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五章 破滅を呼ぶ崩壊①

 到着した村は、血と泥と焦げた木の臭いが混じり合ったような、重く湿った空気に包まれていた。


 山手にあるほとんどの建物は、元の形が分からないほど崩れ落ち、大量の土砂が流れ込んでいた。

 斜面は大きく削られ、岩と木々が散乱していた。

 小さな川は濁流と化し、いくつもの生活の痕跡を飲みこんでいた。


 至るところから怪我人と思われる人々のうめき声と、村人たちの怒鳴り声が聞こえてくる。それに被さるようにして騎士の救助の指示が飛び、疲労困憊の人々がバタバタと走り回っていた。


(これは……大変だ)


 シェリンは馬車から降りた瞬間に息を呑んだ。

 被災地の空気は想像していた以上に生々しく、こういった現場で働いている騎士たちへの尊敬の念がより一層深まった。

 資料で確認していた数字なんて、この状況の何一つも表していない。


 隣で待機しているリシャールの体が、小刻みに震えていた。

 こんなにも「死」を感じる場所にいれば、恐怖を感じるのも当然のことだろう。

 こんなとき、少しでも慰めになるような言葉を、シェリンは知らなかった。


「第一部隊は俺の元へ! 第三部隊は、カミルの指示を仰げ!」


 第八騎士団から現状の報告を受けていたフュラーの声が飛ぶ。いつもよりさらに鋭く、そして冷静だった。


「医療班のみんなの動きは僕が説明するね」


 フュラーやカミルとともに状況を聞きに行っていたハンスは、こちらに戻ってくるなりそう言った。


「まず、今回緊急で作られた簡易診療所はあれ」


 ハンスの視線の先を追うと、村の中では比較的大きい礼拝堂のような建物があった。

 入り口には次々と担架に乗せられた怪我人たちが運ばれてきている。


「僕たち医療班は半分に分かれて、簡易診療所で動くメンバーと外で応急処置を施すメンバーに分かれる。僕とリシャールとシェリンは診療所の方。いい?」


 静かに頷くと、ハンスは続ける。


「診療所の状況だけど……とにかく怪我人で溢れかえってる。救助中に巻き込まれた第八騎士団員も増えてて、医師側の人間が足りてないみたい。ここへ来る前に、二人に白衣を渡したでしょ? それを着て、怪我が軽い人たちの処置にあたってね。リシャールもシェリンも基本的な知識はあるから大丈夫だと思うけど、手に負えないと判断したときは僕を呼びにきて」

「分かりました」

「あと、村の北側は危険区域だから近づかないようにね。今回山が崩れたのは西側だけど、それによって北側の地盤も緩み始めてるらしいから」


 はい、と返事をしながら、馬車に積んできた薬や道具を下ろしていく。

 これだけ怪我人がいれば、薬や包帯も足りていないはずだ。レネのことを考えながら徹夜で薬を煮出した甲斐があった。


 すると、向こう側からフュラーが近づいてきた。


「シェリン、少しいいか」

「はい、どうしましたか?」

「向こうの建物に子どもが取り残されている。建物が崩れ落ちて瓦礫が重なり、騎士たちの体では中に入り込めない。瓦礫をずらそうにも、崩壊の危険があって動かせない。小さい体なら通れそうな隙間は作れたんだが……頼めるか?」


 出発前とはまったく違う、信頼の表情。

 覚悟を決めてきたからには、大人も子どもも関係ない。第三騎士団の一員として扱う――そんな彼の思いがひしひしと伝わってきた。


「分かりました。すぐ行きます」


 フュラーの後についていくと、崩れかけた家のすぐそばには、女性が騎士たちによって止められていた。


「子どもが、中に……! まだ中にいるの……っ! 助けてッ!!」


 女性が叫びながら手を伸ばした先からは、かすかに泣き声のようなものが混じっていた。

 シェリンはロープをきつく体にくくりつけ、中に入る準備をする。


 すると、地面が微かに揺れ、ガラガラと上の方から小石が転がり落ちる音がした。


「また向こうが崩れたぞ……!」


 どこからともなく声が飛び、周囲に注意を促す。


 また揺れが起きれば、この建物も次こそ完全に崩壊してしまうかもしれない。そうなれば、中にいる子どもは下敷きになってしまう。


(……急がないと)


