五章 破滅を呼ぶ崩壊③
「呪い子だ! 近づくな! 呪われるぞ!」
言葉が、拒絶が、少年を切り裂く。
リシャールは立ち尽くし、顔色が真っ青になっていった。
(『呪い』って、そういう……)
以前、医務室で聞いた言葉の意味が初めて理解できた。
この世界には、かつて魔術を使う一族が存在したと言われている。しかし、大規模な魔術師狩りが行われたあと、一族は滅びてしまい、現在では「古代魔術師」と呼ばれる伝説上の存在となっている。
その中でも特に、濃い紫色の瞳を持つ魔術師は、人を呪い殺すと言い伝えられていた。目が合うと心を操られ、殺されてしまう、と。
魔術がなくなった今も、彼らの色を継承する者に近づけば呪われて殺される、そんな迷信があった。
それを馬鹿げたことだと、声を挙げるものは少ない。事実、ただの迷信だとは言えないほど、紫目の人々の周りでは不幸な出来事が多発してきたからだ。
それゆえに、人々は濃い紫色の瞳を持って生まれてきた人たちを「呪い子」と呼んで、自分たちから遠ざけている、と以前読んだ本には書いてあった。
(こんなに迫害されてるとは、知らなかったけど……)
シェリン自身も紫色の瞳ではあるものの、淡いすみれ色でグレーにも見えるからか、このような扱いは受けたことはなかった。
しかし、こうして実際に状況を見てみると、リシャールが意地でもフードを外さなかった理由に納得した。
視線でリシャールを殺せそうなほどに、軽蔑、憎悪――そんな鋭いものを、村の人々や第八騎士団の人々は抱いているようだった。
沈黙が落ちたままの空気を、一つの声がやすやすと割った。
「リシャール。こっちに来てくれる?」
聞き慣れた、落ち着いた声だった。
すぐそばで、ハンスは女性の処置をしながら淡々とリシャールを呼んだ。
誰もが一瞬こちらを見る。
だが、ハンスは周囲の視線など何一つ気に留めた様子もなく、患者の脇にしゃがみこむと、処置を続けながらもう一度言った。
「シェリン。リシャールを呼んできてくれる?」
「はい」
返事をして、シェリンは何事もなかったかのように彼の元へと向かった。
途中で「おい……」とか「呪われるぞ」なんて言葉が耳の中に飛び込んできたが、もう一度耳の外へと放りだしておく。
リシャールはうつむいたまま、動けずにいた。
全身がこわばり、今にも崩れ落ちそうなほどに。
「リシャールさん、ハンスさんが呼んでます。早く行きましょう」
自分でも驚くほど、いつもと変わらない声色だった。
呪い子のことを何とも思っていないと自分に言い聞かせていたわけでもなく、紫の瞳も、ざわめく群衆も、不思議と目に入ってこない。
ただ、彼について知っていることが少し増えただけ。そんな感覚だった。
――なんで、そんなに普通に話せるんだ。
そう言いたげな視線を、リシャールからも周囲からも感じた。
まったく動く気配がない彼に、そっと手を伸ばす。
ぱさり、と黒いフードが被さると、いつものリシャールの出来上がりだった。
「……行きましょう。ハンスさんに怒られます」
困惑する彼の手を取ると、冷たく、震えていた。
「僕のこと、怖くないわけ?」
小さな声だった。
それでも、その場にいた何人かの視線がまた集まった。
「呪い子なんだよ、僕は。どんな存在か、知らないわけじゃないでしょ」
シェリンは、彼の手をしっかりと握ったまま、首を横に振った。
「私、呪いとかそういうのあんまり信じてなくて……」
少し驚いたように、リシャールが顔を上げる。
シェリンは、神や呪いなど、そういったものの存在にあまり興味がなかった。そもそも実在するなんて信じたくもない、というのが正直なところなのだ。
「本当に呪いがあるなら、私はもうとっくに呪われてると思います」
死なないという、呪いに。
彼の瞳を見て、苦笑する。
しかし、リシャールは首を横に振った。
「……やめてよ」
彼の声は震えていた。
けれど、その震えの奥には、鋭い棘のような怒りがあった。
「……君に、僕の気持ちなんて分かるわけない」
その一言は、思ったよりも冷たかった。
シェリンは何も言い返せなかった。その通りだからだ。
自分だって、これまで経験してきたことを簡単に分かったようなつもりになられても、理解なんてできないと冷ややかに思う。
「勝手に、いい子ぶるなよ……!」
怒鳴るように、リシャールがその手を振り払った。
(……!)
