終章 心強い味方①
リシャール視点
昼間なのにカーテンが閉ざされ、夜のように真っ暗な部屋の中で、リシャールはじっと座りこんでいた。
あの日、カミルが怪我を負ったときから、フュラーやハンスを除いて誰にも会わず、ずっと一人で過ごしてきた。
もう、誰も呪わないように。
たいていの人間は、みんなリシャールのことを怖がったり、悪く言ったりして、自分たちの方から離れていった。
しかし、一ヶ月ほど前にここへ連れてこられた少女――シェリンだけは、違った。
白と銀色が混ざったような美しい髪に、見た人全員を惹きつけるようなどこか憂いを帯びた整った顔立ち。
初めて見たときは貴族の子だと思ったし、また面倒そうなのが来たなと思っていた。
シェリンは、人ならざるもののような異質な雰囲気をまとっていた。
リシャールと同じように、普通の子どもたちとは違う、何かを抱えた子どもだった。
でも、自分とは違って、すぐに騎士団に溶けこんで生活をしていた。自分と同じ厄介者のくせに、いろんな人に頼りにされているのが、うらやましかった。
シェリンだって、どうせ自分が「呪い」を持つものだと知ったら、あの軽蔑に満ちた目を向けてくるのだろう――そう思っていた。
(……でも、違った)
濃い紫の瞳を見ても、驚いたような表情をしただけで、なんてことないかのように、普段通り声をかけてきた。
リシャールの体に、自ら触れることさえ躊躇わなかった。
リシャールが何も言わず、返事もせず、ただ部屋に閉じこもり続けても、シェリンは毎日あたたかい食事を持ってきてくれる。
(申し訳ないとは思う……けど)
外に出る、勇気がない。
また自分が誰かを傷つけてしまったら――そう思うと、人と関わるのが怖かった。
「……?」
トン、トンと、扉がノックされる。
食事の時間にしてはずいぶん早くないか、と思っていると、リシャールが一番会いたくなかった人の声が扉の向こうで聞こえた。
「おい、リシャール! 起きてるか?」
――カミルだ。
リシャールは何も言わず、ただ彼が諦めて帰っていくのを待つ。
しかし、カミルはもう一度激しく扉を叩き、続けて言った。
「リシャール、開けろよ! 扉ぶっ壊して入るぞ!」
ガサゴソと外で物音が聞こえる。
「おーい、本当に入るぞー? 扉の前から離れとけよ!」
――ガコンッ! と、大きな音が鳴る。
リシャールが反応しないうちに、鍵は壊され、閉ざしていた扉は外側から開けられた。
「……っ!」
驚いて顔を上げると、カミルが腕を組んで、部屋の中を睨むように見回していた。
「お前、いつまでウジウジしてんだよ」
リシャールは小さく眉をひそめた。
「……来るな。また呪われるよ」
「上等だ。俺はもうお前に一本取られてんだ。次は負けねぇよ」
挑発するような表情で、カミルは笑った。
「……ふざけんな。お前、僕のせいで騎士続けられなくなったんだろ。そう聞いた」
「お前のせいなわけあるか。たしかに危険区域に入ったのはお前のせいだけど、誰があんなタイミングで山が崩れると思う? 偶然だよ、偶然」
その「偶然」が、きっと呪いなんだ、というのは彼には届かない。
「でも……僕があそこに入らなきゃ、カミルが怪我することもなかっただろ」
「まぁ、それはそうだな」
カミルは真剣な表情で深く頷いて、「でも」と続けた。
「騎士なんてそんなもんだろ? いつ任務中に死ぬか分からん。そんな職業だ。お前も医師見習いなら分かるだろ?」
分かっている。けれど、そんな簡単に受け入れられることでもない。
(……あんな目に遭わせておいて、僕だけがのうのうと生きていられるわけないだろ)
リシャールは唇を噛み締めた。
「それにさ、俺の応急処置したの、お前なんだろ?」
「なんで……」
なんで、知っているんだ。
そんな声が飛び出しそうになった。
「シェリンが教えてくれたんだよ。自分がしたわけじゃないから、きっと俺が崩落に巻き込まれたときに一緒にいたリシャールがしたんだろうってな。そしたらお前、俺の命の恩人だろ?」
カミルが巻き込まれたとき、どうすればいいか分からなかった。
でも、目の前で苦痛に呻くカミルをただ見ているだけなんてできなかった。
もしかしたら、あの場の空気に背中を押されたのかもしれない。
ハンスに習ったことを必死に頭の中から引き出して、応急処置だけ済ませた。
そしてその後助けに来た騎士たちに、すべてを任せたのだ。
フュラーやハンスに事情を聞かれたときも、この話はしなかった。
そんなことを言う資格はないと思ったから。
でも、それに気づいてくれた人がいた。
「そんなわけでさ、お前がどう思ってても、こっちはとっくに吹っ切れてんだよ。なのにお前がいつまでもそんなじゃ、俺が悪いみたいだろうが」
カミルはため息をつきながら、部屋の隅に放られたローブを拾ってこちらに投げてきた。
「とりあえず、今日は外に出ろ。シェリンが買い出し頼まれてる。荷物持ちくらいできるだろ?」
「なんで僕が……」
「お前、謝んなきゃいけねぇだろ。シェリンに」
彼の言葉に、ぴくりと体が震えた。
それは自分でも分かっている。でも、合わせる顔がなかった。
カミルはベッドの上にドスリと座ると、こちらを見た。
その瞳は、いつになく真剣だった。
「……シェリンも結構おかしい奴だよ」
「は……?」
カミルの突然の悪口に、リシャールは言葉を失った。
「お前と似てるんだよなぁ……なんか子どもらしくないっていうかさ。子どものくせにどっか一歩引いてるっていうの? 良く言えばまっすぐで純粋なんだろうけど、子どものくせにこだわりも無いし淡々としてんだよ。変だろ?」
「……変だね」
「しかもさ、俺、騎士はずっと剣しか駄目だって思ってた。剣を持たない騎士なんてどこにもいないしさ。……でも、違ったんだ。そう、あいつに気づかされた。大人でも気づかねぇことを、あんな小さな子が冷静に考えてた」
普段は馬鹿みたいなことをして笑っているような人間なのに、カミルは、こういうところが鋭いな、とリシャールは思う。
だからこそ、みんなから慕われているのかもしれないが。
「俺は、別にシェリンの抱えてるものを知りたいわけじゃない。まぁ気にはなるけど、シェリンが話したくなったらでいいと思ってる。……でも、ずっと誰にも言えないままなのも、辛いだろ?」
カミルの言葉は、リシャールにも向けられているように感じた。
簡単に理解されたくない。
でも、誰にも分かってもらえないことは、もっと寂しい。
だからさ、とカミルは続けた。
「二人で一回、ちゃんと話してみろよ。お前らきっと、いい友だちになれると思うぜ」
「そう、かな……」
リシャールは自信がなかった。
でも、「ああ」と頷くカミルを見ていると、不思議と上手くいくような気がした。
カミルが投げてきたローブに身を通し、立ち上がる。
「……迷惑かけてごめんなさい。助けてくれてありがとう」
声が震えていた。
でも、思っていたよりもずっと上手く言えた気がする。
「お前……ちゃんと言えるじゃん!」
「痛い!」
目を丸くしてわしゃわしゃと頭を撫でてくるカミルの手を、ペシッと払いのける。
真っ暗な闇に包まれていた部屋には、いつの間にか昼の光が一筋差し込んでいた。
光は、リシャールの足元をやさしく照らしていた。