 シェリンはロープの先を握るフュラーを見て、静かに頷いた。


 彼は息をひとつ吐いて、口を開く。


「行ってこい。ただし……崩れる危険があればこのロープを引く。そのときは、迷わず引き返してくること。……分かったな?」

「はい」


 迷いはなかった。


 騎士たちが開けれたであろう精一杯の、ほんの小さな隙間に体を丸めて入りこみ、しゃがみながら進んだ。土はぬかるみ、足元は不安定だったが、服の裾やロープが瓦礫に引っかからないよう、細心の注意を払いながら進む。


(泣き声が聞こえるのは……こっち)


 微かな嗚咽を頼りに、小さな瓦礫をかき分けていく。

 すると、小さな体が、家の隅で膝を抱えて震えていた。


 目があった瞬間、シェリンの胸に熱いものがこみあげた。恐怖と孤独に耐えていたその姿が、誰かを待ち続けていたレネと重なったからだ。


「よし、行きましょう。お母さんのところに帰りましょう」


 レネよりも小さい体をしっかりと抱えた瞬間、背後から瓦礫の崩れる音がした。

 ロープが何度も引かれ、外から「出てこい!」という声が聞こえる。


(まずい……)


 何度も足を取られそうになりながら、けれど急ぎ足で、瓦礫の間を抜けていく。子ども守りながらのため、何度も腕に瓦礫の破片が当たったが、気にしていられない。


(レネさんより体が小さいとはいえ、これは結構きつい)


 子ども抱き上げたまま、崩壊した場所の合間をぬって、しゃがんだり体勢を低くしたまま進むのはかなりしんどかった。


「急げ! 崩れるぞ!」


 入り口からこちらを覗きこむフュラーに、抱きあげた子どもを渡す。二人同時に外へ出ることは難しかったからだ。

 子どもが外へ出たのを確認して、シェリンも体を丸める。


 が、ギュンッと前へ進むことを阻まれた。


(あ、やば……ロープが引っかかって……!)


 このままでは前に進めない。

 しかし、地面が微かに揺れ、背後ではガラガラと建物が崩れ始める音がしていた。


「まずい……」

「何してる! 早く!」


 伸ばされたフュラーの手を掴む。

 ふっと体が軽くなった瞬間、目の前が真っ暗になった。



 ***



「建物が崩れたぞ!」

「団長とシェリンは……っ!?」


 騎士たちのくぐもった声が聞こえる。


 シェリンは、どこか懐かしいようなぬくもりに包まれていた。


「無事か?」


 砂埃がすごくて目を開けられないが、シェリンの腕を掴んで引っ張り出してくれたフュラーの声は、とても優しかった。

 いつもの冷静な感じではない声が、シェリンの知り合いによく似ているなと思う。


「……はい。無事です」


 そっと立ち上がり、服についた砂埃をはらう。

 そして、手にしていたナイフをフュラーに差し出した。


「すみません。助かりました。行きは気をつけてたんですけど、まさか帰りにロープが引っかかるとは思わなくて」


 彼はナイフを受け取ると、静かに黒い鞘へと戻した。


 あのとき咄嗟に差し出されたフュラーのナイフがなければ、今ごろシェリンは瓦礫の下だっただろう。

 次に同じようなことがあったときは、ロープをもう少し外しやすいようにしておこうと反省した。


「簡易診療所に行くんだろう? 腕、治療してもらうように」


 フュラーは切り傷だらけの腕を見て、眉をひそめた。

 シェリンにしてみれば大した傷ではないのだが、このまま放置しておけば必ず後で嫌な顔をされそうなので、自分で適当に薬を塗っておくことにする。


(ま、でも……助かってよかった)


 抱きあう親子の安堵の泣き声が、重い空気の中で響いていた。


「よくやった。ありがとう」


 小さく呟かれたその言葉が、ドロドロに汚れた体に染み込んでいくようだった。


 シェリンは静かに空を見上げた。

 まだ厚い雲は残っていたが、雲の隙間からわずかに光が差していた。

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