想定以上の力と勢いに、思わずバランスを崩し、そのまま後ろに倒れ込んだ。
ドサッと地面に手をつく音で、数人のざわめきが上がる。
「……あ……」
見上げると、リシャールの瞳は揺れていた。
自分でも信じられないという表情で、こちらを見ている。
視線が交わると、彼は目を逸らし、唇をきつく噛むと背を向けて走り去っていく。
誰も、彼を引き止めなかった。
(……私は、間違えた)
こういうとき、どうすればいいのだろう。
自分の気持ちを、うまく伝えることさえできない。
どんな言葉を選んでも、彼には届かない気がして、口を開くのが怖かった。
たくさんの本を読んできたのに、役に立つ答えなんてどこにも書いていない。
(やっぱり、森の中で暮らしてた方がよかったかな……)
人混みの中に消えていった後ろ姿を思い出して、静かにそう思った。
***
簡易診療所の裏手。
ちょうど日陰になった木の根元に腰を下ろして、シェリンは水筒を口に運んだ。
少しの休憩をもらったのだ。
木漏れ日が揺れている。さっきまでのざわめきが、少し遠くに感じられる。
隣に腰を下ろしたハンスが、小さく息をついた。
「……シェリンがさっき教えてくれた女性、薬を飲ませたら落ち着いたよ。多分、疲れと空気感からパニックになっちゃったみたい。知らせてくれてありがとうね」
「いえ……。その、上手くできなくて、すみません」
「ううん。こちらこそごめんね。リシャールのこと、何も言ってなかったね。カミルが今探しに行ってくれてるし、心配しないで」
思ったよりも優しい声だった。
責められるでもなく、どこか自分を咎めるような響きがあった。
「気づいてた?」
「いえ……でも何か訳があるのはなんとなく……」
「そっか」
短く答えて、ハンスは視線を空に向けた。
白い雲が、ゆっくりと流れていく。
「シェリンはどう思ってる? リシャールのこと。正直に言うと」
静かな問いだったが、その目は真っ直ぐだった。
シェリンは少し考えてから、膝の上で指を組んだ。
「……私は、みなさんが言うように、怖いとか、気持ち悪いとか、そういうふうには思いません」
そう言って、思わずふっと軽い笑いが出てしまう。
「というより、リシャールさんのこと、そこまで知ってるわけじゃないんです。まだ何も」
「うん」
「でも……少なくとも、今まで私が見てきたリシャールさんは、そんな人じゃないと思います。誰かを呪おうとしてるようには見えませんでした」
「うん。シェリンの言う通りだと思う」
ハンスの口元に、わずかな微笑が浮かんだ。
「……シェリンは、ちゃんと相手をよく見てるね」
「え……?」
「たとえば、僕が知り合いを信頼できる人だって紹介したとしても、シェリンはその人と関わってから信頼できるか判断するでしょう? 噂や周囲の意見に流されず、相手と正面から向き合って自分で判断する。それってすごく難しいことだと、僕は思うんだよね」
シェリンは息をのんで、顔を上げた。
ぐるぐると、自分の座っている場所が揺らいでいる気がした。
「そう、でしょうか」
「リシャールには、君みたいな子がいてよかったよ。たとえ今日、すれ違ってしまったとしても」
シェリンは、そっと手のひらを見下ろす。
あのとき強く振り払われた手。
けれど、その中にあった震えや戸惑いの感触は、まだ確かに残っていた。
「……また、話せるでしょうか。ちゃんと」
「きっと話せるよ。時間はかかってもね。リシャールも本当は、誰かに分かってほしいって思ってるだろうから」
それはリシャールに向けられたものでもあり、シェリン自身にも向けられた言葉のような気がした。
ハンスの言葉は、いつも穏やかで不思議と安心感がある。
少しだけ、シェリンの胸の中に、温かいものが灯った気がした。