010 冷やし中華、始めました!……なお、冷やし中華は売ってません。
前回のお試し行商で採取した薬草類の精算をすっかり忘れていたので、ダンジョンに突入する前にさくっと売り払っておいた。
買取カウンターの受付嬢さんに精算中に何度か、このあとお時間いただけますか? とか、ぜひともお会いしたいという方がいらっしゃるんです! とかなんかうるさかったけれど全部無視した。
私これから行商なのだよ! スケジュール押してるんだよ! まったくもう!
完全スルーしてたら涙目になってた受付嬢さんだけれど、私悪くない。
精算が終わったらすぐに神域魔法で隠蔽してダンジョンへレッツゴー! 背後で誰か泣いてた気がするけれど、そんなことは知らん!
五階層のセーフティゾーンへの道のりは今回で二回目。
迷子になりまくった前回と違って、まだ道は覚えている。私の灰色の脳みそが火を吹くぜ!
いつもどおりにてくてくと散歩気分で歩きながら、採取できるものは採取していく。
もう薬草類の採取で生計を立てる必要もないんだけれど、なんか採っちゃうよね。もう、癖みたいなもんよ。
地図がある二階層の終わりまでは前回同様のペースで到着。
ここからは地図がないので記憶を頼りに、明日から頑張ろう!
三階層の階段は丘の下り斜面にあったはずなので、さくさくと登っては降りてを繰り返して記憶の彼方になりかけている場所まで進んでいく。
しかしやはり私の記憶力は大したものだね。まさか一発でたどり着けてしまうとは! いやーまいったね! 自分が怖いよ! はーっはっは!
四階層はふかーい森だけれど、ここは私の採取能力が火を吹いて暴れまわるおかげで完璧に覚えてる。
あそこで採取してー、こっちでもぎってー、その辺で案内役みつけてー。
無事記憶通りに進んであっという間に階段まで到着!
前回は割と時間かかった記憶があるんだけれど、今回はかなり早かったね。ボス戦もスルーできるし、あの虚無な杭打ち作業はしなくていいんだね。
ダンジョン突入から二日でセーフティゾーンまでこれたし、まだ夕方にもなっていない。
前回同様、セーフティゾーンには誰もいなかったので、お店の準備だけしてアニメでも見てようっと。
あ、でも今回は幟を増やしたんだよね。前回は『お弁当』の幟。なんと今回は『冷やし中華、始めました!』だよ!
……なお、冷やし中華は売ってません。
「なあ、なんで冷やし中華売ってないの?」
「仕入れてませんのでー」
「なあ、この幟さ」
「次の方どうぞー」
前回のお試し行商での宣伝のおかげか、今回のセーフティゾーンに滞在している探索者の大半は私のことを知っていたご様子。
半分以上はメンバー同じようだけれど、逆に半分くらいは見たことない人だね。いや、前回の人達も全員覚えてるわけじゃないけれど。
なんかうるさい人が数人いたけれど、スルーしてたらそういう人もいなくなったので、たくさん仕入れたお弁当と飲料をどんどん売りさばいていく。
今回はそれぞれ種類も量も結構あるので、ひとり一個ずつとかの制限もなしにして売っていく。
おかげでひとりで何個も買っていく人が多くて、売上はうなぎのぼりってもんですよ。
「なかなか来てくれないからもうこないのかと思ったけど、来てくれて助かるぜ。毎回財布にたっぷり金用意してたんだぜ?」
「色々と手続きとか大変だったんでー」
「あー。やっぱアイテムボックス持ちは大変なんだな。どこ行くにもひっぱりだこって話だしなあ」
「そうそう。そんな中来てくれたんだから本当に感謝しかないよ。ありがとうねー。あ、私イクラ丼三つとミルクティ三本ね」
「まいどー」
ここでアニメ見てたら時が過ぎていたなんて言ったら、どんな顔するのかなあとか思ったりしたけれど、ちゃんとお口にチャックしてた私はきっと偉いと思います。配慮できる聖女。それが神域の聖女なので。
「前回にあった購入制限がないってことは、今回はお弁当いっぱいあるの? もしかして、お品書きに載ってないものとかあったりする? デザートとか甘いものとか!」
「あー。ありますけど売り物じゃないですね」
「えー! お願い! 高くてもいいから売って! もう持ってきたチョコないいんだよお! 甘味が足りないのよお!」
前回のときにやたらデザートを希望してた人がいたような気がするけれど、多分この人だな。薄っすらと顔を覚えているような覚えてないような。
「地上に戻るまでまだあと四日もあるのよお! もう無理だよお!」
「がんばれー」
「あー……。お嬢さん、俺からも頼むよ。ちょっとでいいんで分けてもらえないかな? こいつ甘いものがないとやばいんだ……。特に今は……」
「そんな事言われても……。なんでもっと持ってこなかったんです?」
「だっでー!」
いい歳した大人の女性が号泣してる。
ぶっちゃけ他の人の迷惑だと思うんだけれど、なぜか周りの人達も微笑ましいものを見る優しい顔になってるし。
この人毎回こうなのかな? いやそれだとさすがにうざいだろうし。結構可愛がられてる人なのかな?
