキラキラついてる! あれ貴族?」

「ただの流行り物だ」


 後ろの席で、リシャールは無言のままフードを深くかぶりなおしていた。じわりと額に浮かんだ汗が、彼の緊張を物語っている。

 第三騎士団の本部があるあの街――セルヴェホルツではあり得ないほどの人口に、体がこわばってしまうのはシェリンも同じだった。あそこも立派な街だと思っていたが、王都(ここ)は比べ物にならないほど大きい。

 ここに来てようやく、ハンスの言っていた意味が分かる気がした。


 カミルがちらりとリシャールの様子を見て、ひとつ肩をすくめた。


「リシャール、お前なあ……別に誰も見ちゃいねぇよ。王都じゃ、もっと変なやついっぱいいるって」

「……視線が、うるさいんだよ」


 ようやくしぼり出したような声に、カミルが声を上げて笑う。


「ハッ、王都ってのはな、そういう場所だ。全員が誰かを見てるし、全員が誰のことも見てない」

「言ってること矛盾してるけど、カミル隊長の言いてぇこと、なんとなく分かるっす」


 前方の御者席から苦笑の混じったヒューの声がする。

 彼にとっても王都は久しぶりのようで、キョロキョロと視線をあちこちへ向けていた。


「たぶん、慣れたら気になんなくなるって。最初は戸惑うだろうけど……大丈夫だ、みんな一緒だから」


 そう言って優しく目を細めたカミルの手のひらには、レネの小さな手がぎゅっと重ねられていた。彼女もまた、ほんの少し不安を抱いていたのだろう。


 王都の門前にある検問所では、多くの人たちが並んでいた。

 ひときわ多くの荷物を抱えた商人たちが目立つ。彼らは何台も馬車を連ねて行儀よく待っていた。

 待っている間にも取引が行われているようで、あちこちから商品名とその値段を叫ぶ声が聞こえてくる。


「うわぁ……これ見ると王都って感じするんすよねー。祭り前だしさらにいろんなもん持ってきてますね」


 開いた袋の口から見える大量のアクセサリーに、異国情緒のあふれる物珍しい服。ヒューやカミルは、箱からはみ出るほど積み重ねられた武器を見ながら、良し悪しを言い交わしていた。


「シェリンおねえちゃん! あれみて! かわいいね!」


 もちろんこの祭り最大のイベントに使うランタンも、大量に売り出されていた。シンプルな形のものからかわいらしい形をしたものまで、さまざまなランタンがコロコロと並べられている景色は、とても不思議だった。


 カミルが騎士団の証を見せると、衛兵たちはすぐに敬礼し、馬車を通した。王都の門が、重たく開かれていく。


 途端、目の前に広がる光景が変わった。


 白い壁の家々、交差する橋、噴水、花の飾られたバルコニー。無数の人波の向こう、空の高みに尖塔がそびえ、鐘の音が鳴り響く。


 レネが思わず息をのむ気配が横から伝わってきた。


(まるで、絵本の中に入ってしまったみたい……)


 雰囲気や空気もセルヴェホルツとはまったく違う。

 人々の声で彩られた街は、眩しさを感じるほどに色鮮やかだ。


 けれど、夢のような景色の中で、胸のどこかが少しだけきゅっと痛んだ。これほどまでに人がいて、活気があって、さまざまな命が交差しているのに――自分だけが、ほんの少しそこに馴染めていないような、奇妙な感覚がする。

 それは外から来た人間だからか、森で引きこもるようにして暮らしていたからなのか分からないが。


「――お前たちがいろいろ見てみたいのは分かるけど、まずは団長の屋敷だな。今回の宿は特別だ」


 そう。今回は、ロンペルディア公爵家という、王都で最上級の宿と言っても過言ではないほどの場所に、シェリンたちは滞在することになっている。

 あまりにも恐れ多すぎる展開に、思わず「宿は別のところが……」と口を出してしまったシェリンだったが、安全面や通学の関係から、公爵家への滞在が決まってしまったのだ。

 家の主であるフュラーが言うには、客人を招待するのは久しいので使用人たちは喜ぶだろう、ということだった。


 王都の大通りを進んでいくと、人の流れは次第に洗練され、建物の装飾はより上品になっていく。風に乗って運ばれてきた花の香りが、どこか懐かしくて胸をくすぐった。


(ここが貴族街……)


 人通りがほとんどなくなり、代わりに蹄が地面を叩く音ばかりが聞こえてくる。すれ違う馬車は、シェリンたちが乗っているものよりもずっと重厚な扉に包まれ、陽の光を反射するほど丁寧に磨かれていた。


「でっけぇ……」

「おい、ちゃんと前見て運転しろ」


 セルヴェホルツからずっと御者を務めてくれているヒューの頭がペシッと叩かれる。


 でも、シェリンもヒューの気持ちを少しだけ理解できた。

 思わず見惚れてしまうほどに大きく、高級感のある屋敷が立ち並び、一寸の狂いもないように手入れされた庭が輝いている。

 誰だってよそ見をしてしまうだろう。


(一人で来ようとか思わなくてよかったかも)


 もし第三騎士団へと誘われなければ、シェリンは裏のルートを使って身分証を偽造し、王都の書物を読み漁ってから帝国へ渡ろうと考えていた。

 しかし、そんな軽はずみな考えでここに来ていたら、今ごろ不審人物として地下牢の中に入れられていただろう。


 それに、市壁の外にいたときから視界を離れない、とてつもない大きさと威厳を誇る王城のすぐそばに、王立アカデミーはあるらしい。

 ということは、もちろん貴族街の一画にあるということだ。


 今さらながら少し不安になってきたかもしれない。


(……ここで、ちゃんと何か見つけられるかな)


 直接の答えが見つかるとは思っていない。でも、不死能力につながる手がかりの一つくらいは、掴みたいと思っている。


 不安と期待が、心の奥でそっと混じり合っていた。


 シェリンは、興奮して転げ落ちそうなレネの手をぎゅっと握りしめた。

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