4 なんか石鹸に興味津々っぽい。
夕食を済ませると自由時間になった。
この時間で子供達は裏庭で体を拭くなり、広間に戻ってベッドに入るなりするようだ。
(お風呂がないっていうのは、この不衛生な世界では堪えるな……)
ディアナが皿を洗うのを手伝いながら、内心ため息をつく。
ちなみにこちらの世界に洗剤はない。
タワシのようなものはあるが、基本水洗いである。
石鹸、作らないとなぁ。
確か必要なのは木灰と油と……。
なんてことを考えていると、不意にディアナがこちらに声をかけてきた。
「ねぇ、石鹸って何?」
興味津々、といった様子でこちらを見つめてくるのに気がつく。
どうやら声に出ていたらしい。
「あー、物をきれいにするための薬品だよ。
例えばお皿は今よりもっと綺麗に簡単に洗えるし、体を洗うのに使えば今より綺麗になるし、結果として病気の予防になったりもする」
「肌が綺麗になるの?
今のマーリンみたいに!?」
皿を洗う手を止め、こちらに身を乗り出すディアナ。
やはり年頃の女の子、美容の話題はとても気になるらしい。
「あー、俺……私の肌が綺麗かどうかは置いといて、そうだね。
古い角質層が落ちてツルツルスベスベになったりはするかな。
材料を変えれば髪の毛もツヤツヤにできるよ」
「ほんとに!?
それは良いわね。あなたの黒髪、綺麗で羨ましいもの!
そっか、あなた記憶をなくす前はそういうものを使ってたから、お貴族様みたいなお肌と髪をしているのね……」
お貴族様みたいな、と連呼する彼女の表情は、まるで絵本の中のお姫様を空想する子供のようで微笑ましい。
俺はそんな彼女に笑みを浮かべると、石鹸作りを手伝ってみるか、と提案してみることにした。
「え、いいの!?
やるやる! 絶対手伝うわ! ねぇ、何が必要なの!?」
「そうだねぇ。
植物の灰と油があればベースはつくれるよ。
あとは好みに合わせて香り付け用のオイルを足せばいいんだけど、必要になる油の量が多いから、こっちは後回しになるかな」
いつか異世界に行った時に知識チートをするためと、石鹸の歴史を学んだことがある。
それによれば石鹸は最初、火山灰と捧げ物にされた牛だったか羊だったかの脂が混ざったものだったはずだ。
要するにアルカリ性の物質と油の混合物が原始的な石鹸になった。
しかし動物性の脂だと臭いし、手を洗ったり体を洗ったりするには向いていない。
そこで用意するのが植物油だ。
奈良時代に使われていた和香と呼ばれる石鹸のようなものは、たしか植物の灰と油を混ぜて加熱することで鹸化反応をおこして作ってた。
とはいえ、植物油を抽出するのは大変だ。
この辺の気候がどんなものかはわからないから、適した植物があるかわからないし、石鹸を作るのにどれだけの油が必要かもわからないのはネックだ。
それに、運よく見つけたとしても、例えば150mlのごま油を作るのには300gくらいのごまが必要になる。
あと植物の種類によってもとれる油の量は変わってくる。
ごまならそれくらいの量になるが、菜種油なら同じ量を作るのに菜の花の種が1kgは必要だったはず。
そこからさらに石鹸にするのに油を使うとなれば、さらに量は少なくなる。
体を洗ったり食器を洗ったりするのにも使うとなると、膨大な量の植物が必要だ。
一番望ましいのはアブラヤシだが、圧搾や熱処理が必要で手作業じゃ難しい。
となると次の候補はオリーブあたりになるかな。
しかしオリーブは地中海性気候の植物だし、体感的に温暖湿潤気候っぽいこの地域で発見するのは難しいだろう。
「灰と油……。
灰ならそこのかまどにいくらでもあるわね。
でも油は難しいわよ?
油を使うのは基本、お貴族様が視察に来た時に歓迎の料理を出す時くらいしか使わないし、作った後は有事に備えて保管しておくもの。
勝手に作って勝手に使うのは難しいわ……」
「そうなの?」
詳しく話を聞いてみると、そういう高貴な人が来るような日には、おもてなしの料理が振る舞われるという。
そして、そういう日は教会で保管しているヤークという動物の脂を使った揚げ料理で饗応するらしいのである。
そういう時のために油は基本的にストックされるらしい。
ちなみにストック期間はだいたい1週間くらいだそうだ。
まあ、あれは保存期間が短いからな。
冷蔵技術がないならそれくらいになるだろう。
それに比べて植物油は未使用できれいなままなら2年は持つ。
植物油を作ってしまえば、以降の油の使用はそっちに切り替わってしまう可能性が高い。
(保存期間を偽るか?
いや、期限内に使いきれずに嘘がばれるとそれもマズいからな……)
一人で頭をひねってもいい考えは浮かばない。
俺はいったん考えることを諦めることにした。
「明日、神父さんに何かいいものがないか聞いてみるよ。
勉強を見てもらうことになってるから」
「わかったわ!
私もみんなに何かいいものがないか聞いておくわね!」
こういうのは、村の知識人を頼った方が効率がいい。
ヘンダー神父なら、何か知っているかもしれないと期待しておこう。
その後、俺とディアナは仲良く裏庭で体をタオルで拭きあうことになった。
彼女の体は一日の畑仕事のせいか、泥と汗で汚れていて、確かに今の自分と比べて小さな傷や痣が目立っていた。
水洗いしかできない上に、井戸水という不衛生なものを使っているのだ。
早急に石鹸をつくらなければいけないな、と強く決心した。
……え?
そんなことより女の子と一緒に洗いっこなんてハレンチだって?
いやいや、少し待ってくれ、それは誤解だ読者諸君。
もちろん俺は最初断ったのだ。
今は女性の体とはいえ、心は男。
申し訳ない気持ちが拭えず提案を拒否しようとしたのだ。
しかしできなかったのである。
ディアナの『なんで? ねぇどうしてなの?』という攻めに抗えない。
なんで? どうして? と聞かれると、女同士なのに拒否する理由が見当たらない。
恥ずかしいから、とでも言えばよかったのかもしれないが、しかしせっかく仲良くなった手前、関係を崩すのが憚られたのだ。
だから、これは仕方なかった事なのである。
仕方なく、年端もいかない彼女と洗いっ子することになったのだから。
故に、俺に下心はない。
失くしたムスコに誓おう。
もし生きていたら起立していたかもしれないが、心はリリスのごとき誘惑には決して屈していなかった、と。