「おねがい! ちょっとでいいからわけてええええ!」
「頼むよ……。高くても文句言わないし、少なくてもいいからさ……」
「はい、特大唐揚げ弁当とコーラでーす」
「ありがとよ。あのさ、よかったらこいつにちょっとでいいから甘いもの分けてやってくれねえ?」
「次の人どうぞー」
「あ、はい。あの、焼きそばオムライス弁当と烏龍茶で」
泣き崩れてぐずってる甘味欠乏症の人は放置して、並んでいるお客さんをさばいていく。さばかれていくお客さんも苦笑いをしつつ、一言二言甘いものをわけてあげてくれと言っていくのは、なかなかおもしろいね。
この人どんだけ好かれてるんだろう? よく知らない私からしたら完全に商売の邪魔してる人だよ?
「はい、まいどありゃりゃっしたー。さてお客さんさばき終わったんで相手しますけど、あなた今自分がどれだけ私の商売の邪魔してたかわかってます?」
「ごべんなざい……」
「本当にすみませんでした……。普段はもっとまともなやつなんです……。本当にすみません……」
「はあ……。まあ私も別にそんなに鬼畜じゃないですし、自分用のデザートもいくつか買ってあるので売ってあげてもいいですけど」
「本当!? ありがどおお!」
「ステイ! 舞! ステイ! これ以上迷惑をかけるなおまえ!」
並んでいるお客さんを全部さばきおわったので、机の影で泣き崩れているゴミの相手をしてあげれば、なんともやっぱりこの人面白いな。
「おいひいよお……」
「はあ、本当にすみませんでした……。こいつどういうわけか魔力がきれると甘いものが異常に欲しくなって情緒不安定になるんです……」
「あー……。個人差があるやつですね、それ」
魔力がなくなると、様々な欲求が我慢できなくなる現象が発生する。
これには個人差があって、ひとによってはとんでもない暴走を引き起こすこともあるほどにその差は激しい。
まあ、私は魔力が膨大すぎて魔力切れなんて起こしたことは、初期の初期くらいにしかなかったな。私の場合はどうだったかなあ。確か木に登って、あーあーあーってやってたような気がする。うん、気のせいかも。
あれ? もしかして、この人のこと面白いって思ってたのって……。いや気のせいだね。気のせい気のせい。
「ええ、それがこいつの場合甘味でして、昨日ちょっとした事件がありまして……。回復魔法が使えるやつがこいつだけだったんで……」
「なるほど。だからみんな苦笑いだったんですね」
「そういうことなんです。でもご迷惑をかけたことには変わりないので、本当にすみませんでした!」
「しゅみませんでした……」
こちらでは回復魔法を使える探索者はかなりのレアなはず。
そんなレアな存在の彼女が、魔力切れで情緒不安定になるまで魔法を使う必要があったような事件起こった。
普通はそんな事件が起こったら死者多数で大ニュースだろうね。
でも彼女のおかげで、そう大きな被害はなかったっぽい。死者もでなかったのかな? 死体袋も見当たらないし、そもそも雰囲気も悪くなかったしね。だとすれば他の探索者が一切文句を言わなかったのも頷けるってもんだ。
「はい、チョコケーキ」
「ありがとうございます! おいしー!」
「……えっと、全部でおいくらでしょうか」
私用に確保しておいたデザートで、業務スーパーで買った量を確保できるやつを中心に売ってあげていると、だいぶ情緒も安定したご様子。
ただまあ、結構な量を平らげているので、お代はどうしようかなー。
「ふーむ。今回は売るつもりなかったのでー。いくらがいいですか?」
「あ、えっと。弁当や飲み物なんかは大体十倍くらいの値段設定ですよね。無理を言ったのはこちらですし、ご迷惑もおかけしていますので、三十倍くらいの値段でどうでしょうか?」
「五十倍でも構いません!」
「あ、はい。じゃあ五十倍で。これはおまけです」
「わあ! どらやき大好きです!」
「助かります。本当にご迷惑をおかけしてしまって、すみませんでした」
「すみませんでした!」
今回のことはちゃんとした理由があって、周りの人も迷惑に思っていなかったし、私も記憶の片隅にあるターザンの記憶が同情しているのもあって許すことにしよう。
魔力切れはだいぶ人間性を破壊するからね、しょうがないね。
……五十倍の値段設定のせいではないよ? たくさん食べてたから結構な額になってたけれど、そんなことは関係ないからね? いいね? 関係ないんだよ?




